第28話 儚い音色と友達の優しさ
練習がしたくてホールを訪れた私は、ホールの裏口の扉を開けた。ホールの表口はホールの内側からしか鍵が開けられないため、基本的に吹奏楽部のメンバーは裏口から入る。裏口からホールに入るとステージの下手側に繋がっている。ステージ下手の机に鞄を置いていると私はある違和感に気づいた。
「……まゆちゃん?」
いつも私が合奏で聞いているテナーサックスの音とは異なるようなテナーサックスの音色が聞こえてきた。それと同時に私の心の中で懐かしい感情が溢れ出てきた。このテナーサックスの音に宿る熱量を感じて昔の私を思い出していた。私が愛という感情を初めて音で表現した時のことを……
しばらく1本のテナーサックスと2本のチューバが奏でる曲を聞いていた。
まゆちゃんの感情がこもったテナーサックスのメロディーを2本のチューバは…2人のチューバ奏者はぴったりと息を合わせ本来2本あるはずのチューバが1本しかないと錯覚するほど息のあった演奏で支える。
まゆちゃんのこの感情をいっぱい込めたメロディーとそのメロディー支えている2本のチューバの演奏は私には儚く聞こえた。私はまゆちゃんに同情していたのかもしれない…
演奏が終わり、ステージの様子が変だった。私は気になってステージに入ると苦しそうにしているまゆちゃんがいた。私はすぐにまゆちゃんから、りょうちゃんと春香ちゃんを遠ざけた。こうしないとまゆちゃんが潰れてしまうと思ったから…昔の私のように…
そして、その選択は正しかっただろう。今、まゆちゃんは落ち着きを取り戻している。
しばらくするとりょうちゃんと春香ちゃんが水を買ってホールに戻ってきた。ホールのすぐ近くには大学の売店の建物があるのだが、今日は日曜日なので売店は開いていない。なので少し離れた場所にある自販機まで買いに行ってもらったが、りょうちゃんと春香ちゃんがいない間にまゆちゃんを落ち着かせることができて私はほっとしていた。
春香ちゃんが心配そうな表情で大丈夫?と聞きながらまゆちゃんに水を渡す。まゆちゃんはもう大丈夫。心配かけてごめんね。ありがとう。と言いながら水を受け取りペットボトルのキャップを開けて水を一気に飲み込んだ。
そして意を決したような表情をしたまゆちゃんは私たちに言う。
「心配かけてごめんなさい。みんな本当にありがとう。りょうちゃんとりっちゃんには申し訳ないんだけど少し春香ちゃんと2人きりにさせてもらえないかな?」
「わかった。りょうちゃん、ちょっと裏の控え室に行こうか」
私はりょうちゃんにそう言いまゆちゃんの横から離れてりょうちゃんを多少強引にステージから連れ出した。ステージにはまゆちゃんの望み通りまゆちゃんと春香ちゃんだけになった。
「春香ちゃん、心配かけてごめんね」
ステージで春香ちゃんと2人きりになったまゆは春香ちゃんに言う。春香ちゃんは優しい表情で全然大丈夫だよ。と言ってくれた。
「ねえ、春香ちゃん、さっきのまゆの音どう感じた?」
「え…なんか、その、すごいって思った。なんか、熱いって言うか…深い音だったと思う」
熱い…か…そう感じたんだ…春香ちゃんも…
「春香ちゃんごめんね」
「え…」
まゆに急に謝られた春香ちゃんはなんで謝られたの?というような表情をしていた。
「ごめんね。まゆ、りょうちゃんのことを好きになっちゃった…春香ちゃんがりょうちゃんのことを好きって知ってるのにまゆ…りょうちゃんのこと大好きになっちゃったの…」
まゆちゃんの言葉を聞いて私の心は少し動揺した。だが、その場で軽く息を吸いゆっくり吐いて呼吸を整えて私はまゆちゃんと向き合う。
「そっか…仕方ないよね。りょうちゃんはすごく素敵な人だから」
私は笑顔でまゆちゃんに言う。まゆちゃんは意外そうな表情で私と目を合わせた。
「まゆちゃん、もしかして私が怒るとでも思ってた?そりゃ、少し驚いたけど怒ったりなんてしないよ。人を好きになるのは仕方ないことなんだからさ…まゆちゃんがりょうちゃんを好きになっちゃったなら仕方ないよ。でも、だからって負けないよ。私もりょうちゃんのことが好き。だから、どっちがりょうちゃんと結ばれても恨みっこなし。って私は思う」
春香ちゃんの言葉を聞いてまゆは泣いてしまった。春香ちゃんに申し訳なかった。春香ちゃんに嫌われる覚悟で打ち明けたのに春香ちゃんは怒りもせずにまゆに優しく言ってくれて嬉しかった。まゆの心のモヤモヤは完全に晴れた。もう迷わないと決めた。
「ありがとう。本当にありがとう。でも、まゆ負けないからね」
「うん。話してくれてありがとう。お互い頑張ろう」
「うん」
まゆは本当にいい友達を持ったなって思う。春香ちゃんがりょうちゃんと結ばれても心から祝福できるだろうと私は思った。それはきっと春香ちゃんも同じだろう。
まゆが泣き止むのを待ってから春香ちゃんはりょうちゃんとりっちゃんのところに行こう。と言ってくれた。まゆは春香ちゃんと一緒にりょうちゃんとりっちゃんが待つ控え室に向かった。
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