【完結】奉仕者達の見る夢は ~剣と魔法のネット社会で記憶をなくした少女の113日間~

八番。

第1章 目覚め

第1章 Part 1 何も思い出せない


 螺旋階段を駆け上がる。


 マリアの心臓は、破裂しそうなほどに脈打っている。


 螺旋階段の終点、最上部の小部屋。

 その扉が見えてきた。


 お願い……開いていて……!


 やっとの思いで扉に辿り着き、ドアノブに手を掛けた。


 カチャリ……。


 良かった。鍵はかかってない。


 マリアは素早く扉を開け、部屋に滑り込んだ。


 ビリッ!


 ドアの金具に黒いドレスの袖が引っ掛かり、少し破れてしまった。

 だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

 扉を閉め、内側から鍵をかける。


「ハアッ……ハアッ……ハアッ……」


 肩で息をしながら、扉を背にして座り込む。

 その直後、体中からドッと汗が噴き出し、足がガクガクと震え始めた。

 今まで押さえ込まれていた疲労と恐怖心が全身を支配する。


 大丈夫。兵隊には見つかってないはず。このままやり過ごそう。

 父さん達、自警団が何とかしてくれるよ。

 先生だって、備えをしてるって言ってたし。

 自分を励ますように言い聞かせる。




 ふぅ……。


 ようやく呼吸が落ち着いてきた。


 マリアがこの部屋に入ったのは初めてだった。

 部屋の中を見渡すと、部屋の奥にある祭壇が目に留まる。

 白いシーツが掛けられた質素な祭壇、その中央に「それ」はあった。


 黒い円柱形の塊が浮いているのだ。


 大きさは彼女の肩幅くらいだろうか。

 美しくカーブした側面をこちらに向け、息をするようにわずかに上下しながら祭壇の上を漂っている。

 塊には青く光る曲線が幾本も刻まれており、模様がスライドしていくことで、ゆっくりと横回転していることが分かる。

 青い光は時折仄かに瞬きつつ、沈黙を保っている。


「……何、これ……?」


 正直、浮遊物自体は珍しくない。

 最も簡単な魔法は「操作魔法」、つまり物体を意のままに動かす魔法だ。

 道具に操作魔法をかければ、自動的に作業を行わせることができる。

 魔法により浮きながら独りで畑を耕すクワは、春には見慣れた風景だし、マリア自身だって棚に置いてある本を手元に引き寄せるくらいはできる。


 しかし、この物体はそれらとは明らかに違う。

 何か異様な雰囲気と独特の存在感を静かに放ちながら、祭壇の上に鎮座している。


 怪しげな物体に近づき、触れようと恐る恐る手を伸ばした、ちょうどその時……。




 バンッ、バンッ……!


 背後で扉を蹴る音が響いた。

 とっさに手を引っ込め、扉の方に向き直る。

 ここまで来た……?


 3度目の衝撃とともに蝶番がひしゃげ、扉がこちら側にゆっくりと倒れた。

 扉の落下音が塔の内側に重たく反響すると同時に、細かい埃が巻き上げられ、ステンドグラスに色づけられた鮮やかな陽光の中で泳ぐ。


 入ってきたのは、帝国兵らしき甲冑を身にまとった3人の男だった。


「住人だ! やっと見つけた!!」

「チッ……子供か。まあいい。教会関係者かも知れん。本隊に連れて行こう」

「おい、娘。

 大人達はどこにいる!?」


 男達が問い詰める。

 マリアは無言で一歩後ずさりする。


 沈黙を破ったのは、あの黒い物体だった。


 キューーーーン……。


 機械的な音を上げながら、その回転が速くなる。

 やがて物体を取り囲むように、ザワザワと空気が渦を巻き始めた。


「何だそれは?

 おい、お前! それを止めろ!!」


 武器を構えた帝国兵がマリアに命じるが、彼女にはどうすることもできない。

 マリアもゆっくりと、視線を物体へ移す。


 塊は、次第に白く光を発しはじめた。

 耳をつんざく騒音も、甲高く、そして大きくなっていく。


 男達が何やら叫んでいるが、騒音にかき消されマリアには聞こえない。

 遂には兵隊の1人が剣を振り上げ、彼女に向けて足を一歩踏みだした。


 その瞬間……物体を中心に光の波が広がった。


 光が更に強くなり、マリアの体を飲み込む。


 膨張を続ける球状の光に男達も飲まれてゆく。


 そして、ひときわ強い閃光が走った。


 …………――――。






【500.4】


 目を覚ました時、周囲には誰もいなかった。


 ぼやけた視界に写る、見覚えの無い灰色の天井。

 柔らかいシーツと枕の感触。


 ベッドの上で寝ているようだ。

 体が妙に動かしづらいな……。

 拘束されたりしている訳ではないみたいだけど、体全体が不自然にこわばっている。


 ベッドの中で掌を握って、開いて……。

 何度か繰り返すうちに、体の不調は治まっていった。

 足も動く。起き上がれるかな。


 ベッドの上で上半身をゆっくりと起こしてみる。


 視線の先には、剥き出しのレンガ造りの壁。天井と同じく灰色のレンガが何とも味気ない。

 古い建物の中の一室のようだ。知らない場所。

 天井も壁も、そして床も灰色一色。

 加えて、窓が1つも見当たらない。地下室だろうか?




 ここは何処だろう……。

 何で今まで寝ていたんだっけ……。


 分からない。何か、頭がボヤッとする。

 思考に霞がかかっているようで、考えがうまくまとまらない。




 それにしても静かだ。周囲には誰もおらず、物音1つしない。

 部屋の中は微かに埃っぽい匂いがする。長い間使われていない場所なのだろうか。

 ひとまずベッドから起き上がってみよう。

 多少フラつくものの、立つこと、そして歩くことは問題なさそうだ。


 体が重い。

 しばらく動いてなかったみたいな感じ。




 見回してみると、自分が寝ていた空間は意外と広いことがわかる。

 ベッドの他にテーブルや戸棚など、いくつかの家具が置いてあり、部屋も複数存在するようだ。

 壁に木製の大きな扉がついているのが目に入った。


 近づいて扉を開けてみる。

 ……外だ。ということは、ここは1階。

 この扉は建物の出入り口か。


 眼前には若々しい緑の草原が風になびいており、奥には森が見える。

 これらの景色にも見覚えはないが、灰色の室内とは違い、開放感が自分を包む。


 ゆっくりと深呼吸をした。


 段々と、頭がクリアになっていく。


 自分の現状を知る手がかりを探してみようと一度室内に戻ったところで、深刻なことに気がついた。




 ……私は、一体誰?




 直前の記憶だけじゃない。

 名前はおろか、過去が全く思い出せない。

 急に心細くなり、鏡を探す。




 あった。

 生気の無い灰色の壁に大きな姿見が掛かっている。急いで駆け寄る。


 姿見には、紺色ミディアムヘアの少女が写っている。

 年齢は十代半ばくらいだろう。

 服装は、黒を基調とした洋装で、下はスカートだ。首元にオレンジ色の小さなリボンが付いている。

 ドレスの右手側の裾に、丁寧に縫われた跡がある。破れた生地を繕ったようだ。


 これが私の外見か……。


 相変わらず見覚えがない。赤の他人の写真を見ているかのよう。

 鏡で自分の姿を見れば記憶が蘇るかもと期待していただけに、だんだんと焦りを感じ始める。


 まず、自分の名前が分からない。

 そして、今日が何年の何月何日で、この場所がどこで、自分とどんな関係があり、なぜ今まで寝ていたのかも。


 この建物の中にある物から、自分の記憶に繋がる手がかりを探すしかない。




 まず、最初に目覚めたのは寝室だ。

 自分が寝ていた分を含めてベッドが合計5つある。

 隣の部屋との間はドアで区切られている訳ではなく、そのまま部屋同士が繋がっている。


 その隣、今自分がいる部屋には、屋外に通じる扉のほか2つのドアがある。どうやらここはエントランスらしい。


 エントランスには小さなテーブルがあり、そこに透明なグラスが置いてある。何だろう?

 グラスの内側は乾いているものの、薬品臭い香りが僅かに残っている。


 そして、グラスの下に1枚の紙切れが敷かれているのが目に留まった。何やら黒いインクで文字がしたためてある。


 私は紙を手に取った。

 ……よかった。文字は読める。読み書きは忘れていなかった。


 このように書いてある。


________________ _ _

 あなただって1人の人間です。

 私の都合で勝手に巻き込んでしまい、本当に申し訳なく思っています。

 何も分からなくて不安だと思いますが、どうか我慢して下さい。


 まずはこの建物を拠点に準備を整えてから、慎重に外の世界を探索して下さい。

 自分の目で、心で、今の世界の有様を感じ取って下さい。

 そして、人が「ネットワーク」を使うことの是非を見極めてほしいのです。


 この場所が信用できる人間以外に知られることは可能な限り控えて下さい。不要な争いを避けるためです。

 あなたの名前ですが、本名で活動すると、あなただと気付かれ妨害される可能性が高いので、偽名を使うことをお勧めします。

 冒険物語の主人公「ドロシー」なんてどうでしょうか。


 あなたの旅路の最後に、答えに辿り着くことを祈ります。


P.S.

 寝室の収納棚には、最低限必要になりそうな物を入れておきました。自由に使って下さい。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄  ̄


 ……何これ? 誰が書いたの?

『何も分からなくて不安だと思いますが』ってことは、今の私に記憶がないことを知っている?

 これを書いた人が私を拉致して、記憶を失わせて眠らせた、とか?


 …………。


 急にこの建物が不気味に思えてきた。

 周囲を見回す。


 やっぱり人の気配はない。静かだ。




 誰もいない。拘束もされていない。出口の扉も開いてた。

 拉致監禁って訳ではなさそう。

 かと言って、怪我してる訳でもない。助けてくれたってことでもないか……?




 改めて書き置きに目を通す。


 この書き置きの主が私に何かをさせようとして、この状況を作り出したってことは間違いないようだ。

 書かれた内容を信じれば、だけど。


 「ネットワーク」って単語が重要そう。でも何のことか分からない。

 それに、本名で活動すると妨害される……? 誰に?

 危険なことに足を突っ込まされてる?


 うーん。分からない。


 それにしても、ちょっと理不尽じゃない?

 この書き置きの主は一体何様なの?

 私に何かさせたいなら、こんなことせず直接頼めばいいじゃない。

 それに何で私以外誰もいないの?

 何で記憶がなくなっちゃってるの?




 はあ……。

 心の中で愚痴ってても仕方ないか。

 暗い気持ちでいると、どんどん心細くなる。

 明るく行こう。カラ元気でも。


 とりあえず、記憶がハッキリするまでは「ドロシー」でいるしかないか。

 不本意だけど。

 もし誰かに会ったとき、名前が無いのも困るだろうし。

 そして、まずはこの書き置きのとおりに行動するしかないだろう。

 不本意だけどね。

 そうしていれば、書き置きの主にも会えるかもしれない。




 あ、そうだ。寝室の収納棚! 調べてみよう。


 棚を開けるとそこに入っていたものは3つ。

 1つ目は、伐採用の斧。

 重すぎて、女の私には持ち上げることすら難しい。

 自由に使えって言われてもね……。


 2つ目は、小さな指輪。

 装飾はなく、シルバー製の単純な形状のリングで、内側に「B.R.」と文字が彫られている。イニシャルだろうか?

 私にゆかりのある物? 私の名前?

 少なくとも今は何も思い出せない。

 試しに指に嵌めてみようか。


 すると、ある程度手に近づけたところで、指輪は勝手に動き出して即座に指に収まり、外れなくなってしまった。

 ちょっと、何これ……。


 3つ目は、使い古された紫色の表紙の書物。題名は、『魔法習得の手引き』。


 ……魔法? 何それ?

 とりあえず開いてみる。


________________ _ _

 この手引きは、魔法未習得の人間が基本的な魔法を扱えるようになるまで、1から説明する教材です。

 少しずつ魔法技術を磨いて、快適な生活を送りましょう。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄  ̄


 魔法が何かは知らないが、知識は多い方がいい。

 読み進めてみよう。


________________ _ _

第1章 まずは簡単な魔法から


 魔法の細かい原理を説明するのは後にして、まずは魔法の力を実感してみましょう。

 今から魔法の中で最も簡単な、軽い物体への操作魔法を発動させてみます。

 魔法の発動には、術者の魔力(MP)の消費を伴いますが、今回試す魔法は魔力消費の少ないものですので、心配はいりません。

 それでは始めます。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄  ̄


 操作魔法?

 手を触れずに物を動かすっていうこと?

 それってスゴい事なのでは?


________________ _ _

1.身近にある小さくて軽いもの(木の実など)を1つ選んで、目の前の床に置いてください。

 これが今回操作する対象の物体となります。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄  ̄


 今持っているものと言えば……これしかないか。

 棚から先ほどの斧を何とか引っ張り出し、床を引きずりながら目の前部屋の真ん中めで持っていく。

 おっと……。足を下敷きにするところだった。危ないな。


________________ _ _

2.対象の物体を凝視し、精神を集中してください。

 対象を動かすこと以外は考えないようにしましょう。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄  ̄


 斧を動かす!

 斧を動かす!


________________ _ _

3.操作魔法を発動させます。

 心の中で対象を持ち上げるよう強く念じながら、『ゲーテ』と唱えてください。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄  ̄


 一度目をつむり、斧を持ち上げるイメージを描いた後、目を開いて斧を見つめ、唱えた。


「ゲーテ!」


 すると、斧はふわりと空中に浮いた。

 あんなに重かった斧が。


「スゴいじゃない! これ!」

 何これ。楽しい。


________________ _ _

4.対象の物体が宙に浮いたならば成功です。

 もし才能のある方ならば、この時点で自分の意志に従って対象を自由に動かすことができるでしょう。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄  ̄


「なるほど……えい! 回転!」


 本当に回転した!

 斧は高さを一定に保ちながら、その場でクルクルと回り始めた。自分の思い描いた通りだ。


「よし、次はこのまま前に移動……」


 斧に向かって前方に進むように頭で念じてみる。

 すると突然、斧は肉眼で追えないスピードで前方に射出され、正面の壁に轟音とともに激突した。




 パラパラパラ……。




 破片の落下音の中、尻餅をついた私が見つめる先には、頑丈そうな壁の中央にポッカリと大穴が口を開け、その奥の廊下が顔をのぞかせていた。

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