聖剣の勇者

兼乃木

第1話 イサリア1




 少女は白い空間をのんびりと歩きながら、ふと思った。


 わたしはどうして歩いているのだっけ?


 首をかしげながらも歩みを止めず、次の疑問を浮かび上げる。


 そもそもここは何処なのだろうが?


 ふわふわとした白い空間には空も大地もなく、壁や床、天井もない。足音はぺたりぺたりと小さく鳴るが、何を踏んでいるのかも良くわからない。

 蜜色の髪と翡翠色の瞳を持つ少女はゆったりとした白いワンピースをまとい、何も持たずに裸足で歩いていた。


「えーと、ここはどこ?わたしはだれ?」


 記憶がない。

 しかしこのフレーズはどこかで聴いた気がするなぁ、と少女は暢気のんきに考えた。


 記憶はないが、危機感もない。

 異変に気づいても焦る気も起きずに歩いていた。


 不意に風を感じて、瞬く間に周囲の景色が一変した。少女は足を止めて見回した。


 緑の木々と白い花に覆われた庭園だった。

 足下あしもとには石畳が敷かれ、見上げれば青い空に白い雲。そして鳥のさえずりが聴こえてくる。

 温かな日差しを感じて、足の裏が冷たいことにも気づいた。


「ようこそ、新しい弟子」


 少女がきょろきょろしていると、背後から声をかけられた。落ち着きのある女性の声だった。

 振り向けば白いドレスの美しい女性ひとが立っていた。


「弟子?」

「そう、あなたはわたくしの弟子になるために、ここに招かれたのよ」

「……ここはどこ?わたしはだれ?ついでにあなたも誰?」

「あなたはイサリア。わたくしのことは師匠と呼びなさい」


 イサリア。

 それが少女の名前。


 まったくピンと来ないが、相手が確信に満ちた様子で断言するので、つい納得してしまった。


「弟子は師匠から何を学ぶの?」

「治療術、治癒魔法と呼ばれる力よ。人を癒やし、世界を救う力を身につけなさい」


 人はともかく世界は大げさじゃないのかな、と記憶のないイサリアにも思えたものだ。





 師匠は素晴らしく麗しい女性ひとだったが、とんでもなく適当な性格の人だった。

 イサリアが師匠に教えを請うて三日目、初歩的な術をひとつ覚えたと思ったら「あとは全て応用でなんとかなるわよ」と言ってイサリアを放り出したのだ。


 イサリアは白いワンピースの他に、師匠から上着と帽子と靴を貰ったので、三日前よりはマシな格好ではある。

 だが持ち物は、治癒魔法を使う時に補助の役割をする背丈ほどの長さの杖一本だけだ。


「……ここは何処?わたしは何をしたらいいの?」


 名前はイサリアということにしても、わからないことだらけだ。

 治療師──見習いくらいにはなったようなので、とりあえず治療を必要としている人でも探してみようと思う。


 師匠の家、むしろ城のような所から、目の前に空間の裂け目のようなものをこさえた師匠にポイ捨てされたイサリアは、改めて周囲を見回してみた。

 緑の多い庭園を見ていた後なので、草木一本見当たらない枯れた大地に、別世界に来てしまった気分になる。

 赤茶けた地面には大きな岩がごろごろ転がっているだけで、地平線の先にうっすらと山の影が見える以外に何もない。


 人間が住んでいるとは思えなかった。

 怪我人どころか生き物すら見当たらない。


 方向もわからないので、イサリアは唯一の目印として、山のほうに向かうことにした。

 太陽と影を見て、たぶん北に向かって歩いているはずだ、と思う。



 そうして歩き続けて、足が痛くて休みたくなってきた頃、イサリアは人間の姿を発見した。


「こ、こんにちはー!こんにちはー!やったー、人がいたー!助けてーっていうか、助けに来ました、治療師です!」


 人助けの前に助けてもらいたいという本音が隠せないイサリアは、支離滅裂な声を上げて駆け出した。

 しかし岩陰に座り込んでいる人物は、「近付くな」と鋭い声音で制した。


「助けに来ただと?俺が誰か知った上での戯言たわごとか?」

「いえ、知りません。むしろ自分のことも知らないので、名乗られても困ります。有名人でしたか?」

「……何故こんなところに来た?」

「師匠にポイ捨てされました!空間の裂け目っぽいものを作ったかと思えば、ポイッて!」


 岩陰にいた人物は、青年と呼べる若い男だった。麦色の髪に鋭いプラム色の瞳をしている。

 師匠によればイサリアは17歳ということなので、それより5歳くらい年上に見える。

 服はぼろぼろだが、髪は散髪したばかりなのか短めですっきりしているし、土で薄汚れていても無精ひげも伸びていない。


 ちぐはぐな外見の青年だったが、イサリアはもちろん気づかない。そんな常識も覚えていないからだ。


「そんな訳でここが何処なのかもわかりません」

「見ればわかるだろう。『見捨てられた地』だ」

「見捨てられちゃったんですかー、そんな雰囲気ですね」

「知らないのか?──いや、さっき自分のことも知らないとか言ってたような……」

「わたしの記憶は三日前から始まった感じで、それ以前のことはさっぱり」


 イサリアは言葉はわかるので、会話には困らなかった。だが、例えば師匠の庭園に咲く花を見て、花であること、白いことはわかるが、花の名前はわからない。

 目の前の青年を見て、男の人で、年齢も若いことはわかるが、それだけなのだ。


 見捨てられた地と言われても、何処のことなのかは判らなかった。


「師匠がいるんだろう。教わったんじゃないのか?」

「師匠と会ったのも三日前で、初対面みたいなこと言われて……それにこんな風にポイ捨てされると思ってなかったから、治療術を学びながら失われし過去を聞いていけばいいかなって」

「……そうか」


 イサリアに危機感が足りなかったのも原因のひとつだろうが、たった三日では新生活に慣れる間もなかった。過去よりも現在、どうしたらいいのかを尋ねる必要があったのだ。


 それに、治癒魔法の勉強が最優先だという様子の師匠に逆らえなかったのである。


「よく考えたら、師匠の名前も聞いてなかった……」

「それは最初に聞いておけ」


 そうですね、とイサリアも素直に同意した。尋ねるタイミングを逃してそのままだった。


「それで、えーと、師匠が人を癒やして世界を救う力だとか言ってたので、とりあえず誰かを助けるのがわたしの役目かなと思って、最初に出会った人に助けに来ましたと言ってみただけなのです!」


 深い意味はまったくない。


「おまえが助けを求める立場じゃないのか?」

「ですよね。という訳で助けて下さい!」


 イサリアが目の前の青年に助けを求めると、青年は素っ気なく拒否した。


「俺は呪いを受けて、関わる者すべてに破滅をもたらす災厄の塊みたいなものだ。早く立ち去れ」

「え?わたしより困ってますか?」

「国一番の魔術師でもどうにもならなかった。こうして人の来ない場所で、果てる時を待つだけの身だ」


 それはどう考えてもイサリアより困った状況だろう。そんな救いのないまま放っておいていいのだろうか。


 イサリアに使えるのは、初歩の治癒魔法だけだ。国一番とは比べるべくもない。

 だが師匠は、他はその応用でなんとかなると言っていた。

 助けたいと心から願えば、それがすべてを救う力になると。


 だからイサリアは願った。


 この見捨てられた地に他の人間がいるとも思えないので、師匠はこの青年を助けろとイサリアをここへ放り出したのかもしれない。


「レース・オール・リヴァス」


 杖を握り締め、イサリアは心に浮かぶ言葉を唱える。

 意味など知らない。

 記憶のないイサリアには聴いた覚えのない言葉だ。


「アレス・イリス・レストール」


 呪文に反応して杖が力を放った。

 訝しんでいた青年にも、それが何かの魔法だと解ったようだ。


「おまえっ、三日しか学んでないって……!何をする気だ!?」


 イサリアが魔法を使うとは思っていなかったのだろう。慌てて立ち上がって、白い魔法の光から逃れようとしていた。

 しかし青年はギクリとして動きを止めた。

 イサリアはただ杖を握って、無心でそれを眺めていた。


 青年の近くに、大地から生まれ出て来たかのように白銀の剣が出現していた。白い光を受けて輝いている。


 青年は震える手を剣に伸ばす。

 突如現れたそれを恐れる素振りもなく、疑問を発することもなく。

 僅かにためらいを示したものの、しっかりと剣の柄を握った。


 その瞬間、イサリアが生んだ光とは比べものにならない強大な白光が剣から放たれた。視界がすべて白く染め上げられる。


 あまりの強さにイサリアは耐えきれず、そこで気を失ったのだった。

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