ルキフォとエスティ その1

 濃い緑に囲まれた山の中、細い小道を二つの人影が歩いていた。少年と初老の男の組み合わせだ。間もなく夕刻になろうかという時間だ。森の中は暗くなり始めている。


 初老の男の方は髪をのばしており、すべて後ろに流して首の辺りで束ねている。昔は黒かったであろう髪は、白髪が交じり灰色になっていた。顔には皺が刻まれており、男の生きていた時間を現している。男の膝上まで丈のある、白いゆったりとした上着が目を引いた。

 少年の方は、短く刈り込んだ黒髪だった。日焼けした浅黒い顔に、意志の強そうな黒い瞳がある。背はそれほど高くないが筋肉が発達していて、全体的にがっしりしている。少年の方は、男と違って普通の服装だ。その代わり、大きなずた袋を背負っていた。


「思ったより手間取りましたね、師匠」


 少年が歩きながら言う。


「ああ、多めに薬草を持ってて助かったな」


 初老の男――ゴルドが言った。


「へへ。俺のおかげですよね? あたっ」


 得意げに話す少年の頭をゴルドが軽くはたく。 


「調子に乗るな、ルキフォ。指示した数より間違えて持ってきただけだろう。

 次の用意もしないといけない。儂は帰ったらすぐに調合を始めるから、お前は薬草の採取に出てくれ」

「分かりました」


 ルキフォと呼ばれた少年は、少ししょげながら言った。

 歩くうちに、ふたりの耳に水の流れる音が聞こえてきた。この先には源泉があり、流れ出た水が川を作っているのだ。そしてその源泉の近くに、ゴルドとルキフォたちの住まいはあった。

 二人はすぐに開けた場所に出た。ここだけ背の高い木はなく空が見える。源泉は広く大きな池をつくっている。そこから川となって山を下り、外へと続く。

 手作りにしては立派な橋を渡り、二人は源泉の近くを通る道を歩く。


 すると甲高い泣き声と共に一羽の鳥がゴルドの肩に降りてきた。ゴルドの頭ほどもある大きな鳥だ。鷹に似ているが、その体は降り積もったばかりの雪のように白い。


「どうした?」


 ゴルドは肩に止まった鳥に話しかけた。鳥は言葉が分かるかのようにひと声鳴くと、肩から離れ飛び上がった。そして池の上で旋回を始める。

 その様子を見ていたルキフォの足を何かが引っ張った。目を向けるといつのまにか猫のような動物が、ルキフォの服を引っ張っていた。

 一見すると猫に似ていたが、それよりも筋肉質でがっしりした印象があった。虎の小型版といった感じか。だが、虎の特徴である縞模様は体にはない。銀一色の毛並みが見えるのみだ。

 そいつはルキフォと目が合うと、猫そっくりの泣き声を上げた。瞳は金色と黒のオッドアイになっている。そしてすぐに池の方へと走った。


「なにが? …………! 師匠、あれ!」


 ルキフォは何かを見つけたように、池の真ん中を指した。


「ああ、儂も〝観た〟」


 ゴルドは半眼になって、中空をみつめていた。顔は池の方を向いているが、視線の先は違うところを見ているようだ。


「沈んでおるな。人……子供だな。この子は……ルキフォ!」

「はい」


 名前を呼ばただけで、ルキフォはゴルドが何を言いたいのかを理解した。それは自分が考えていたことでもあったからだ。

 少年は返事をすると同時に行動に移った。池の方へと走り、ためらうことなく飛び込む。

 池はそれほど深くないことを、ルキフォは知っている。最も深いところでも、ルキフォの胸までしかつからない。だからこそ、水の中に沈むように人がいることが驚きだった。

 すぐに目的の場所まで近づいた。立てば水面はルキフォの腰くらいになる。底に人が横たわっているのが見えた。


 少女だ。眠るように目を閉じている。可憐な少女だった。ルキフォはしばらく見とれていたが、慌てて少女を抱き起こそうと手を伸ばしたした。

 手が少女に届く前に、透明な柔らかいものに触れた。それには弾力があった。驚いて手をひっこめる。それが合図だったように、少女は水面に浮かび上がった。そのまま浮かび続け、空中で止まった。ルキフォが触れたものは、気のせいなどではなく確かに少女の体を包んでいた。

 水面はルキフォの腰の高さまでしかない。今、少女はルキフォの胸の高さまで浮かんでいた。

 ――――――。


「え?」


 誰かに言われたような気がして、ルキフォは手を少女の下に差し出した。ゆっくりと、少女を包んでいたものが流れ落ちていく。

 ルキフォの腕を濡らすそれは、ただの水だった。すべてが流れ落ちると、少女はルキフォの腕に収まった。落しそうになりながらもなんとかこらえる。

 不思議と少女は濡れていなかった。腕に伝わる温もりが、少女がまだ生きていることを伝えていた。


「生きてる。師匠、この娘生きてます!」


 ルキフォは少女をしっかりと抱え直し、岸へと向かって歩き始めた。


         ★


「眠っているだけな」


 ゴルドの言葉に、ルキフォは安堵のため息をついた。二人は少女を連れて家まで帰っていた。


「じゃあ、師匠」

「そのうち目覚めるだろうよ。多分な」


 ベッドの上には先ほどの少女が寝ていた。安らかに寝息を立てている。ゴルドの診立てでは、異常はないということだった。

 だがそれにしてはゴルドの言葉は少々歯切れが悪かった。ベッドの上の少女を見て、何か考え込んでいるようだ。

 しばらくして、二人は少女を残し部屋を出た。


「どこから来たんでしょうか?」


 ルキフォがお茶の入ったカップを二人分机の上に置いた。ゴルドの向かいに座って、自分の分に口をつける。


「身なりがよかったから、どこか街の人間なんでしょうけど」


 ゴルドはカップに手をつけることなく何事か考えているようだ。部屋を出てから、いや少女を間近で見たときから難しい表情をしていた。


「師匠?」

「ルキフォ。あの嬢ちゃんは水に包まれていたんだな?」

「はい。でも濡れてなかったんですよ」


 肘をついて顔を置く。ルキフォはその時の状況を思い出していた。ゴルドはそれを聞いてまた考え込んだ。


「水の元素術? しかしネレード家は精火門のはずだが……」

「え!?」ゴルドの言葉にルキフォが驚いた声を上げる。「師匠あの娘のこと知っているんですか?」

「あ? ああ。二年くらい前になるか。お前も覚えているだろう、儂が精火門の元素術使いに呼ばれたことを?」

「ああ、俺がまだ診療に連れってもらえなかった時の。眠ったままの女の子を診てくれっていうやつでしたっけ…………って、あの娘が!?」


 自らの言葉に驚いたようにルキフォが言う。


「そうだ」

「師匠でも治せなかったんですよね? じゃあ、あの娘眠ったままなんですか!?」

「嫌なことをはっきり言う奴だな」ルキフォの言葉にゴルドは苦笑した。「言い訳するつもりはないが、ありゃ病気の類じゃなかった。別の理由で眠ってたんだ。それに、自然に目覚めたという話しを聞いたから、今のもただ眠っているだけだと思うんだが……」

「師匠、別の理由って何なんですか?」

「俺の診立てでは、この世界とは別の階層にいる存在に呼ばれていたと考えてる」

「別の存在に呼ばれて?」

「ああ、苦しんでいた様子はなかったからな。取り憑かれたわけでも、捕らわれたわけでもない。ただ呼ばれていただけだと。例えば元素界の〝何か〟……」


 ゴルドの言葉が終わらないうちに、扉が開く音がした。二人が同時に振り向く。

 そこには恐る恐るといった様子で扉を開けた少女の姿があった。少女はゴルドたちに見つめられ、体を強ばらせた。


「あ、起きたんだ」


 少女を見つめ、ルキフォが明るい調子で言う。歳の近い存在を見つけ、少女の表情が少し緩んだ。だが警戒は解いていないようで、ルキフォが一歩前に出ようとすると、少女は扉の陰に半分ほど体を隠した。


「え……っと」


 どうしていいか分からずに、ルキフォも動きを止める。

 すると、先ほど池でルキフォの足を引っ張った猫に似た動物が、どこからともなく現れた。そいつはトコトコと歩いて少女の元へと向かう。


「あ、こら。勝手に出てくるな」


 ルキフォの慌てた様子に、銀色の小動物は猫に似た泣き声で答える。それはまるでルキフォの言葉に抗議しているようにも聞こえた。

 突然現れた小さな存在に、少女は驚きながらも反応した。扉を開け、自分の元へと歩いてきた猫のような存在をじっと見つめる。


「ねこ?」


 少女が喋った。その声は高く澄んでいて、ルキフォにとって初めて聞く音楽のようだった。


「あ、う、うん。猫……かな? 一応」


 銀色の猫は肯定とも否定ともつかない鳴き声を上げた。少女はしゃがんで猫の鼻先に指を出す。猫は少しだけ匂ってから、ぺろりと舐めた。


「あは。可愛い」


 少女が笑う。その表情を見て、ルキフォの鼓動が少し速くなった。


「おいルキフォ、嬢ちゃんに見惚れてないで、お茶でも用意しな」


 ゴルドの言葉に、ルキフォは我に返る。そして忍び笑いを浮かべるゴルドを軽く睨んで、お茶の用意を始めた。


「嬢ちゃん、こっちにきて座りな。身なりはこんなだが、儂らは怪しい者じゃない」

「そうそう。こう見えて、師匠は療術師なんだ」


 カップにお茶を煎れて、ルキフォが戻ってくる。


「療術師?」


 少女は興味深げに呟いた。

 療術とは魔術から派生した、人を癒す為の術だ。魔術の中で体系化された薬草や人体の知識とそれを元にした実践を備え、呪いに近い行為も行う。

 但し同じく魔術から派生した魔導具とは違い、奇跡のような現象は起こせない。あくまで人の持つ自然の治癒行為を助ける形で施術される。


「こう見えては余計だ」


 ゴルドは軽くルキフォを小突いた。


「師匠、痛いですってば」


 情けない声をルキフォが上げる。

 二人のやり取りに、少女は笑った。安心したのか、ゆっくりと机の前までやってきた。そしてルキフォに進められるまま椅子に座る。


「あの、ここはどこなのでしょうか?」


 差し出されたカップを両手に持ち、少女は訊いた。猫はちゃっかり少女の膝の上に陣取っていた。

 ルキフォは改めて少女を見た。目をつむっていても可憐だったが、目を開けるとその印象がもっと強くなった。少女の瞳が通常とは違い銀色なのでさえ、似合っているように思える。


「ソルタの山の中だ。儂はここで療術師をしているゴルド。さっきから嬢ちゃんを見つめてるのがルキフォだ」

「師匠!」


 ルキフォは慌てて少女から目を離し、抗議の声を上げる。


「ソルタ……トリフ山脈からどれくらい離れているんですか?」


 しばらく考えた後、少女は言った。ゴルドの言った地名に思い当たる節はないらしい。


「かなり遠いな。徒歩なら大人の足でも半月はかかる」

「そんなに……」


 少女は呆然と呟いた。そして何かを思い出したかのように口を開く。


「わたしの他に、誰かいませんでしたか?」


 誰かがいてくれる事を期待する口調だ。少の表情は祈りに近いものだった。


「いいや、君以外は見なかったよ」


 自分の言葉で少女が落胆するだろうと判っていても、ルキフォは言わないわけにはいかなかった。ここで嘘をついても仕方がない。


「そうですか……」


 ルキフォの思ったとおり、少女は目に見えて落ち込んだ。あまりの落ち込みように、何も悪くないルキフォの心が痛んだほどだ。


「誰かとはぐれたのかい?」


 少しの間をおいて、少女は微かに頷いた。それ以上は何も答えない。黙って考え込んでいるようだ。

 その様子を見てゴルドが口を開く。


「失礼だが、嬢ちゃん。もしかしてエスティという名前じゃないかい?」


 外からみてはっきり分かるほど少女――エスティの体が揺れた。膝の上の猫が驚いて逃げ出す。エスティの表情は固まっていた。二人を見る目が厳しい。今にもここから逃げだしそうだ。


「なんで……」

「嬢ちゃんの名前を知ってるのか、かい? さっきも言った様に儂は療術師だ。嬢ちゃん、二年ほど前に眠ってしまって起きないことがあったろう? 儂はその時に嬢ちゃんのお兄さんに呼ばれたんだ」


 エスティの表情が少し和らいだ。自分が一年間眠ってしまった間、グレンがあらゆる場所から療術師を呼んだことを聞いていた。


「驚かせてしまったのなら謝るよ。信じて貰えないかもしれないが、儂らは嬢ちゃんに危害を加える気はない」

「いえ、信じます」


 エスティは真っ直ぐにゴルドを見つめて言った。

 ゴルドたちが元素術の人間でないことはエスティにも分かった。精霊と対話しその力を使う元素術の人間には、独特の雰囲気というものがあった。

 グレンやフィンナ、リュードといった元素術の人間と暮らしていたエスティにはそれが分かる。少なくとも目の前の二人からはそれが感じられないのだ。

 だから、エスティはゴルドの言葉を信じることにした。なにより、こっちが気恥ずかしくなるくらい真っ直ぐに見つめてくるルキフォという少年の瞳に、自分に対する敵意は感じなかった。


「ならそのはぐれた人が見つかるまでここにいなさい。下手に動くよりはここで待っていた方がいいだろう。儂はまた明日には出かけないといけないが、ルキフォを置いておくから」


 優しく微笑んで、ゴルドがエスティに呼かけた。


「え、でも」

「遠慮はいらんよ。多少不便かもしれんが、食べ物は十分にある。儂も出かけたついでに嬢ちゃんを捜している人がいないか、聞いて回るから」

「違うんです。わたし……」


 エスティは俯き、言いかけてやめた。


「話したくないことは、無理に話さなくてもいい。それより飯にしようじゃないか」


 ゴルドはルキフォに目配せした。ルキフォは慌てて立ち上がる。


「そうだ。今日は塩漬けの肉があるんだ。新鮮な野菜ももらったばかりだし」


 そう言って、ルキフォは家の外へと向かった。ルキフォが出ていったのを見て、ゴルドがエスティに顔を寄せて言う。


「作るのはアイツなんだ。嬢ちゃんの口に合えばいいんだがな」

「師匠、聞こえてますよ!」

「地獄耳め」


 外から聞こえた弟子の言葉に、師匠は苦笑する。エスティはそんなゴルドの様子を見てくすりと笑った。

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