モノカイン
穏やかな土曜日の午後、竜平はお洒落な雰囲気のカフェで絶品のケーキを目の前に、幸せなひとときを過ごしていた。
暑さもずいぶん和らぎ、かといって寒さも感じない絶好の晩夏の気候で、窓から差し込む光が心地良い。
目の前には大好きな高槻がいて、コーヒーを飲みつつ優しい目で竜平を見ている。
休日の今日、高槻の格好に学校仕様は欠片もなく、いつも顔の半分ぐらいを隠している前髪は横に流すように整えてあり、ダサい眼鏡もないその顔がよく見えた。
服装もいつものヨレヨレ白衣ではなく、センス良く重ね着したTシャツととても良い感じに色落ちしたジーパンをカジュアルに着こなしている。
多分、竜平と並んでも違和感が大きくならないように、高槻にしては少し若向けの格好にしてくれているのだと思う。
竜平個人的には大人らしい服装の高槻がたまらなく格好良くて好きなのだが、その格好で竜平と並んでいると下手をすれば親子にも見えかねないのだ。自分の子供っぽさを少し呪う瞬間である。
とにもかくにも、そんないつもよりも数段素敵な高槻を目の前にし、竜平の心臓はドキドキしっぱなしだった。普段とは違う刺激がたまらない。
多分、同じ学校の誰かに出会ったとしても、その人が高槻先生であると気付く者はないだろう。先生と生徒というタブーな恋愛をしている身にとっては、ありがたい事かもしれない。こんなふうに、堂々と街中を歩けるのだから。
とはいえ、男同士であるし、年の差もあるし、世の中の普通のカップルのように堂々とラブラブなんて出来ないのだけれど。
それでもこうして二人で休日にデート出来るのは、とても嬉しい。
竜平よりも13年経験豊富な高槻が連れていってくれるところはどこも、竜平にとっては新鮮で感動にあふれていた。
なぜ高槻がケーキの美味しい店まで知っているのかわからないが、先週高槻の家で一緒に見ていたテレビで美味しそうなケーキが出てきて、食べたいなあと一言漏らしたところ、それなら良い店に連れていってやるということになったのだ。
「ホントにうまいね、このケーキ!」
感激しまくる竜平を見て、高槻は嬉しそうに目を細める。
「先生は食べないの?」
「俺はいいよ」
甘いものは嫌いではないが、特別食べたいと思う事もあまりないと以前言っていた気がする。砂糖もミルクも入れないコーヒーを普通に飲んでいて、そんなことですらも大人だなあと思ってしまう自分のお子様加減がまた悲しい。
高槻が竜平に対して大人である事を望んでいるわけではないということはわかっているけれど、それでも竜平はもっと高槻に近付きたいと、そう思うのだ。釣り合いがとれるように、というよりも、それはきっと男としての憧れだ。
高槻みたいな格好良い大人になりたい。けれど、どんなに年を重ねても、竜平は高槻のようにはなれない気がする。
何となく悔しかったので、竜平は自分のケーキを一口分フォークですくい、高槻の目の前に差し出した。
「はい、あーん」
高槻は一瞬困ったような顔をして、けれど素直にそれを口に入れた。
「うん、うまいね」
口元に付いた生クリームを親指で拭う高槻を見て、何となく満足する。
「先生、俺、しあわせ」
「お手軽なやつだな」
「ケーキがじゃなくて、先生とこうしている事がさ」
抑えきれない口元のゆるみを誤魔化すように、高槻は煙草をくわえた。
嬉しいなら嬉しいと言えばいいのに。
案外不器用な人なのだと、最近わかってきた。そんなところがまた魅力的だったりもするのだ。
「あれ?宏斗?」
通りすがった人に名前を呼ばれ、高槻が顔を上げた。つられたように竜平もその人を見る。
「おお、充」
親し気に高槻と名前を呼び合うこの人を、竜平は見た事があった。生物準備室で、一度だけ。確か、学生時代の友人だと言っていたが、こうして近くでじっくり見るととても高槻と同い年とは思えない。まだ大学の学部生といっても全く違和感のない顔だちで、下手をすれば高校生でも通じそうだ。高校生とは思えない大人びた級友、栗山や岡田の方がよっぽど年上に見える。
「この店、まだ来てたんだ」
「いや、何年ぶりかだよ」
「僕も、すっごい久しぶりに来たんだよ。奇遇だね」
そうして二人が仲良さげに喋るのを、竜平は黙ってじっと見ていた。その会話に入っていくわけにもいかないし、かといって無視しているのもどうかと思う。所在なくそのやりとりを聞きながら、この充という人のために高槻はこのカフェに来ていたのかなと、そんなことをぼんやりと考えていた。
「相変わらずここのケーキはうまいよ」
「わ、珍しい、食べたの?」
充は唐突に竜平を見つめた。無遠慮な視線が、穴があくほどに突き刺さる。
「ずいぶん可愛らしい子連れてるじゃん。新しい恋人?」
「まあな」
高槻は友達だと言っていたが、多分、昔の恋人なのだと直感した。何となく自分と似た部分を持っていそうな充の雰囲気と、高槻の態度、それから、あとは、竜平の勘。男の竜平を見て、普通に恋人と判断したのは、高槻の趣味を知っているだけの友人というより、自分もその内側にあるからなのだろうと思う。
前にちらりと見かけた時もそうだったが、胸がざわつく嫌な感じがする。
「ねえ、もしかして、教え子に手つけちゃった?」
「…まあ、そうなる、かな」
「うわあ、やるね。ねえねえ、ちょっといい?話聞かせてもらってもいい?」
充は押しの強いテンションで、強引に高槻の隣に腰を下ろした。
「連れはいいのか?」
充の方も男性と連れ立って店に入ってきたところであり、そのお相手は一人で先に案内された席についている。充一人がここで道草をくっている状態なのだ。
「いいよ、あれは恋人とかじゃないから」
純粋そうな可愛らしい顔に似合わず小悪魔的なセリフを吐いて、充は竜平の方にも手をあわせる。
「ちょっとだけ。お邪魔はしないからさ」
「まあ、俺はかまわないけど」
高槻はご機嫌を窺うようにちらりと竜平の方を見る。
「俺も、かまわないよ」
「ありがとう。えーっと…何くん?」
「竜平」
「竜平君」
随分と人懐っこい性格のようで、充は初対面の竜平の両手をぎゅっと握りしめて、女の子みたいに睫の長い大きな目で竜平を見つめた。
(ああ、このペースに先生は巻き込まれていったんだろうな)
そんな事を思いながら、なぜだか徐々にこの人への敵意のようなものが薄れていくのを感じていた。なんだかとても人が良さそうだし、気さくだし、どこか親近感的なものも感じてしまったりして、とにかくどうにも憎めない人柄なのだ。
「あのさ、教師と生徒の恋愛ってどんな具合?竜平君はさ、先生と付き合うってどう思った?」
「どうって、あの、俺は、そういう事全然考えてなくて、ただ先生が好きだって気持ちばっかりで。…気にしてたのは先生の方かな」
「そうか、竜平君からアタックしたわけだ。そうだよね、宏斗はしがらみに縛られちゃう人だもんね。ていうか、よく落としたよね。すごいわ、君。尊敬するよ、うん」
キラキラした目で見つめられて戸惑った竜平は、ちらりと高槻に視線を流し、救いを求める。どんな反応をしたらいいのかわからない。
「結局お前は何がしたいんだよ。わざわざここに座り込んでまで下世話な詮索か?」
「いやいや、ごめんごめん。ちょっと僕、感動しちゃって」
何にそんなに感動するのかわからないが、充は目の前にあった高槻の分の水を勝手に飲み干した。
「あのね、竜平君。僕も宏斗と同じく高校の先生なのよ。実は今、生徒相手に恋しちゃっててさ。ほら、教師と生徒の恋愛っていろいろ問題あるじゃない?参考までに経験者の意見をうかがっておこうと思って」
「参考に、なるか?」
「ならない?あー、やっぱり?僕と宏斗とじゃタイプが違い過ぎるもんね」
あははと軽く笑った充だったが、けれど一瞬とても辛そうな目をしたのに気付き、この人は本気で悩んでいるのだと感じた。元恋人のデート現場に乗り込んでまでも、誰かに救いを求めているのだと。
「あの」
一緒に笑い飛ばしてしまうのはしのびなく、竜平は真剣に考えた。子供の自分がアドバイスできる事など何もないかもしれないけれど、大好きな高槻の大切な友人であるこの人の気持ちが少しでも軽くなるといい。
「大事なのはその人の気持ちなんじゃないかな。好きなら、相手が先生だからとか、関係ないと思うよ。そりゃ、まあ、ばれないようにこそこそしたりしなきゃいけないこともあるけど、でもほら、それはそれでまた楽しかったりもするし、ね?」
「でもね、好きでもない先生から告白されたらかなり引くよね。しかも、男だし」
「相手は、やっぱり男、なんですか?」
「はい、そうなんデスヨ、ごめんなさい」
「先生からっていうのは、難しいんだね。俺なんて、何にも考えてなかった」
「あーあ、竜平君みたいにアタックしてきてくれないかな~」
芝居じみたため息をついて、充は立ち上がる。
「お邪魔しました。ありがとね、竜平君」
充は竜平の頭を撫で、耳元に口を寄せた。
「その鋭さはいいね。宏斗にはぴったりだ」
高槻には聞こえないようそっと囁いたその言葉は、やけにくすぐったくて、嬉しかった。いつも高槻との差ばかり感じている自分が、これでいいのだと認められた気がして。
「宏斗、今度竜平君貸してくれない?宏斗抜きでじっくり話してみたいよ」
「何をだ」
「ん~?いろいろだよ。じゃーね」
冗談か本気かわからないような調子で竜平にウインクを投げかけた充は、ひらひらと手を振り自分の連れの元へと帰っていった。
「悪かったな」
その背を見送りつつ、仕切り直しとばかりに高槻はコーヒーカップを持ち上げる。
「面白い人だね」
「ああ」
「先生、あの人と付き合ってたでしょ」
飲みかけたコーヒーでむせた高槻を見て、やっぱりそうかと確信した。
だから何というわけでもない。高槻の年で過去に恋人がいないわけがない。けれど、どこか寂しい気持ちになるのはどうしてだろう。
竜平と同じように、あるいはそれ以上に、高槻を知っている人物が存在するその事に、そこはかとない切なさを感じる。
「俺は先生が初めてなのに、なんかずるいや」
竜平も高槻と同じくらいの年ならば、きっと条件は同じなのだろう。中には竜平の年でも栗山のように経験豊富な人もいるので、一概に年齢のせいだとは言い切れないけれど。
「竜平」
テーブルの上の竜平の手に、高槻の大きな手が重なる。
「初めての人になるのはもう無理だけど、最後の人にはしてやれるよ」
「せんせ…」
高槻の指に力が込められる。
ここが大衆の面前でなければ、抱きついて口付けたい気分だった。デートも良いけれど、こういう時、困る。
この衝動をどうしたらいいのか。
「でもそれだったら、俺にとって先生も最後の人になるんじゃん。だったら、やっぱり先生だけずるいよ。最初で最後の人なんだよ?」
「最高だな」
珍しく素直に幸せそうに笑った高槻に驚く。充の影響、かどうかはわからないが、何となくあの人に感謝する。
感動のあまり震える手で、竜平はケーキの上の苺を口に入れた。
何かしていなければ、平常心を保てない。
抑えきれない。
「ねえ、先生。この後どうする?」
「どうしたい?」
「先生以外、誰もいないところに行きたい」
「いいよ」
くすりと笑った高槻は、竜平の手を離し、のんびりと残りのコーヒーに口を付けた。
余裕を見せつけるみたいな高槻の仕種に竜平は少し頬を膨らませ、残り少ないケーキを口の中に押し込んだ。
<終>
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