元彼にもらった指輪を友人が私にくれた話

柿尊慈

元彼にもらった指輪を友人が私にくれた話 前編

「ということで、これはこずえにプレゼント」

 美穂子みほこは薬指から指輪を抜き取ると、右手で握って私に差し出してきた。

「いや……そんな縁起の悪いもの、いらないよ」

「毒を以って毒を制す、っていうでしょ?」

「毒って……」

 自分で言っちゃってるじゃないか。


 歳を取るにつれて、結婚はしないのかと周囲から催促される頻度が高くなった。結婚したいのは山々であるが、出会いがなければ結婚などできない。

 出会いといっても、かなり制限的に使われる言葉である。というのも、本当に異性との出会いがないというわけではなく――あらかじめ伝えておくと、私は女性で、異性愛者だが――その「出会った相手」がフィルターを通過してこないことの方が大半であり、出会いというよりは関所をクリアしてくれる人がいないというのが事実であろう。男性は星の数ほどいたとしても「年齢」「暴力を振るわない」「収入および消費の傾向」「子どもが欲しいかどうか」などなどの条件で絞っていくと、周囲の男性は誰も残らないということが容易にありうる。

 同時に、私自身も他者のフィルターにかけられているので、私の方で誰か気になる相手を見つけたところで、その相手の条件に当てはまらなければ何の意味もない。

 もうすぐ、26歳になる。まだ若い方ではあるが、いつの間にか「若いですよ!」と胸を張って言うのがためらわれる年齢になっていた。新入社員は22歳――状況によっては18歳の娘もいるわけで、彼女たちと比べてしまうと、26歳は「若さ」を売りにできる歳ではない。

 これまでの人生で、彼氏というものがいなかったわけではない。ただ、今こうして思うと、その頃の自分というのは相当恵まれていたのだなと思う。やや感度がバカになっていたのだろうが――あるいは、現在の感度が鈍っているのかもしれないが――好きになるという直感が、あの頃はまだ機能していた。もちろん、今からみれば子どもの恋愛であり、いうなれば「恋愛ごっこ」だったのかもしれないが、それでもセンサーの故障を疑うほど「通過者との出会い」がない現在の私からすれば、あの頃こそ「真の恋愛」だったといえよう。


「で、結局今週も梢ちゃんは、私と寂しく飲んでるってわけ」

「寂しく飲んでるつもりはないよ。大盛り上がり」

「話題の話よ。切ないテーマで盛り上がってるのが寂しいって言ってんの」

 会社で仲のいい同僚がいない私・山根梢は、同じく会社で仲のいい同僚のいない、大学時代の友人・美穂子と、土曜の夜に居酒屋で時間を過ごすことが習慣になっていた。

 店内では、大学生と思われる若い男女が店員として駆け回っている。しかし、彼らとの会話はほとんどない。テーブルの上に設置されたタッチパネル式の端末。これで注文すれば、店員はオーダーを聞きに来ることもなく、ダイレクトにテーブルへ注文の品を持ってくる。店員との会話を楽しむ趣味はないが、どこにいても男性との会話の機会がないんだなと思って、少し悲しくなる。


 先述の通り、私の関所を通過してくる男性は周囲にいないのだが、逆はそうでもないらしい。26歳という、若いような若くないようなというギリギリゾーンの年齢の独身女性――しかも現在彼氏なし――は、周囲の男性からすればギリギリ許容範囲に入るようだ。というのも、この頃妙に、他の男性社員から声をかけられることが増えてきたから。

 噂にすぎないが、社内では「おひとり様リスト」とでもいうべきものがあるらしく、結婚や子育てを推奨している我が社では、結婚の意志の有無に限らず、お節介をかけてくるのだ。「このままでは誰々くんは、ひとり身のまま生涯を終えてしまう!」とでもいうかのように、リストに載った人物同士を関わらせようという動きがあるらしい。私がこの頃声をかけられるのは、おそらくその運動の結果であろう。ありがた迷惑の極みである。私のように、一応結婚願望がある女性ならまだしも、そういったことに対する関心がない男女まで巻き込むのは、いかがなものか。それに、最近は多様なあり方が許容されていて、同性愛というものへの理解が広まっているが、社員一人ひとりの嗜好まで把握しているわけがない。会社ぐるみの、異性愛主義の圧力である。

 そもそも、総当たり戦で社内の「おひとり様」をぶつけられても、自分のところの関所を突破できないのであれば何の意味もない。ぜひ弊社には、会社の未来に貢献する人材などではなく、私が「結婚したい!」と強く願うような相手を育てて欲しいものである。なんなら、現在のリスト掲載者が全員人事担当になって、新入社員および結婚したい相手を各々ひとりだけ採用するようにした方がいい。毎年数人は「なんでこいつを採用した?」というような人材が発生しているのだから、結婚相手採用の方がムダがないだろう。


「それで? あんたの方はどんな話があるっていうの?」

 私の会社で起こっているかもしれない「総当たり戦」について愚痴ったところで、話題提供者は美穂子に移る。あらかじめ「総当たり戦」の話は軽く済ませていたが、いざ話し出すと、しょうもない愚痴がだらだらと続き、気づけば入店から1時間が経過していた。

「ああ。私の方はね、そんなに面白い話じゃなくて、ただの報告なんだけど」

 美穂子はテーブルの端末をいじる。ドリンクのページを右往左往して、電子音が繰り返されていた。早く決めろよと、端末の方から急かされている気分になる。

「別れたよ」

 あっさりとした報告に、私はハイボールを吹き出しかける。

「……別れたっていうのは」

 おしぼりで口とテーブルを拭い、私は美穂子に確認した。

「文字通り、彼氏と別れましたよと」

 端末は、焼酎と日本酒のページを交互に表示している。


 美穂子には、大学時代から交際していた男性がいた。私とは違うコミュニティの人で、私は顔も名前も知らない。ただ、どこに行ったとかどんなケンカをしたとか、そういった話は時折聞いていたから、仲がよかったことは推測できる。

 美穂子と彼は同じ大学だったが、就職先は別々で、それでも交際は6年ほど続いたことになる。遠距離とまではいわずとも、ある程度の距離があるのにもかかわらず関係をキープできたのはすごい方だろう。私の他の知り合いは、社会人1年目か2年目で破綻しているところが多かった。だから美穂子のところは応援していたのだが、残念だ。

「理由は、聞いても大丈夫?」

 ようやく芋焼酎のオーダー画面に行きついたものの、美穂子の指は水割りで飲むかロックで飲むかで迷っていた。私の方には顔も目線も向けず、まるで端末にセリフが書いてあるかのように、淡々と美穂子は話し出す。

「大雑把に言えば、価値観の違い」

 やや投げやりな答えに、私は質問を繰り返す。

「詳細に言うと?」

 やや間があって、美穂子は答えた。

「子どもをつくるかどうか、どちらも譲る気がないことがわかった」

 芋焼酎のロックが注文される。美穂子のオーダーは了承された。


 美穂子は周囲の人たちに、子どもは絶対につくらないと言い続けていたのだ。元カレの方にもそれは伝えていたのだが、時間が経てば人は変わる。彼の方が子作りを提案したらしい。

「で、まあ、彼のためにもっていうか。このまま一緒にいても彼には何の利益もないわけじゃない? だからいっそ、別れた方がいいだろうって、私から切り出したわけ」

「相手は、それでいいって?」

「さあ? それから連絡は取ってない。向こうがどう思ってるかはさておき、私の中では完全に終わったってわけ」

 タッチパネルの上を指が泳ぐたび、私の目に光を反射させていたソレ。

「嘘だよ」

 私が短く言うと、美穂子は反らしていた顔を私に向けた。

 左利きの美穂子の、左手の薬指。そこには、彼からもらったリングがついている。毎年買い換えていて、幸せそうだなと感じていたものだ。

「今だってそうやって、大事そうにつけてるじゃない」

「ああ、コレ?」

 タイミング悪く、居酒屋の女性が芋焼酎のロックを運んでくる。

「ご注文の――」

 女性が言い切らないうちに、美穂子は女性の持っているグラスを右手で奪って、芋焼酎を左手のリングにぶちまけた。

「わああ!?」

 ショッキングな光景に、女性店員が悲鳴をあげる。客にこぼしてしまったのではなく、客がわざとこぼすケースなど、そうそうあるはずがない。私も、開いた口が塞がらなかった。

「お姉さん、やっぱりウーロンハイにしてくれる?」

 美穂子は右手でタッチパネルを操作し、ウーロンハイを注文する。濡れたテーブルをおしぼりで拭いている美穂子は、何の表情も浮かべておらず、それが店員さんをよりビビらせていた。

「か、かしこまりました!」

 慌てて厨房に引っ込んでいく女性店員。周囲の客も、私たちのテーブルをしばらく眺めていた。

「ね? 全然大事にしてないでしょ?」

 まさか、それを証明するためだけに、あの芋焼酎は犠牲になったというのか。

「あんたから話を聞いてさ、私にできることは何かなって思って」

「それと、そのズブ濡れの指輪には何の関係が……?」

「アルコール消毒よ。今ので、この指輪にまとわりついた邪気は祓われたわ」

 美穂子の指が、指輪を外そうとぐりぐり動く。

「ということで、これは梢にプレゼント」

 美穂子は薬指から指輪を抜き取ると、右手で握って私に差し出してきた。

「いや……そんな縁起の悪いもの、いらないよ」

「毒を以って毒を制す、っていうでしょ?」

「毒って……」

 自分で言っちゃってるじゃないか。さっき消毒したって言ったのに。

「薬指のリングは、男避けに最適ってわけ。こんなやばい指輪つけてれば、雑魚男たちは近づいてこない。それを見てもあんたに言い寄ってくるやつがいたら、それは相当、あんたに惚れてるってことよ」

 理論は滅茶苦茶だし、仮にそうだとしても、気になることがひとつある。

「誰も声をかけてくれないまま、私が30歳になったらどうしてくれるの?」

 美穂子は、考えるような顔をした。

「毎週、飲み会は私の奢りってことで」

 視界の端に、こちらを窺っている女性店員が見える。手にはウーロンハイが握られているが、もうこぼされる心配はないだろう。私は店員さんに、指でオーケーサインを送った。


「山根さん、その指輪どうしたんですか?」

 休み明け。

 美穂子の言うことをなぜか実行した私だったが、早速ひとりの男性社員に話しかけられた。男避けになるどころか、指輪の話題になってしまったじゃないか。どうしてくれる、美穂子さん。

 相手の顔を見る。悪くないけど、これで恋が始まるのは勘弁だぞ。

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