さらわれ少女の消えた理由 10『さらわれた少女④』
メルヴィル卿を連れてきて、床に転がす。
脅迫状について聞くと、最初は否定していたものの、証拠を叩きつけられ、あっさりと自分がしたことを認めた。
どうやら、これに関しては、彼の単独で、理由はただの”腹いせ”らしい。
さあ、これでひとつ用事が済んだ。あとは、本題。我慢の限界が来る前にしなくちゃ、とエリュシオンはチラッと兄を見た。
「それで? 『イシュタルの使い』はどこにいるの?」
さっきまで大人しく話していたメルヴィル卿が、血相を変えて、急に扉へ向かって走りだした。まったく、諦めが悪いんだから、とエリュシオンが指先を動かす。
「
だけど、
「貴様! 出家した分際でこの私に魔術を使うとは。ふ、ふざけるな!!」
「黙れ」
「っ」
感情の
「ねえ、なんで急に逃げるの?」
「わ、私は何も知らない!! 知らないんだ! 本当だ。し、信じてくれ!!」
そう言われても、ねえ。
兄に目を向ける途中で、視界の端に小瓶が落ちているのに気づく。転がった時に落ちたかしたんだろう。
それを手に取ると、メルヴィル卿が蒼白して小刻みに震えだした。
これは、薬を入れるための小瓶? 自分もよく知るやつだ。持病がなにかのだろうか。いや、もしそうなら、こんなに
毒にしたって、貴族だったら一つやふたつ、持っていてもおかしくないものだし。なら、もっと法的に持っていてはマズイもの。
────”ピストス”
だろう。こんな物を見つけてしまうなんて大当たりもいいとこだと、エリュシオンは小瓶を灯りに照らして、中身を揺らした。
それは、奴隷が多かった、ひと昔前のこと。
その頃はまだ、家の中や街の中に奴隷は労力として雇う者も多かった。だけど、ある貴族が欲の
洗脳する、という手もあるけど、今よりずっと貴族の気位が強かった時代。
これを飲ませれば、確かに
働かせる為に雇った奴隷がそんなでは意味がない。
それで、使えなくなった奴隷をどうしたか?
最初は焼いて処分していたという。
でも、それが段々面倒になった貴族は、街外れに捨てる様になり、そこで死んで行った奴隷が原因で疫病が発生する。
根絶するまで3年あまり。その事が明るみに出ると国王は奴隷禁止令を下すに至った。
『奴隷の報復』と言われる歴史上の出来事である。
その為、ピストスは危険な薬物とされ、今や仕入れや取り扱いには身分がしっかり記載された許可証が必要で、使った後の小瓶でさえも、返却をする事になっている。
今では、罪人の罪を暴くために、管理をされながら牢獄か法立館で使用しているくらいなもの。
「そんなものは知らない!! そうだ、誰かが私に罪を着せるために忍ばせたんだ!」
言い訳を聞いているだけでも不快感を覚える。エミュリエールは眉を
「た、た、助けてくれ!」
その視線が、殺されるとでも思ったのだろうか。
いつも横柄なメルヴィル卿が、命乞いをしている。それ自体は愉快だけども、自分らは今回、サファの居所を突き止めるのが優先。
もう少し手がかりになる情報が欲しい。エリュシオンは、必死に助けを求めるメルヴィル卿の顔を覗き込んだ。
「連れ去ったのはアイヴァンだよね。ちゃんと目撃者が居るんだから。どこにいるの?」
「知らない! 戻ってくるはずが、朝出てったきり帰って来な、」
はっ、と言葉を止めたメルヴィル卿が口を覆った。
しめた。エリュシオンはにっこりと笑顔を返す。それなのに、彼は水分が無くなってしまうのではないかいうほど、冷や汗で床にシミを作っていた。
「彼女を拐ってどうしようと思ったの? あの子、頑固なんだから。連れて来てもいうことなんて聞かないよ」
「…………」
「そう」
メルヴィル卿は黙っている事にしたらしい。ならもういいか、とエリュシオンは顔から笑みを消した。
「例えばこの薬を使うとか……」
何がそんなに怖いのか。メルヴィル卿は勢いよく首を横に振っている。
「その瓶はなんなんだ?」
エミュリエールが聞く。
小瓶の蓋を開けて、エリュシオンが匂いを嗅ぐと、この薬特有の甘さが鼻をつく。間違いない。
これの優れているところはもう一つ。洗脳なら自分より魔力の多い対象には効かない。だけど、薬なら相手がどんな魔力の持ち主でも効果がある。もちろんサファにも。
「ピストス、だよ」
あ。
感情で一時的に制御できなかったエミュリエールの魔力放出されると、締め付けていた縄が一気に食い込み、メルヴィル卿はガクリと倒れる。
「もしかして、
「一歩手前だな」
その言葉にエリュシオンは苦笑いを浮かべた。
その後、
「僕らはいったん戻ろう」
「お前はなんでサファを養子にすると言ったんだ?」
窓を開けていると、エミュリエールが唐突に言う。
聞かれる気はしていたけれど、正直な理由はまだいうつもりはない。
「結婚したくないんだよねぇ」
エリュシオンは差し支えなく答える事にした。
「サファをダシに使って、私を家に戻そうとしているんじゃないのか?」
はぁっ、と息を吐く。
「確かにあの子がいたら、兄上を還俗させるのに使えるかも、と思ったことはあるけど。でも、それは違う気がするんだよね。僕たちは、そろそろ気持の整理をつけなきゃしけない。だから、彼女のことは抜きで、帰ってきたら? て思うんだ」
「…………」
そう言えば、最近は、昔あった事への怒りや憎悪は薄まった気がする。しかも、忘れている事さえあった。それは、時が過ぎたからなのか、それともサファの事で頭が一杯だからなのか。
エミュリエールは弟の瞳をじっと見つめ返した。
「まぁ、すぐにって訳じゃないから、考えておいてよ。いつでも歓迎いたします、兄上様」
やうやうしくお辞儀をして、なんちゃって、とエリュシオンは背を向けた。
部屋を染めるオレンジ色が濃い。日没が近づいている。
「とりあえず今は戻ろ」
寒さが増した空。メルヴィルの邸から飛び立ち、街門の上を通りすぎる。そこになにやら話している見覚えのある二人組が目に入った。
ん? あれは。
「兄上、ちょっと寄り道するよ」
2人は移動を止めたあと、その門に向かって降りていった。
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