第十話 友情へのフルスロットル

四月十日木曜日 某高校校門前


「ごめんごめん、待った?」

「いや、二分十八秒……それほど待ってはいない」

「あ・そ……なら良いんだけれど」

 部活休みの日、二人は一緒に帰ること。これも私の言いだした三つ目のお願いだった。三つ目ともなると通るに決まっている。三つ目が通るとも言うし。もっとも私の家は志藤君ち、もとい御笠博士の家の比較的近所なので、普通に帰っても途中までは一緒なのだけれど。一度あのダッシュにお姫様抱っこされてみたいのは秘密の願望だ。サイボーグっつったら002が好きな私としては。ジョー、君はどこに落ちたい? あなたの腕の中ですはい、志藤君。十傑衆走りでもいいな。

「もう左手の修理は終わったの?」

 覗き込むように――私の彼氏は言わなくても車道側を歩いてくれるのだ、えっへん――左手を見ると、色も血管の浮きめいたものもしっかり作られているその手は、ぐーぱーして動いて見せる。

「とりあえずストックはあるんでな。交換するだけだ」

「カリス君……今頃どうしてるかな?」

 香港の工場は機動課に押収されている。必要なデータにアクセスできないだろうから、カリス君の左手も大変だろう。思いながら志藤君を見上げると、くすっと笑った。珍しい、優しげな顔。彼女の私にも滅多に見せてくれない類のそれ。

「あいつなら何があっても大丈……」

 通り過ぎようとしたコンビニでは、学生らしい一人の男の子が三人の男の人にタコ殴りにされていた。

「やめなよ! もういいだろ!?」

 膨らんだキャスケット帽をかぶった声変わりもしていない男の子が三人を止めようとしていた。私は志藤君と顔を見合わせる。さてどう出よう。このままスルーするのも何となくためらわれる。うちの彼氏が警官だけに。

「どいてろアキラ!」

「そうだ、こいつらだって多勢で兄貴を……」

「舐められてたまっかよ!」

 三人目の男が殴りかかろうとする……けれど。


ガスッ


「いってえ!」

 突然マンホールの蓋がそれを邪魔した。志藤君が引っこ抜いて転がしたものだった。うちの彼氏は力強い。色んな意味で。それこそカリス君の事まで面倒みられるぐらい。

 キッとした目で三人に睨み付けられる。こっそり電柱に隠れる私。

「こいつの仲間か?」

 一人に訊ねられ、ふるふると頭を振る志藤君。

「いや、全然関係ない。だが三人がかりはフェアじゃない……」

 いやいやこんな不良にそんなこと言っても。帽子の子以外全員二十歳過ぎてそうなのに定職についていなさそうな方々にそんなこと言っても。

「……そうだな……こいつらと同じになっちまうな。帰るぞ」

 そうして三人はホバーバイクでどこかに行ってしまった。いつの間にかボコられてた少年もいない。

「ヒデちゃん……」

 残されたのは帽子の男の子だけだった。


「へー、アキラ君ちってバイク屋さんなんだ」

「うん……だから兄ちゃん、気の合う仲間とつるんでよくホバーバイクで高速を無断で飛ばしてたよ」

「あん?」

 キランと目の光る志藤君。これでもバイクより早く走るけれど、一応警察だった。

「そ、それがさっきの三人組?」

 あえて『ガラの悪い』は省いておいた。

「うん……ヒデちゃんにノブやんにマー君、みんな兄ちゃんの同級生なんだ」

「そうなんだあ……お兄さんは今何してるの?」

 一人っ子の私は思わず突っ込んだところまで聞いてしまう。昔幼馴染がいたぐらいしかそういう経験はないから、気になったのだ。だけどアキラ君は顔を伏せた。小柄な体がもっと小柄に見える。服についてる学生IDからするとうちの高校の一年生だ。これからが伸び盛りと言ったところなのだろうか。でもこの華奢な身体がむっきむきになる想像は出来なかった。うーん。

「兄ちゃんは……高校出て、死んじゃった……二年前かな」

「あ」

 悪いこと聞いた。地雷だ。ちょっと気まずい。

「何で死んだ? 事故か?」

 空気を読まない志藤君。さすがサイボーグ。じゃなくて。

「志藤君!」

「いいよ……隣町とレースがあってね。それで負けちゃって、気晴らしに飛ばしに行って運悪く、って感じ」

 無理に笑うアキラ君。

「そうか。すまなかったな」

「ううん」

 ポケットから写真を出して見せるアキラ君。

「あ、これがお兄さんね?」

「うん」

 突っ張り、特攻服、そして改造バイク。

(まだ……生息していたのか……)

 もう絶滅したと思われていた人種だった。珍走団。元の名を暴走族。今はタイヤなんてアナクロなものじゃなくホバーだから静かなものだけど、ぱらりら無駄に鳴らす音はやっぱりうるさい。毒電波を送ってみたことはあるけれど、遠すぎて届かなかったぐらいだ。それにしてもアキラ君の素朴な表情とは似ても似つかない剃り眉がまた何とも言えないものを醸し出している。ふむ、と覗き込んできた志藤君も、絶句――

「トダハのホバーか、中々趣味が良い。あれは静音性に優れているからな」

「お兄さん詳しいの?」

「機械類は大体頭に入っている」

 そう、インプットされている。

「ハネザキのマフラーもだ。本当に『走る』事だけをしていたんだな」

「うん」

 へへっとアキラ君が笑って、大事に写真をしまった。


 アキラ君の家にちょっとだけお邪魔してから帰途に就いた私たちの話題は、勿論アキラ君だった。

「アキラ君もきっとバイク好きなんだね」

「ああ。安全運転をしてほしいものだ」

「あ……そうだね」

 お兄さんの事もあるし、こっちのお兄さんは警察だし。

「ところで志藤君、なんであんなこと聞いたの? お兄さんの死因なんて」

「ああ……少し気になったことがな……」

「気になった事?」

 私は首を傾げる。電波塔が揺れる。

「あの三人が言っていただろう、多数で兄貴を、と」

「袋にされた、ってこと?」

「ああ。もしくは……」

 殺された。言わなくても解った。

「でもアキラ君はバイク事故でって……」

「偽装かもしれない」

「ああ……」

 後ろの方から声がして立ち止まる。振り向くと一人のヤンキーがいた。さっきの、ヒデちゃん、と呼ばれていた奴だろう。二十歳前後の、男の人だった。やっぱりアキラ君より男らしい。髭の剃り残しとか。うちの彼氏にはありえないものだからちょっと珍しかったりもする。

「さっきは悪かったな……」

 殊勝に頭を下げて来る。存外良い人なのかもしれない。

「いや……所で今の話」

「ああ、タケシ……アキラの兄貴は殺されたんだ」

 ひゅっと背中に悪寒が走る。アキラ君のまだ無邪気っぽい顔が浮かんだ。大切にお兄さんの写真を持ち歩いてる様子も。あれがベストショットなのかは分からないけれど、アキラ君に焼き付いているお兄さんの姿なんだろうことは解る。生まれた時からいた大事な兄弟の姿なのは、分かる。

「そんな……」

 思わず声が出ると、こぶしを握り締めてヒデさんもぎりっと歯を鳴らす。

「隣町とのレースの話、聞いたか?」

「ああ、負けたんだろう?」

「ありゃ隣町の奴らがスタビライザーを改悪しやがったからだ」

 スタビライザーはバランスをとる重要な部分だ。これがないと上手く走らない。文字通りの暴走車になる。

「どうして分かる」

「レースの後に聞いちまったんだよ……」


『ヒヒ、この町も大したことねーな』

『俺達がスタビライザーをいじったのをお忘れなく』

『わーってるって……』


「ひどーい! 正々堂々と勝負しなさいよ!」

「お前が怒ったってどうしようもないだろう」

「んでその後タケシは一人でナシ着けに行ったんだ」

「なぜ一人で行かせた? リンチに遭うのは解っていたはずだ。スタビライザーの改造なんて半ば殺す気でないと出来ないだろう」

「……俺達ゃこんなナリはしてるが、暴れたりしたことはなかった。タケシもただ本当かどうか聞きに行くだけだった」

「じゃあ、その後に……」

「ああ、偽装されて殺された。そうに決まってる」

「だがそれも証拠がない」

「志藤君!」

「……ああ。だから警察もろくに調べちゃくんなかった。元々俺らみたいなのは邪魔だからな……」

 そうしてヒデさんが後ろを向いたから、私達も離れて歩いていくことにした。その姿を見ている誰かなんて、全然考えずに。


「あら悌子おかえり。最近よく二人で帰って来るわね?」

「うん」

「男の子?」

「うん」

「彼氏?」

「うん」

 お父さんがぶっとお茶を噴いた。下戸だから宴会なんかも出ず、帰宅が早いのだ。うちの父は。それにしてもよく飛んだなあ。ダイニングからキッチンにいるお母さんの電波塔掠めたよ。新記録だよ。

「そ、そうか……ついに男が出来たか……」

 パンチドランカーのボクサーみたいに揺れながらお父さんが何やらショックを受けている。そりゃ思春期の娘が漫研入りびたり、ってのがずっと続くと思ってたら大間違いだろう。バツイチからバツニに昇格した友達だっているぐらいなんだから。志藤君が私を振る、と言う想像は今のところ出来ないからしばらくは大丈夫だろうけど。

「何よー」

「もう十六なのに男の一人もつかないんで心配していた」

 今の驚き方だとこれは嘘だな。

「そうねえ、昔隣に住んでた子以来よね」

「ああ、あの子な……将来有望な良い子だった」

「懐かしいわねえ。写真データまだ残ってるかしら」

「とりあえず今度家に連れて来なさい」

「ええ~!?」

 自分の娘を何だと思っとるんじゃ。

 ため息を吐いて私は生返事しながら二階の自室に鞄を置きに行った。


四月十二日金曜日 某高校校門


 志藤君はまたしても待たされていた。

「あ、志藤君だあ」

「悌子待ち?」

「熱いっすなあ~」

「もう少しで来ると思うよ」

「それじゃ邪魔者は消えますか」

「じゃあ月曜日に~」

 私の友人たちに冷やかされながらも顔色一つ変えない志藤君。とりあえず手を振ってくれるだけの愛想はある。

「あ! 志藤君?」

 白いキャスケット帽に茶色のパーカーとジーンズ、メッセンジャーバッグ姿で出て来たのはアキラ君だった。学生IDもちゃんと付けている。これがないと学校に入れないから大変なのだ。

「桂橋さん待ち?」

「ああ、同じクラスなんだがたまに学校を出る時間が合わない……」

 それから十分ほど。

「来ないね、桂橋さん……」

 生徒も見えなくなってきたというのに、なぜかその姿は見えない。漫研で漫画あさりをしているにしても遅い。

「た、大変だぁ……!」

 足を引きずった男が近づいてきた。ノブ、と呼ばれていた男だ。

「ノブやん!? どうしたの、ボロボロ……」

「アキラか、お前は帰ってろ……おい学生服」

「なんだ?」

「お前の彼女、隣町の奴らに連れてかれちまったぞ」

「なんだって!?」

 驚いたのはアキラ君の方だった。

「昨日俺達と居たんで、仲間だと勘違いされて連れてかれたらしい……今どきセーラー服は珍しいから、校門でお前待ってたところホバーバイクで……」

「場所はどこだ」

「E区の廃ビルだ……森田とかって書いてある……うっ」

「ひどい傷だよノブやん!」

「そいつらにやられたのか?」

「へへ、まあな……俺達で助けようと思ったんだがこのざまよ……」

「ヒデちゃんたちも!?」

「早く、警察に……」

「ノブやん!? ノブやん!」

 どうやら失血で気を失ったらしい。

「アキラ、手当と救急車を頼む」

「う、うん、志藤君は?」

「『警察』を呼んでくる……」


「ぐはっ」

 ヒデさんがまた蹴られて大きく息を吐く。それをげらげら笑いながら見ているのは隣町の連中だ。私も珍走は厄介だからよく見かけるんだけど、その中でもうるさいパーツばっかり着けてるやつら。隣町だったのか、道理で電波が届かないわけだ。

「馬鹿だねぇお前ら、たった三人でさあ?」

「一人は逃げたみたいだけどさあ!」

 二人は縄で縛られ吊るされていた。緩めた所を逃げたノブさんは大丈夫だろうか。ドスと言って良いナイフで足を刺されていただけに心配だ。

「これいいねえ、声の出るサンドバッグ!」

「うわぁ!」

 十人強いるだろう集団の中には、昨日の少年もいた。少年。そう、私達と同じIDを付けた同校生だ。だから簡単に掻っ攫われてしまった自分の身が恨めしい。その年でこんなところに出入りしてるとろくなことにならないわよ、少年。

「昨日はすごく、痛かったよ!」

「うぐ!」

 マーさんも蹴られてげほげほ噎せ返る。

「ちょっとあんた達、動けない相手にそんな多人数でずるいじゃない! タイマン張りなさいよ!」

 後ろに打たれた手の縄を木箱の隅でこすりながら私は口をはさむ。こんなところでおとなしくしているタイプではないのだ、私は。漫研根性舐めんな。あしたのジョーだってフォロー範囲よ。少年院でボコられてるシーンに憤慨する程度には。あの時は力石を恨んだわね。あの時だけね。

「気の強ぇ女だなあ」

「この状況でよくそんなこと言えるな」

「にしても……結構いいじゃん?」

 私の一番嫌いな目。発情したオス。

「な……何よ」

 強がって見せるしかできない。毒電波はアドレナリンが過剰分泌されてる相手には通じないのだ、負けてしまって。両手がふさがれてちゃスカートのポケットにあるチョークも出せないから黒魔術も使えない。やばい。全私が全力でヤバイバル。

「おい、俺より先に楽しむつもりか?」

 ボスっぽいのが出てきて、他は引き下がる。おいおい待ってくれよこんなところで乙女の純潔捨てるわけにはいかないぜ。とは言ったもののケータイは胸ポケットだし、GPSはむしろ付けてる方だし。ノブさんが警察を呼んでくれるのを待つばかりだけど、サイレンの音なんてちっとも聞こえない。

「へいへい、じゃ俺達はこっちで……」

 私を諦めた男の一人がスタンガンを取り出した。

「うわああああああああ!」

 耳を塞ぎたくなるような絶叫。

「やめなさいって言ってんでしょこのサルども! 馬鹿!」

「本当に気が強ぇな、へへ、やりがいがあるぜぇ」

 志藤君! 私はその時、これ以上ないほど電波を精いっぱい彼に届くように飛ばした。


 その時アキラ君は家に帰っていた。

「兄ちゃん、みんなが……」

 タンスを開き、大事に大事にとっておいた特攻服を取り出す。

「力を貸して!」

 アキラ君は特攻服を羽織った。亡き兄の思いと共に。


 私を脱がそうとする手は、でもセーラー服と言う未知のものに対して耐性がなかったらしく、どうしたものかと迷っていた。その隙に私は木箱に縄をこすりつけるのを早くする。だけどそれに気付いたのか、ボスはニヤニヤしながら私を見た。

「逃げられると思うか? お嬢ちゃんよぉ」

「思う、わよっ」

「へぇん」

「私の彼氏は警察なんだから!」

 どっと笑う声。

 そうだ。私の彼氏は警察なのだ。何も怖がることはない、けれど、間に合うとは限らない。あのダッシュなら何とかなってくれそうだけど、それが間に合うかは解らない。大体志藤君情報分析から入る節があるし。無理やり彼女になった私の事なんかどうでも良いのかもしれないし。今頃仁君と夕飯作ってるのかもしれないし。嫌な予感ばかりが浮かぶけれど、ばちばち私はそれを打ち消していく。打ち消せるうちは当たらない勘だ。大丈夫。私の彼氏はきっと間に合う。そしてこの笑う下衆どもをどうにかしてくれる。決まってるったら決まってる。それは非の打ちどころのない、完璧な想像だった。

「サツが女子高生喰ってるとか笑えねえ冗談だぜ、嬢ちゃんよお」

「やめろおおおおおおお!」

「るっせぇなあ、そろそろ終わりにすっか……」

 電圧を上げられるスタンガン。

「死んだらこいつらの兄貴と同じように処理してやっからよお」

「っ! やっぱりあんた達が!」

「良いじゃねえか地獄に行った奴のこたぁ……」

「あんたは天国に行かせてやっからよ!」


ドガン!


 突然吹っ飛んだドアがチンピラの一人に当たった。

「ってぇ! 何なんだよ!」

 この時良かったのはもうヒデさんとマーさんが電流で気を失っていたことだと思う。

「悪いな、邪魔をする……」

 静かな声と学生服。

「志藤君!」

 私は思わず叫んでいた。

「な、なんだてめぇ」

「志藤君! アキラ君のお兄さんを殺したのはこいつらよ!」

「ああ、聞こえてた」

 だったらもっと早く来て。涙目になりながら縄をこすり続ける。手首にも擦れて痛かった。お風呂で地獄を見そう。何が天国だ、このオスどもが。

「だから何だってんだよ」

「どいつもこいつも正義の味方気取りでよ、一人で来るなんて……馬鹿?」

「アキラの兄貴はこの町の、走り屋としてのプライド、男としての誇りを守った。あくまで走りでお前らに勝つために来た……一人でな」

「何言ってんだこいつ?」

 へらへら笑い志藤君を指さすチンピラ。だけどそんな挑発に乗る回路、うちの彼氏は持っていない。

「それをお前らは笑い踏みにじった……」

「今頃地獄で大好きなバイク乗り回してるだろうよ」

「次はお前らが地獄を見る番だ」

「てめえが見な!」

 チンピラ二人がナイフで志藤君に襲い掛かる。

「は?」

 二人の手は志藤君に掴まれていた。視力と反射の速度で人間に負けるはずもない。

「う、動かねえ」

 もちろん握力と腕力も。

「片腕と鼻……貰っていくぞ」

 すると大男二人は宙を舞った。腕は無理やり変な格好で投げられて、嫌な音を立てた。骨折か脱臼かは解らないけれど、多分持って行かれたんだろう。痛い所を。それから顔面から着地する二人。鼻が折れたんだろうけれど声はなかった。気絶してしまっていたのだ、すでに。やっぱり私の彼氏は強い。なんてったって警官だ、チンピラには痛すぎるほどの天敵だろう。

「……は?」

 ボスが呟く。時間が止まっていた。

「く、くたばりゃあああ!」

 電圧をマックスまで上げたスタンガンが志藤君の背中に当たる。

「へ、へへ、これなら……」

 過電圧でばちばち言うのが止まらないスタンガン。だけど志藤君はけろっとしている。電気については一家言あるのだ。志藤君は。

「へっ」

 頭を掴まれたチンピラは放電され、そのまま後ろに吹っ飛んでいった。ぴくぴく手足が反応していたけれど、気絶しているのは明らかだった。

「う、うわあ!」

 仲間の学生が逃げようとしたのを、志藤君は見逃さない。部屋にあったテーブルを投げつけ、やっと一歩動いたところだった。一歩。部屋に入ってたった一歩で四人がやられている。

「ば、化け物だ!」

 ボス以下が上の階に逃げていくのを放って、志藤君は先に私の方に寄って来てくれる。レディファーストとは違うけど、私を優先してくれたことは嬉しかった。

「大丈夫か?」

「ん、縄も切れたし平気。それより追って」

「ああ、吊るされてる二人も頼む……」

 そして走りもせず追いつける志藤君。

「はぁ、はあ……なんだよアイツ、化け物か?」

 ボスは屋上に身を潜めていた。手には拳銃があった。この時代では日本でも民間人の武器携帯が許されているから、それ自体は別に犯罪じゃない。犯罪なのは、それを使う相手次第だ。例えば――民間人とか、警察官とか。

「ったく、今頃昔の事引っ張り出すなよな……」

 武器を手にしたことでいくらか安心したのか、ボスがごちる。

 それから屋上の端の方に走り出した。隣のビルに移ろうとした。

「おわっ!?」

 足を踏み外し落ちそうになる……が、何かが足に引っかかって落ちることはなかった。

「……なんだ、てめぇ! 離せ!」

 足を掴んでいたのは雑魚を文字通り蹴散らしてきた志藤君だった。

「良いのか? 離して」

「いっ!? いやあ、離さないで!」

 宙吊りになったボスは喚く。

「なぜバイクに細工をした?」

「しっ知らねえ、覚えてねえ!」

 かなりパニックになっている。

「お前を支えるのに指何本まで耐えられるか……」

 志藤君の小指が離れた。

「ひぃぃ! なんでだよ、おんなじバイク乗りなのに何であっちばっかり!」

「同じ? お前らはバイク乗りではない……ただの外道だ」

 薬指が離れた。

「再戦を頼みに来た……恥を忍んで。……そして殺した」

「べ、別に殺そうとしたわけじゃねえよ! 適当にボコったら町に捨てるはずだったんだ、本当は!」

「ならなぜすぐに病院に運ばなかった。助かったかもしれないのに」

「そ、そりゃぁ……」

 一定の怪我は警察に通報される。それを恐れたんだろう。

「だからお前らは下衆だと言うんだ。地獄で詫びてこい」

 中指が外れた。

「ひゃああああああああああああああ!」

 悲鳴を上げて、だがボスは落ちない。

 ズボンの股座がじわりと湿っていた。


 下の階に降りてきた志藤君に私は笑いかけた。

「お疲れ様、志藤君!」

「ああ……で、これはなんだ」

「へけっ」

 笑っても笑い返してくれない。不愛想な彼氏に、私は床に書いた大魔法陣を見せた。

「良い感じに生贄がいるから、ちょっと試したことのない大魔法をと思って……」

「……手首以外は無事か?」

「あ、うん。思い出したら痛くなってきちゃった、いちちちち。荒縄使う時は水で解してくんなきゃ困るよねぇ」

「うう……」

 知るか、と言いかける志藤君に聞こえたのは、ヒデさんの声だ。

「大丈夫そう?」

「……軽い頭部へのショックがあるが、問題はない程度だ」

 ヒデさんは頭を何度か振って身体を起こし、周りに散らばっているチンピラを眺め呆然とした。

「あ……あんたらがやったのか?」

「さあな、どっかの正義の味方でも現れたんだろ。俺が来た時にはもうこうなっていた」

 しれっと言っちゃうんだから。志藤君も人が良いんだか悪いんだか。

「そうか……お前の女は?」

「うん?」

 呼ばれて飛び出た私に、ヒデさんはほっとした顔になる。意外と幼い笑顔だった。二十歳そこそこだったらこんなもんなのかな、なんて私は考える。まだまだ子供でも通じちゃう。ヤンチャで通じちゃう。でもいつか人はそこから脱却していかなければならないんだろう。ゆっくりでも、上のステージへ。一歩が小さくても、その場所へ。

 とは、道徳の教科書で学んだことだけど。前世紀の偉い科学者が書いた、アダプター理論って奴だ。人はそうして進化していく。私の毒電波もその一種じゃないかと疑われているけれど、どうなんだろう。

「じきに警察が来る……マーもつれてずらかった方が良いぞ」

「あ……ああ」

 その時、志藤君の背後に忍び寄る影。手には釘バットが……。

「えええええい!」

「あ……アキラ!?」

 志藤君はひらりとかわした。勢いで相手の帽子が落ちる。そこから長い髪が零れ出して。

「あ!?」

「…………」

 さすがに驚いた志藤君に、気まずそうなヒデさん。

「アキラ君って……女の子!?」


 警察が廃ビルの連中を処理している間に、私たちはトンズラしていた。

「まさかアキラちゃんだったとは……」

「ノブが来んなって言っただろ」

「ご、ごめん……でもノブやんの怪我見たら心配で」

「まあまあヒデさん、アキラちゃんだってみんなが心配だったんだから。そんな服まで着込んで」

「しかも釘バット……」

 現行の法律下では微妙な武器なのだ、釘バット。うんうん唸っている志藤君を放っておいて、私はニヤニヤと笑ってしまう。

「もう終わってからだったから良かったものを……」

「無事だったんだから良かったじゃない」

「だけどよぉ……」

「心配性だなあ~もしかして……ラブ?」

「ちっちげぇよ!」


 年頃の女の子らしいことを考えるのだ、私だって。一応お年頃だからね、これでも。こういう硬派なのは嫌いじゃない程度には。陰から守るのも格好いいじゃない。格好いいものは格好いい。私の彼氏とかね! トリコロールカラーの連邦の白いロボットとかね!

 私の守備範囲は広くて浅いよ! 何百年か前のアニメ見てるのに最近の月9とかは分からない程度にね!



「おいタケシ! 一人で行くってどういうことだよ!」

「ケリつけんなら全員で行きやしょうよ」

「おいおい、べつにヤり合う為に行くんじゃねえよ」

「しかし……」

「そう興奮すんなって。話をしに行くだけだってばよ」

「だがお前に何かあったらアキラ……」


 ふっと微笑むタケシ。


「そん時はヒデ……お前が頼んだぜ」


「解ってるよタケシ……これからもずっとな……」

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