『新・歯ならびのそろえ方』
「新・歯ならびのそろえ方」という看板があった。僕はそのネーミングに心を惹かれてしまい、そのビルに入ってエレベーターのボタンを押していた。
僕は生まれつき歯並びが悪い。小さい頃はよくそのせいで友達にからかわれたものだ。
周りの子たちは僕の口の中を見て「出っ歯」と言った。でも僕は出っ歯ではなかった。前歯2本の両サイドがへこんでいるのだ。だからあくまで出っ歯に見えるだけで出っ歯ではないのだ。
しかし周りでからかっているのは小学生のガキ。そんな説明に耳を貸すやつなんていないのはわかっていた。だから僕は手あたり次第殴ってやった。
それでも周りの子たちはたぶん僕が怒ることが楽しいのだった。傷つけたいわけではないのは見ていて分かった。誰かのどこかに「違い」を見つけて、「多数」になりたいのだ、みんな。多数に埋もれることで人は幾ばくかの安心と安全を獲得できる。それが欲しいのだ、人間は。
そんなの糞くらえと思った。
僕は何をするにもよくも悪くも目立った。足は速かったし、勉強はできたし、女子のように肌が白く、女子のようにかわいい字を書いた。おもしろい、ユーモアがあると先生に褒められるし、お笑い芸人の顔にそっくりだし、その反面かっこいいと言われてある女子に付きまとわれたりした。そして、歯並びが悪かった。
ずっと直したかったけど、お金がかかると子供なりに考えてやめた。心の半分では、生まれ持ったこの体を人間の手でいじくることがなんだか申し訳ないという気持ちと、直すということが逃げだと感じたからだ。
いや、うそだ。正直なところ、ただ矯正器具を付けたくなかっただけだ。あからさまに「僕は歯を直してます」宣言をしているみたいで恥ずかしかったのだ。ただそれだけだ。
でも今大人になってあの看板を見た瞬間、ずっと直したかったんだという自分の本音に気づいてしまった。
大人になった僕はいつの間にか笑うのをやめていた。口をなるべく開かずにしゃべる方法を会得していたが、友達はいなくなっていた。叶うのならば人の目を気にせずに大きな口を開けて笑いたかった。
僕は気持ちがどんどん溢れてくるのを必死に抑えてエレベーターの3階ボタンを押した。
ドアが開くと、左右に通路が分かれていて、左側にあの看板の文句と同じことが書かれたドアを見つけた。
ドアが近づくにつれてドキドキした。やっと直せるという気持ちと、お金はないが借金でもしてやるぜというやけくそな興奮と、どんな治療が待っているのかというワクワク。
僕は右手でその扉を勢いよく開いた。
すると正面からいきなり殴られた。
どうやら気を失っていたらしい。目を開けると見慣れない真っ白な天井が映った。僕は見慣れない真っ白なシーツのベッドに寝ていた。ここは天国かと思った。
しばらくすると、男が一人入ってきて僕に手鏡を渡した。僕は自分の顔を見た。特に変化はないように感じたが、口を開けると見事に歯が全部なかった。
「どんな歯を入れますか?」と、助手らしき女がパンフレットを広げてきた。
僕は思わず笑って言った。
「これ、そろえてはいませんよ」
女はくすっとかわいく笑った。
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