モノクローム4

 気になることは確かめずにはいられない性格だった。

 思い立ったが吉日、それが竜平の行動理念である。

 その日の授業後、竜平は高槻を探した。

 職員室にその姿はなく、他の先生に訊ねたら生物準備室だろうと教えてくれた。普段から職員室にいることは滅多になく、生物室の主と言われるぐらい、終始そこで過ごしているらしい。

 あの淡々とした授業と同じように、先生たちに対しても馴れ合うことをしないようだ。

 孤高の人と言えば格好良いが、要するに変わり者なのだろう。


 校舎の一番端にある生物室の脇にある小さな部屋。そこが目的の生物準備室だった。

 軽くノックをして扉に手をかけるが、鍵が閉まっている。


「なんだ、居ないのか…」


 生物室の方は開けっ放しになっているので、おそらくすぐに戻ってくるのだろう。

 少し時間を潰していようと、竜平は生物室に入っていった。

 初めて入ったその部屋は、思っていたより広くて、想像以上に生物室であることを主張したレイアウトだった。

 お決まりの人体模型から、何かがいるらしい水槽。そして所狭しと並べられた植物の数々。

 おそらくは、高槻が管理しているものなのだろう。


(案外マメなんだな)


 三つある水槽は何がいるのだかよく分からないような状態になりつつある感じだが、植物の方はしっかりと手入れが行き届いている。

 教科書をなぞるような授業をする人なのかと思ったが、実際の生物と触れあうようなこともするのだろうか。それはちょっと楽しみかもしれない。

 それらを見ながら中をぐるりとまわると、準備室へつながる扉だろうと思われるドアがあった。試しに押してみるが、やはりそこにも鍵がかかっていた。


(早く戻って来ないかなあ)


 腰丈ほどのスチール棚にもたれ掛かり、竜平は窓の外を眺めた。


「うわあ」


 通りかかる人もいないだろうこんな敷地のはずれに、小さいけれど綺麗に手入れされた花壇があった。

 ちょうどそこに校舎の外へ出られる扉がある。勝手に鍵を開け、竜平は外へ飛び出した。

 畳一畳分ぐらいの花壇には、パンジー、ダリヤ、バーベナ、それから竜平の知らない花が何種類か綺麗に咲いている。

 竜平は花壇の前にしゃがみこんで、花を眺めた。

 この年頃の男の子にしては珍しいのかもしれないが、竜平は花や草などが好きだ。

 正確に言えば、それらを育てるのが好きだった。

 多分、同年代の子が育成ゲームにはまるのと同じような感覚だろう。

 手をかけるほど、目に見えて育っていく様が、とても楽しいと感じる。

 知識は全然ないけれど、あれこれ工夫しながら育て上げるのは、ゲームなんかよりもずっとリアルでエキサイティングだと竜平は思うのだが、あまり賛同してくれる友達はいなかった。


(あの先生が育ててるのかなあ、これ)


 適当にやっているだけの自分とは違って、しっかりと手が行き届いている咲き誇り方だ。


(だとしたら…)


 いろいろと、話をしてみたいと思う。

 教えてもらいたいこともたくさんある。

 教えてもらいたいといえば。


(俺、先生にあの視線の意味を聞きに来たんだよな)


 花を目の前にして忘れかけてしまっていた目的を思い出す。

 しかし、冷静になって考えてみると、一体何と言えばいいのだろう。

 俺の事、知ってるんですか?なんて言うのはちょっと変だし、俺の事見てましたよね?なんていうのもどうかと思う。

 勢いに任せてここまで来たのはいいけれど、言葉が見つからない。


(そんなこと、普通は直接聞かないよな)


 ただの、自分の勘違いであるかもしれないのだ。だとしたら、あまりにも恥ずかしい。

 たった一面識で、高槻の事など何もわかってはいないのに。

 遠回しに上手く聞き出す方法なんて、常にストレートな竜平には到底思い付かない。


(やっぱ、帰ろうかな)


 そう思って立ち上がった時だった。

 いつの間に戻ってきていたのか、煙草をくわえて窓を開けている高槻と目が合ってしまった。

 高槻は、すぐに目を逸らし、何事もなかったかのようにそのまま煙草に火を付け背を向けた。


「あの、先生」


 向こうが無視をしたのだからそのまま帰ってしまっても良かったのだが、つい、声をかけてしまった。

 こちらを向いた高槻は、煙を吐き出すと少し身を乗り出した。


「何か用か?」


 メガネの奥は相変わらず無表情だった。


「あの…この花壇、先生が作ってるんですか?」


 呼び止めたものの、何を言えばいいのかわからなくて、竜平はそんなことを聞いた。


「ああ、授業と研究のためにな」

「綺麗ですね」


 そう言うと、高槻は少し困ったような顔をした。


「また、見に来てもいいですか?」

「構わないよ」


 やはり、どうして俺を見ていたんですか?なんて聞けそうもない。

 小さく頭を下げて、竜平は帰ることにした。

 またそのうちに、もう少し先生と親しくなってから聞けばいい。


 走り去ろうと高槻に背を向けたその時、意外にも高槻の声が竜平を呼び止めた。


「江森」

「はい」


 竜平はびっくりして振り返った。

 淡々とした高槻が、大きな声を出したことに。

 既に竜平の顔と名前を覚えていることに。

 そして、振り返ってまた驚いた。

 自分でも驚いたような、困ったような、バツの悪そうな顔をしている高槻の表情に。


「…いや、なんでもない。気を付けて帰れ」

「あ、はい。さようなら」


 よくわからないけれど、興味深い人だと思った。

 淡々としていて人と馴れ合うのを嫌うちょっと変わり者の先生、というだけでなく、もっと奥深いものがあるような気がする。

 あの綺麗な花壇を作り上げるこの人と、授業中のこの人がどうしてもすんなり結びつかない。

 もっと知りたいと、そう思う。

 なぜだか気になってならないのだ。

 普段の顔の下に隠された何かを垣間見てしまった竜平の、好奇心の虫が騒いでいる。

 そこに何があるのか、それが何なのか、見てみないと気が済まない性格なのだ。

 見えなければ見えないほどに、興味をそそるものなのだ。


 とりあえず、明日もここに来てみようと、竜平はそう心に決めた。

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