さらわれ少女の消えた理由 4『迷子じゃない!』

 わたしを持ちあげた人物の顔が目の前にある。相変わらずうるわしいその人はにっこりと笑っていて、まがい物のように掴みどころがない。


 道ゆく人が振り返っていく。それもそのはずで。こんなきらきらした人物なんて、ここでは珍しいのだから。なんだか自分が見られているようで、気恥ずかしかった。


「可愛げのない悲鳴だねぇ……」


 第一声がソレですか、

 と、サファは彼に半目を返した。


「突然持ち上げられればビックリもしますよ。何をしてるのですか? エリュシオン様は」

「そりゃ、もちろん危険がないか見てるんだよ」


 君のね、という言葉を伏せてエリュシオンは目配せをした。


「そういうのは、部下がするのではないんですか?」

「だって、僕はアシェルの部下だもーん」


 まったく、返事まで掴みどころがない。見回りなんて、普通なら騎士の下っ端にさせるものだろうに。

 まさか、出店が見たくて?


 サファは傾げた首をふるふると振った。


 そんな訳ないか……謎だ。


 コロコロとはぐらかされている感じがするのになぜか恨めず、色んな意味で危ない人だと思うのに、不思議と恐怖感はない。


「君こそ、こんなところに1人でいたらさらわれちゃうじゃん。どうしたの?」

はぐれてしまったのです。エリュシオン様、すみませんがわたしを大聖堂まで連れてって頂けますか?」

「そっか、迷子ね」


 孤児院に来たときは、よく迷うわたしをライルが方向音痴だとからかっていた。自分ではそんな事はないと思うのに。


「違います!」


 ムキになって答える。


「あはは、分かった、分かった。歩きになるけどいい?」

「お願いします」


 きっと今頃、わたしを見失ったハーミット様が死にそうな顔をしているに違いない。早く帰らないと。


「あの、降ろしてください。わたし歩きますから」

「やだよ、君いなくなりそうだもん。よいしょっ」


 そう言ったエリュシオンが、サファを抱え直し歩き始める。服の空気が追い出されて、ふわりと馴染みのあるサンダノン(白檀びゃくだん)が香った。さっきまでいた場所が、肩越しに遠くなっていくのを眺めていると、また男の子の事が頭に浮かんできた。


「エリュシオン様」


 国の事をよく知る彼なら、あの子の事を何か知っているかもしれない。


「なぁに?」


 サファはあそこにいた理由と、今し方会った男の子の事をエリュシオンに話すことにした。


「あの子は、孤児なのでしょうか?」

「あー……それは、孤児になりたくない子だね。浮浪児って言われてる」

「孤児院というものがあるのにですか?」


「そ、この国ではここ最近になって魔獣がよく出るようになったからね。親を亡くした子供たちを国が保護しきれていなくて。それに、その子たちも、孤児院という所がいい場所ではないと思っているからか、警戒して逃げ隠れてしまうんだ」


 孤児院とうたっていても、奴隷のようにこき使われるところや、品物のように売りとばされることもあるという。孤児院で割と不自由なく過ごしているわたしは、それを聞いて驚いた。


「領主様はそういう子供たちを助けてあげないのですか?」

「アクティナ領は、バウスフィールド家が管理する事になっていたんだけど、うちには今僕しかいなくてね。今は国に管理をお願いしているんだよね」


 彼はポリッと頬を掻いた。


「え?!」


 もしかしなくても、エリュシオン様ってすごく偉い人なんじゃ。

 そんな人の養子になるなんて、夢にも思ってなかった。


「なぜ、わたしを養子にしようと思ったのですか?」


 エリュシオン様ほどの麗人れいじんなら、結婚相手も、養子の相手も少なくないだろうに。


「えっと。僕、結婚したくないんだよねぇ」

「へ?」

「それに、子供も嫌いだし」

「えぇ……」

「だけど、何となく君なら養子にしてもいいかなと。あはは、うまく言葉にできないんだけどさ」


 それだけじゃない気もするけど。彼の言っていることが分かる気がする。言葉や、数字にできない、なんとなく、というのはわたしにもよくあるから。


 立ち止まった曲がり角の反対側は、もう店が閉じられて暗くなっている。終わっちゃうんだ、と思うと自分まで消えてしまいそうで切ない。

 向こうの建物の隙間から見える星空に気づき、サファは上を見あげた。


「降ってくるみたい」


 紛らわすように満天の星空を眺めつぶやく。


「この時期は、空気が澄むからよく見えるね」


 彼も同じように空を見上げていた。


「君の役目も終わったね」

「嫌な言い方をしますね」


 追い討ちをかけられたようで、ムッとして頬を膨らませた。


「あはは、ごめんごめん。だけど、そしたら次の役目を探さなきゃね」

「役目?」


 次は何して遊ぶ?

 そんなノリで言うエリュシオンをサファイアは不思議そうに眺めた。


「そうだよ。君は、春になったらそこそこ偉い家の養子になるんだから、できることも少し増えるでしょ。例えば、そう、さっきの子みたいなのを助ける事とかね」


「そんな事、わたしには」


 できるわけがない。


「できた、できなかったじゃない。やったという過程だよ、だいじなのは。もしかしたら、認められない事もある、認められても君が死んだ後かもしれない」


 まだ、見あげたままの彼の横顔が、紫色の瞳が、自分の終わりを悟ったように綺麗に煌めいている。


「……過程」

「そう、やったっていう君の通った道」


 なぜだろう、エミュリエール様やアシェル殿下とも違う、なのに、その言葉は小さくなっていたわたしの心のロウソクにまた火を灯し、体に熱を伝えていく。


「エリュシオン様は不思議ですね」

「えぇ? なんで」


 わたしを見た彼はいつものように明るく笑っていた。


「何年も近くにいた人みたいです」

「僕と兄上は適合者だからね。そのせいじゃない?」


 そうなんだ。

 前は冷たかった服が今日は異常に温かく、そのぬくもりで安心する。寝てはいけない、と思うのに、カクンッと船をぎビックリして目を開けた。


「すみません」

「あはは、いいよ。いつもなら寝てる時間なんでしょ?」


 またゆっくりと歩き出した。


「どうしてこの話を?」

「迷子みたいだったから」

「迷子じゃありません、よ」


 眠くて朦朧もうろうとしていた。

 穏やかな揺れと、しっとりとした優しい肌触りの彼の服が、安心してもいいと言っているようで目が閉じていく。


「あはは、それはね、」


 言いかけた時、サファはゼンマイが切れた人形みたいにエリュシオンにもたれていた。クスリ、と笑う声が聞こえ、サファは楽しそうだなぁ、と最後に思う。


『目標があるほうが生きやすい』からだよ。


 だけど、その答えは聞けないまま、サファはもう眠りに落ちふんわりとした表情を浮かべていた。



           ※



 他の子供を養子にしたら?

 エリュシオンはさっきの会話を思い出していた。

 

 サファは国で保護するにも、修学院に通わせるためにどこかの養子にしたほうがよかった。それに、彼女を引き取ることは、自分の目的のためにもなり、エリュシオンには降って沸いたようなちょうどいい話だった。


 あったかいなぁ


 子供が嫌い、なのに抱えたこの温もりが意外と心安く、この子ならなんとなく平気だと思ったのも本当だった。兄に大事にされている事に嫉妬しているのにだ。


 まったく、憎らしいよ


 店が畳まれ、だんだん暗くなっていく街並み。サファのぼんやりと光を持つ髪を眺めて、エリュシオンは目を細めふと足を止めた。


 そっか、終わったんだっけ? 奉納式。


 彼は指の背を唇にあて、何かを思いつき「あっ」と声をあげた。そして、にっこり笑うと、建物の影で手紙をしたためる、飛行機の形にして空に飛ばした。


「これでよしっと」


 彼はそのままケリュネイアを出し、サファを抱えたままその背中に跨り、星空の中を飛んでいく。


 その日、サファが大聖堂に帰ってくる事はなかった。

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