第117話 ちょっとした不安
「りょうくん、またね」
「あ、うん。またね」
合奏が終わり楽器を片付けて春香とまゆ先輩、りっちゃんさんを待っているとゆいちゃんが話しかけてきた。軽く一言交わした程度だが、あれだけ想いのこもった演奏を聴いた後なので、ちょっと気まずかった。
たぶん。この子は…まだ、戦うつもりでいる。まだ、諦めてくれない。と…あの音を聴いて感じたから……
「強いね…あの子…」
「いつからいました?」
ゆいちゃんがホールから出て行ってすぐに、僕の後ろからりっちゃんさんが呟いたので、ちょっと驚きながら僕はりっちゃんさんに尋ねる。
「ゆいちゃんと入れ違いだよ。何か話してたの?」
「いえ、普通に挨拶した程度です」
「そっか…」
「強いね。ってどういうことですか?」
「ん?気づいてるでしょ?あの子、まだりょうちゃんのこと諦めてないよ。すごいよね…」
「そう…ですね…」
「りょうちゃんも大変だねぇ…」
他人事みたいに言うが、つい先日まで僕が大変だった理由はあなたですよ…と思ったが、口に出さずに心の中で留めておく。
「りょうちゃん、りっちゃん、お待たせ」
楽器を片付けた春香とまゆ先輩と一緒に4人でホールを出る。その後は、りっちゃんさんがバイトしているお店で夕食を食べてそのまま、まゆ先輩の車でアパートに帰宅する。
「りょうちゃん、大丈夫?」
アパートに帰宅して、しばらくすると、春香とりっちゃんさんがお風呂に入りに向かった。リビングで僕と一緒にいたまゆ先輩がドライヤーでお風呂上がりの濡れた髪の毛を乾かしながら心配そうな表情で僕に尋ねる。
「え、何のことかわからないけど、大丈夫だよ」
ゆいちゃんのことだろうか…それとも……
「りょうちゃんには、まゆが付いてるから寂しかったらまゆに言ってね」
「そっか…ありがとう」
すごいなぁ…顔や態度には出していなかったはずなのに……ありがとう。
「お風呂出たよ…」
まゆ先輩に感謝していると春香とりっちゃんさんがお風呂から出てきた。そして、春香はソファーに座ってりっちゃんさんに髪の毛乾かして…とおねだりしている。りっちゃんさんはやれやれ。と言いながら嬉しそうに春香の髪の毛をドライヤーで乾かしていた。
「いいの?りょうちゃんの前でりっちゃんに甘えて」
春香ちゃんとりっちゃんがお風呂から出て入れ違いでりょうちゃんがリビングから出て行ったあと、まゆは春香ちゃんに尋ねる。
「え…そんなに甘えてないよ」
春香ちゃんは即答したが、まゆはどこが?と突っ込みたくなる。ホールを出て車まで歩いた時はりっちゃんとずっと手を繋いでいたり、夕食の時はりっちゃんに一口食べさせて。と言っていたり、アパートに着いてからはずっとりっちゃんの隣でりっちゃんにベタベタひっついて挙げ句の果てには一緒にお風呂入って…お風呂から出てもドライヤーで髪乾かして…とベタベタひっついている。完全にバカップルのすることじゃん……りっちゃんもりっちゃんで、えー。とか言いながら春香ちゃんの言うこと何でも聞いて春香ちゃんを甘やかしているし……
本人たちに自覚はないようだ。
はぁ…とまゆは溜め息を漏らしながらちょっとした不安を抱いた。大丈夫かな……
そして、夜中になり、いつものようにお布団をリビングに並べるが、春香ちゃんはりっちゃんに抱きついて寝てしまった。りょうちゃんを私が独占できるから嬉しいのだが……
「寂しい?」
春香ちゃんとりっちゃんは完全に寝ている。だから、まゆはりょうちゃんに尋ねた。腕がちょくちょく動いていたから、まだ起きていると思った。案の定まだ起きていたみたいで、まゆの質問を聞いて少し戸惑っていた。
「寂しい…のかな…でもさ、嬉しいんだよね。春香があんなに甘えられて、それを受け入れてくれる人がいてさ…」
「りょうちゃんは知らないと思うけど、去年の夏くらいからずっとあんな感じだったよ。りょうちゃんが来てから少し落ち着いてたんだけどね…」
「そうなんだ…」
りょうちゃんはまゆにそう返事をしながらりょうちゃんの横でりっちゃんに抱きついて眠っている春香ちゃんの頭を撫でてあげていた。まゆの頭は撫でてくれないのに……と、まゆが頬を膨らませていると察したりょうちゃんは春香ちゃんの頭から手を離してまゆの頭を撫でてくれる。ありがとう。
「寂しかったら、まゆをいくらでも可愛がってくれていいからね」
「ありがとう」
りょうちゃんはそう言いながらまゆを思いっきり抱きしめた。いつもは、春香ちゃんと半分ずつ…だったのに、今日はまゆだけがりょうちゃんを抱きしめている。大丈夫かな…
ちょっと、いや、かなり不安だ……
大丈夫だよね。きっと……
りょうちゃんと春香ちゃんなら…いや、りょうちゃんと春香ちゃんとまゆならきっと大丈夫。
そう思いながら、まゆは眠った。りょうちゃんとお互いに抱きしめあって、2人だけでお泊まりしている時のように………りょうちゃんに抱きしめられると、心の中にあった不安が、少しだけ落ち着いた気がする。
大丈夫。大丈夫。大丈夫…だよ……
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