楽しい夏休みの始まりです。

 


 姉さんを抱いた翌日、俺はいつものように学校に向かった。……昨日あれから、姉さんは何度も何度も俺を求めた。だから俺も、姉さんのその想いに応え続けた。



 とても長い、1日だった。頭が完全に真っ白になるまで、ただただ2人で溶け合った。



「…………」



 だからこんな日に授業を受けても、何も頭に入ってこないだろう。……でも、幸い今日は授業が無い。いや、今日だけじゃなくて、明日も明後日も授業なんて無い。



 何せ明日から、夏休みだ。



 だからこれから、ずっと姉さんと一緒に居られる。何も見ず、何も考えず、ただ姉さんと愛し合える。そう考えると、夏休みが楽しみで楽しみで仕方がない。




「…………」



 軽く笑って、教室を出る。終業式も、ホームルームも終わった。ならもう、こんな所に居る必要なんて無い。



 早く帰って、姉さんに会いたい。



 俺はその一心で、早足に廊下を歩く。……けど、まるでそれを遮るように、背後から声が響いた。





「やあ、真昼。……久しぶりだね。良かったら少し、話でもしないかい?」




 振り返る。そこには、俺に辛辣な態度をとり続けていた桃花が、当たり前のように佇んでいた。



「…………お久しぶりです、桃花。でもせっかくですけど、今日はちょっと用があるんで……」



 俺はそれだけ言って、桃花に背を向ける。今更、桃花と話すことなんて何も無い。


「待ってくれよ、真昼。……今まで辛辣な態度をとっていたことを、怒っているのかい? それなら……いや、君はそういうのでは怒らないか……。なら……いや、とりあえず待ってくれよ。君に、とても大切な話があるんだ」


「……今更なにを言っても、もう意味なんて無いですよ?」


「くふっ。違うよ、真昼。今日はそういうのじゃ無いんだ。……ボクは今日で、生徒会長の任期を終える。だから最後に、君とあの生徒会室で話がしたいんだよ」


「……え?」


 俺は桃花のその言葉に、思わず足を止めてしまう。桃花はそんな俺を優しい瞳で見つめて、ゆっくりと言葉を続ける。


「別に、驚くことじゃないだろ? 明日から夏休みで、 それに合わせて生徒会の3年生は引退だ。だから最後に、あの場所で君と話がしたいんだよ。……ダメかな?」


「…………そう、ですか。なら……いいですよ。最後って言われたら、ちょっと……断れませんからね……」


「君でも、寂しいって思ってくれるのかな?」


「そりゃ、思いますよ」


「…………ふふっ、ありがとう」


 桃花はそれだけ言って、歩き出す。俺は軽く息を吐いて、その背に続く。……今でも俺の心は、早く姉さんに会いたいと叫び続ける。



 でも、あの生徒会室に行くのは、これで最後になるかもしれない。そう思うと、桃花の誘いを断ることなんて、俺にはできなかった。




 だから俺は、うるさい蝉の声に背を向けて会長の背中を追った。



 ◇



 そうして、久しぶりに訪れた生徒会室で、俺たちは向かい合ってソファに座る。そして桃花は、長い脚を見せつけるように組み替えて、ニヤリと笑って言葉を告げる。


「まずは、すまなかったね。急に辛辣な態度をとったりして……」


「そのことなら、構いませんよ。……摩夜から事情は聞きました。俺と姉さんのことを思って、距離をとってくれてたんでしょ?」


「……そうか。摩夜くんから、聞いてしまったのか……。でも、それでも悪かったよ。ボクらがいると、君に迷惑がかかると思った。だからボクらは無理やり、君から距離をとることにした。それが君の為だって信じて、心を鬼にして突き放したんだ。でも今思えば、それはただの独善でしか無かった。だから……ごめん……」


 桃花はそう言って、俺に向かって頭を下げる。


「……頭を上げて下さい。別に俺は、怒ってませんから」


「それでもだよ。例え君が怒ってないんだとしても、ボクらの行動で君に迷惑をかけたのは事実だ。……いや、それだけじゃ無い。ボクらの行動は、君と朝音さんの関係を……最悪なものに変えてしまった。だから……ごめん、真昼」


「……いや、最悪なものってどういう意味ですか?」


 俺は心外だと言うように、桃花の瞳を見つめる。でも桃花は特に気にした風もなく、ゆっくりと言葉を続ける。


「そのままの意味だよ。 ……ボクらが君から距離をとることで、君たちは誰はばかることなく自由に恋愛ができると思った。なのに実際の君たちは……依存するようにただ互いを喰らい合う、そんなどうしようもない関係になってしまった」


「何が……言いたいんです?」


「だから、言葉の通りだよ。真昼、君が今どれだけ酷い顔をしているか、気がついているかい? ……いや無論、君の顔はすごく可愛いよ? 食べてしまいたくなるくらい、可愛い……。でもそうじゃなくて、表情だよ。君の今の表情は、ふられてしまったボクや摩夜くんよりずっと酷い。恋人ができて楽しい日常を送っているとは、思えないほどに。……真昼、君は本当にそれで満足なのかい?」


「…………」


 ……どうなんだろう? 皆んなが俺から距離をとって、俺には姉さんしか居なくなった。そのことに、何の不満もありはしない。


 ……でも、仮に彼女たちがあのまま俺に言い寄り続けていたら、俺は、『ちゃんと皆んなに分かってもらえるよう、頑張らないと』と、今でも必死に走り続けていただろう。



 でもそうは、ならなかった。



 まるで仕組まれていたみたいに、俺と姉さんは2人きりになって、ならもういいかと俺は立ち止まってしまった。そしてそのまま、今に至る。



 姉さんへの愛情は、1ミリも揺らいではいない。それは確かだ。でも、それでも俺は……。



「……桃花。俺はそれで、いいんです。俺たちの関係がどれだけ歪に見えても、俺は姉さんが好きだから。だから……俺はこの関係で満足です」


「……ふふっ、それは嘘だね。真昼、君は嘘をついている」


「俺は嘘なんか──」


「だって君は、ボクに手紙を書いてくれたじゃないか」


「それは……」


「愛する人が、笑ってくれるだけでいい。君が本心からそう思っているなら、ボクに手紙なんか書かなかった。……違うかい?」


「…………」


 俺は、言葉を返せない。そもそも、ただ抱くだけで満足できて、触れ合うだけで充分なら、俺はもっと早く1人の女の子を選んでいた筈だ。





 なのに俺は、何度も何度も悩み続けた。



 皆んなが笑っていられて、そして姉さんも俺も笑っていられる。そういう日々を、夢見ていたから。



 ……でも。



「真昼。一度、朝音さんから距離を取らないかい? 今のような関係を続けていると、君たちは腐ってしまう。だからボクと……いや、ボクか摩夜くんか三月くん。その3人の中の誰かと、一度、付き合ってみるのはどうだろう? 長い目で見たら、それはきっと朝音さんの為にもなる。だから……そうしなよ? 真昼……」



「────」




 一瞬、桃花が何を言っているのか、理解できなかった。ただ頭が真っ白になって、でもすぐに頭は怒りで真っ赤に染まる。






「…………そんなの、無理に決まってるでしょ? 俺は、俺の恋人は姉さんだけです。そんな軽々しく、恋人を取り替えるような真似……できるわけ無いでょ? ふざけないで下さい!」


 だから俺は、そう叫んだ。……でも桃花は、俺の言葉は想定内だと言うように、薄く笑って言葉を続ける。


「なら、デートに行こう。いやデートじゃなくて、お出かけだ。明日から夏休みなんだから、それくらい別に構わないだろ?」


「いや……でも……」


「ああ、無論。2人っきりで、とは言わないよ? 朝音さんと、摩夜くんと、三月くんと、真昼とボク。芽衣子くんは……多分、誘っても来ないだろうからこの5人で一度、出かけてみないかい?」



「…………いや、まあ……それくらいなら……」



 会長のまくし立てるような言葉に、俺は思わず頷いてしまう。


「ふふっ、なら決まりだね。予定が決まれば、ボクからちゃんと連絡するよ。ボクも最近は、スマホを使えるようになってきたからね。せっかくの夏休みなんだ、皆んなで楽しい思い出を作ろうじゃないか!」


 桃花は本当に楽しそうに、笑い続ける。俺は……俺は今更、否定することもできなくて、だからただ黙ってその笑い声を聞き続けた。



「…………」



 でもきっと、これはそんなに悪い話では無い筈だ。夏休みは長いんだから、一度くらい皆んなで出かけてもいいだろう。仲直りするいい機会かもしれない。





 ……そんな風に、甘い考えをしてしまったのは、やっぱりしばらく皆んなと話していなかったからだろう。



 夏休みの中頃に行く事になる、一泊二日の小旅行。そこで、最後にして最大の修羅場が俺を待っている。





 そうして、長い夏休みが始まった。


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