『腰骨ロケンロー』
僕のばあちゃんは人や物事に対するネーミングがすごかった。
例えば、ばあちゃんはぎっくり腰のことを腰骨ロケンローと言う。ばあちゃんはけっこうな頻度でその腰骨ロケンローになるらしく、その度に「けんごー、手ぇ貸してくれ」と僕に助けを求めてくる。母さんとは仲が悪いから絶対に僕を呼ぶ。「どうしたのー?」と聞くと、「腰骨ロケンローや」と苦笑いを浮かべて僕を見てくる。僕は肩を貸してやさしくばあちゃんの家まで付き添ってベッドに寝かせてやる。
一度僕が学校に行っている間に、ばあちゃんは腰骨ロケンローになった。僕が学校から帰宅したら、僕んちとばあちゃんの家の間の道で倒れていた。僕が慌てて駆け寄るとばあちゃんは引きつった笑みを浮かべて「またや」と言った。いつも通り手を貸してばあちゃんを起き上がらせようとしたのだが、その日は痛がって起きれなかった。息も荒くて、ちょっと焦った僕は病院呼ぶかとばあちゃんに聞いたら、ばあちゃんは「病院は・・・けえへん」と苦しそうに小さな声で答えた。ばあちゃんが死んじゃうと思って僕は119に電話してすぐに来てもらうようにした。
「どうされましたか?」
「腰骨ロケンローです、すぐに来てください!」
「は」と言われて、はっと気づいた。でも、ばあちゃんは救急隊員に対しても堂々と腰骨ロケンローと言っていて、僕はかっこいいと思った。
他にも、ばあちゃんは当たり前のようにウンコのことをバウンピーと言った。学校で油断すると僕はついバウンピーと言ってしまうことがあって、高校の時にはあだ名をバウンピーにされた。
ばあちゃんはじいちゃんのことをシルベスターと呼んだ。じいちゃんの本当の名前は清だったが、ばあちゃんは一度も清と呼んだことがないらしい。じいちゃんは戦争に行った人でよく僕にその当時の話をしてくれた。たぶんその辺が関係しているのだと勝手に思っている。出会ったときからずっとシルベスターだと、死んだじいちゃんは言っていた。
ばあちゃんは敵対する母さんのことをギザと呼んだ。とはいえ、ばあちゃんは母さんに面と向かってギザとは言わなかった。ばあちゃんは迫力があったけど、母さんも母さんで人に何も言わせないような威圧感があった。だから敵対していたのだけれど、母さんの言うことは正論だったし正直ばあちゃんはビビっていたようで、母さんの言うことだけには従っていた。
そのためその反動がグチとなり、僕はいつも聞かされる羽目になった。聞かされるのはだいたい、風呂に入りなさいとかもう寝なさいとかまっすぐ前を見て食べなさいとかそういうことを言われたというものだった。
僕はその言われている現場にいたんだけどと思いながらも、ばあちゃんのグチを聞く相手になってあげた。まぁでも、平気で2日くらい風呂に入らなかったり、朝までテレビ見たり、雑誌読みながらテレビ見ながら立ちながらご飯食べたりするばあちゃんもばあちゃんだけど、母さんも母さんで別に好きにやらせたらいいのになとは思った。
たまにばあちゃんはギザに勝つときがあった。僕んちもばあちゃんの家も木造でけっこう古かったからか、よくねずみが出た。ギザはねずみが嫌いである。だからテレビを見ているときにパッとねずみが近くを横切ったりしたら、ギザは飛び跳ねて悲鳴をあげる。僕らはそんなギザを見て笑い転げる。
一方でばあちゃんはねずみが得意だった。家にはねずみ捕りがしかけてあるのだが、そこに捕れているのを確認したときは、ばあちゃんは勝利の顔になる。口角をあげにあげてにんまり笑う。僕は心の中でそれをビクトリースマイルと呼んでいた。ビクトリースマイルのばあちゃんはわざわざ粘着ねばねばのところから尻尾をつかんでねずみを引っ張り出す。
そして「けいこさん」と、こんなときだけ名前を呼び、ギザが泣き叫んで逃げるのを目で追いながら、「けいこさんのために捕まえたんやけどなぁ」と言う。けいこさんを怖がらせるねずみを捕まえて退治してやるんだという正義感を漂わせて、ばあちゃんは立っていたのだが、僕には仕返しにしか見えなかった。ばあちゃんはぼそりと小さな声で「ギザ」とつぶやいた。ちょっと恐かった。
そうした夜は必ずギザのばあちゃんに対する言い方は少し強くなる。正論だからばあちゃんは言い返せない。でも明らかに仕返しだと見て取れる。
そういったことを色々と思い出していたら、我慢できなくなって声をあげて笑ってしまった。
「なんやねん、腰骨ロケンローて」
みんなの視線が一気に僕に集中したので恥ずかしくなった。が、我慢しようとすればするほど、ばあちゃんとの思い出がどんどんよみがえってきて笑いがこらえ切れない。僕は母さんと父さんに目で申し訳ないの合図をして、外に出た。さっきはあんだけ泣いていたのに今は笑いが止まらない。
大人になった今でも僕の周りにばあちゃんに敵う人はいない。80歳までハーレーに乗ってたばあちゃん。きっと母さんに免許を無理やり返上させられなかったら死ぬまで乗っていただろう。なんでバイクをサウスポーと呼んでいたんだろう。紅しょうがをこれでもかと牛丼にかけるばあちゃん。紅しょうがで埋め尽くされたどんぶり片手に嬉しそうに笑う顔が浮かんでくる。3対1でぼこぼこにされて帰ってきた僕を見て、不公平だと鎌を持って出陣しようとしたばあちゃん。ちょっとださいジャンヌダルクみたいに見えた。
家の外でタバコを吸いながら、ばあちゃんとの日々を思い出す。高校を出てから離れ離れになった。たしかにばあちゃんが死んだのは悲しい。哀愁に浸って涙が出そうになるけど、すぐ頭をよぎってくる。
「なんやねん、腰骨ロケンローて」
ばあちゃんは死んでも僕の周りにいるようだ。死んでもあの苦いものを食べたような、くしゃっとした笑顔で、僕を相変わらず笑わせようとしてくる。
でもこれで逆に近くなったのかと思った。「死んだおかげ」なんて、不謹慎なことを思ってしまったことに対して、一瞬ごめんとはなったが、まぁばあちゃんはそんな僕を笑ってくれるだろうと思った。タバコがものすごく美味かった。そして、1レベル上がった気がした。
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