モノシリーズ
月之 雫
モノトーン
細く開けられた窓の向こうへ、白い煙が吸い込まれるように消えていく。
長い指の間から、するすると、まるで生き物のように形を変え白く伸びていく一筋の糸。
雑然とした狭い室内であるが、そこだけが別次元のようにゆるりと落ち着いた時の流れになっているようだった。
そこにいるのは、生物室の主と呼ばれる教師、
そのセンスの悪い眼鏡をはずし、長すぎる前髪をかきあげれば、別人のように格好良くなるのを知っている人は、この学校に一体何人いるだろうか。
今、こうして少し目を細め、煙草をふかしているその姿は、まるで銀幕から飛び出した映画俳優のように絵になっている。
彼本来の、こんな姿を見られるのは、多分、校内では一人だけ。
「いいよね、煙草吸ってる仕種って」
誰のための席なのかわからないが、狭い生物準備室内に三つも置かれた机からキャスターつきの椅子を引っ張りだし、
煙草を持つ指に手を伸ばすと、高槻はさりげなくそれを遠ざけた。
「未成年には吸わせないよ」
「急に先生っぽいこと言わないでよ」
竜平が大袈裟に眉をしかめると、「いや、れっきとした先生だからね」と嘘くさい微笑みが返ってくる。
「そうだけどさ、二人きりの時はいいじゃん、そういうの」
高槻と竜平は、先生と生徒であるが、いわゆる秘密の恋人的な関係だ。恋人ではあるが立場上、公にはそれを隠して過ごしている。だけど、放課後にこうして二人きりで甘い時を過ごしている時ぐらい、先生でなくてもいいと思うのだ。ついさっきまで体を重ねていたのに急に先生の顔をされても困る。
「先生モードは十分脱ぎ捨ててると思うんだけど、まだ満足できない?」
普段、学校での高槻はいつもがっちりと仮面を被っている。よれよれの白衣にださい眼鏡、長い前髪で顔を隠して淡々と授業を進める。授業中はもちろん、休み時間だってまともな感情なんて見せた事がない。おそらく、クラスの誰に聞いても、近寄りがたいとか、何考えてるのかわからないとか、無気味だとか、そういった心証しか返って来ないだろう。
今竜平の目の前にいる高槻とは全くの別人だ。竜平の前でだけ、高槻は素の自分を晒す。
それは竜平が特別だという証拠だ。
「俺の仮面を剥がしたのは竜平だろう?」
間近でじっと見つめられ、顔が火照る。仮面を剥がした高槻は本当に格好良いのだ。誰にも知られたくないが、みんなに自慢して回りたい気もする。
「不満なんてないよ。ちょっと拗ねてみただけ」
「そうか」
高槻は灰の落ちそうになった煙草を一口だけ吸って、灰皿の上に揉み消した。
「もう終わり?」
高槻が煙草を吸っている姿が、妙に好きなのだ。
まだずいぶん長く残っているそれを終わらせてしまうのが勿体無かった。
口から吐き出される煙を目で追い、霧散していくのを惜し気に見つめた。
「興味のある年頃か?」
「吸いたいわけじゃないよ。だって、不味いじゃん」
「吸った事あるの?」
「ないよ。でも、煙草の後のキスって苦いから」
「嫌い?」
高槻の顔が近付いて、煙草の匂いが鼻をくすぐる。
「好きだよ」
目を閉じれば、望み通りの苦いキス。
不味いけれど、甘く痺れる口付けは、くせになる。
「煙草を吸ってる仕種がね、すごく好きなんだ」
煙草を挟む指とか、それをくわえる唇とか、それを吐き出す時の顔の角度とか。
つい、目で追ってしまう。
大人の男の魅力がそこには詰まっている。
とても絵になるその光景が、目に焼き付いて離れない。
「ヘビースモーカーになりそうだ」
そう言って高槻は机の上の煙草の箱を手に取ったが、もう一本吸おうというわけではなく、それを胸ポケットにしまった。
もう一度身を屈めて軽くキスをすると、立ち上がる。
「そろそろ帰ろうか」
「えー、もう?」
授業が終わり、二時間ちょっとというところだ。辺りは若干薄暗くなってきたぐらいである。
もっと、こうして二人の時間を過ごしたいのに。
「定時は過ぎたしね。今日は仕事も特にない」
尻の重たい竜平を、高槻の腕が引っ張り上げる。
渋々立ち上がった竜平の肩を抱くようにして耳元に顔を寄せ、そして囁く。
「うちに来ないか?今日は特別」
「ほんとに!?」
途端に目を輝かせる竜平の頭を高槻は笑いながらくしゃりと撫でた。
<終>
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