美味しいですか?

 


「さ、お兄ちゃん。早く服を脱いで? ……別に恥ずかしがらなくても、いいんだよ? 私たちは兄妹なんだから。……あ、でも、お兄ちゃんはこの女に裸を見られるのは嫌か。じゃあ……」


 摩夜はそう言って、強い瞳で芽衣子を睨む。


「いえ、私は初めから出て行くつもりですわ。……けどそれは、貴女と一緒にです。いくら兄妹といっても年頃の男女なんですから、あまり簡単に肌を見せ合うべきではありません。……先ほどのように裸で抱きつくなんて、論外ですわ」


 しかし芽衣子も負けじと、真っ直ぐな視線で摩夜を見つめる。


「私たちの関係に、貴女みたいな赤の他人が口を挟まないで。それに……私たちは昨日だって一緒にお風呂に入ったんだよ? 貴女と違って、私たちはもう裸を見て恥じらうような関係じゃないの」


「……なっ……! なにを言ってるんですか! ……真昼さん、そんなのもちろん嘘ですわよね? 真昼さんはそんな簡単に、女の人と……そういうことはしませんよね?」


 芽衣子は不安そうに、俺に視線を向ける。俺はそれに……大きく息を吐いてから言葉を返す。


「昨日……摩夜とお風呂に入ったのは本当だよ」


「……真昼さん……!」


「でもそれは……タイミングが悪かっただけなんだよ。別に誰が悪い訳でもないし、いつもそんなことをやっている訳でもない。……今はそれより、身体を拭くよ。……摩夜も、俺は大丈夫だからさ、今は少しだけ部屋の外で待っててくれないか?」


 できるだけ優しい声でそう告げる。……けどやっぱり、摩夜は納得してくれない。いや、摩夜だけじゃ無い。芽衣子も納得できないといった顔で、こちらを見ている。


「……お兄ちゃん。別に遠慮なんてしなくてもいいんだよ? それにさっき、言ってくれたじゃん。この女に洗面所の場所を教えてあげたら、背中を拭かせてくれるって。……あれは、嘘だったの?」


「いや、それは……」


 ……そんなこと、言ったっけ? よく覚えていないけど、俺はそんなことは言って無い筈だ。……でも摩夜は、それを言っても聞いてはくれないだろう。だから俺は、少し黙って考える。


 どうすれば、摩夜は納得してくれるのだろう? ……でもいくら考えても、答えは出てこない。


「…………」


 そんな風に黙り込んでしまった俺を見かねてか、芽衣子がゆっくりと口を開く。


「……分かりましたわ、真昼さん。真昼さんが普段どれだけ苦労しているのか、私ちゃんと理解しました。ですからここは私が、身体を拭いて差し上げます。……別に、気にする必要はありませんわ。確かに節度は大切ですけど、私だってそこまで……いい子のつもりはありません」


「……いや、芽衣子。それは……」


「ほら真昼さん、後ろ向いて?」


「お兄ちゃん。大丈夫だからね?」


 2人がタオルを持って、俺に近づいて来る。俺は諦めるように、息を吐く。……身体を拭いてもらうくらい、別に構わない。けど、胸元と背中のキスマーク。それを見られるのが、不味い。


 これを見られてしまうと、また前のようにどうしようもない展開になってしまうだろう。……けど俺には、この2人を止める方法が分からない。



「2人とも……その……俺は──」


「大丈夫だよ? お兄ちゃん。私が優しくしてあげるから。だからお兄ちゃんは安心して、私に身を任せて……」


「真昼さん。恥ずかしがらなくても、大丈夫ですよ? ……でももし真昼さんが自分だけ脱ぐのが不公平だと言うのでしたら、私も服を脱ぎます。ですから……」


 ……ダメだ。止められない。こんな風に迫る2人を止める方法を、俺は知らない。だから俺はもう一度諦めるように息を吐いて、2人に身を任せる。


「……分かったよ。もう任せる。…………でも、あんまりジロジロ見ないでくれよ? 俺だって……恥ずかしいんだから」


「ふふっ、お兄ちゃんは恥ずかしがり屋なんだから……。ていうか、貴女は下がっててよ。お兄ちゃんが嫌がるでしょ?」


「真昼さんは、私に裸を見られるのを嫌がったりしませんわ。……そりゃあ私は、少し恥ずかしいですけど……でもだからって、指を咥えて見ているなんて真似、私したくありません!」


 2人はまた、言い合いを始めてしまう。俺はそれを止めるために、いつものように口を開く。



 けど……。



「────」



 なぜか言葉を発せない。まるで脳みそにガタがきたように思考がフリーズして、上手く言葉を紡げない。……きっとまだ、本調子では無いんだろう。…………それだけの、筈だ。


「じゃあもう、分かりましたわ。今は貴女に任せます。あんまり真昼さんを待たせて、風邪が悪化でもしたら大変ですから。……でもその代わり、私はここで見てますから変な真似はしないで下さいね?」


 芽衣子はそう言って、一歩俺から距離をとる。摩夜は一瞬だけそちらに視線を向けるけどあまり興味が無いのか、すぐにこちらを向いて、優しい笑顔で言葉を告げる。


「それじゃお兄ちゃん。背中を向けて?」


 俺は諦めるように上着を脱いで、背中を向ける。胸元と背中、と姉さんは言った。けど背中のキスマークなんて、自分じゃ確認できない。だから、俺は祈る。



 背中にキスマークなんて、ありませんように、と。



 でもそんな祈りは、どこにも届くことはない。現実はそこまで、甘くはない。





「──お兄ちゃん。今からちゃんと、身体を拭くね。でも拭き終わったら一度、話さないといけないね。…………また姉さんが、バカな真似をしたみたいだから……。でも大丈夫だよ? こんなの後で、私がちゃんと上書きしてあげるから……」


 摩夜は芽衣子に聞こえないよう耳元で小さく囁いて、背中に指を這わせる。ぞくりとした感触が背筋に走って、俺は思わず振り返りそうになる。でも摩夜はそれを、優しい動きで遮る。


「お兄ちゃん。今は背中を拭いてるから、前を向いててね」


 そうして摩夜は、優しく丁寧に俺の身体を拭いてくれる。そしてそれからは何事も無く順調に作業が終わって、俺は新しい上着に袖を通す。


「終わりましたね? 真昼さん。では私が──」



「真昼! 私特製のお粥、持ってきたよ!」


 と、まるで芽衣子の言葉を遮るように、お粥を持った姉さんが俺の部屋に戻ってくる。


「……ありがとう、姉さん」


 俺は絞り出すようにそう言葉を返すけど、俺がお粥を受け取る前に、摩夜が姉さんの前に立ち塞がる。


「姉さん。いつ、したの? お兄ちゃんの背中に、いつあれを付けたの?」


「ふふっ、一体なにを言ってるのかな? 摩夜ちゃんは……」


「とぼけないで! 私はちゃんと──」


「違うよ、摩夜ちゃん。さっきまで真昼と一緒に寝てたのに、いつ……なんて何を間抜けなこと言ってるの? ……あ、摩夜ちゃんは本当に寝ちゃってたから、気づかなかったんだね。私が何を、してたのか……」


 そう言って姉さんは、裂けるようにニヤリと口元を歪める。対する摩夜は瞳孔の開いた目で、ただ真っ直ぐに姉さんを睨みつける。


「風邪を引いてるお兄ちゃんに、そんな真似をしたの……? お前は」


「お前、だなんて……摩夜ちゃんは怖いなぁ。そんな鬼みたいな顔をしてると、真昼に嫌われちゃうよ?」


「…………」


「…………」


 2人は真っ直ぐに睨み合う。芽衣子はそんな2人を、不安げな瞳でただ見つめる。そして少し遅れて部屋に戻ってきた桃花は、睨み合う2人を見てゆっくりと口を開く。



「…………やっぱり、こうなってしまったんだね。真昼の胸元にあった痣。あれはやっぱり、そういうことだったのか。……ふふっ、やっぱり君の困った顔は、すごく可愛いよ、真昼。ボクは君のその困った顔を、ずっと見ていたい。……けどね? 君を困らせるのは、ボクじゃないとダメだ。君にそんな顔をさせていいのは、やっぱりボクだけなんだよ。……だからね、 朝音さん。貴女は本当に邪魔なんだよ」


 そして桃花は摩夜の横に立ち、正面から姉さんと対峙する。でも姉さんは、2人に正面から敵意を向けられても、ただ余裕そうに笑い続ける。


「2人ともまた、真昼の前で言い合いをする気? そんなことしてたら、お粥が冷めちゃうでしょ? 話なら後で聞いてあげるから、今はちょっと黙っててよ。……真昼、ほら食べさせてあげるよ? あーん」


 姉さんは軽く2人をあしらって、お粥をレンゲですくい俺の前に差し出す。


「…………」


「…………」


 2人はそんな姉さんに、口を挟むことができない。ただどうしようもない瞳で、姉さんを睨みつける。


「…………頂きます」


 だから俺はそう呟いて、お粥を口に入れる。それ以外に、できることなんて何も無い。……味がしないのは、きっと風邪のせいなのだろう。


「美味しい? 真昼」


「ああ、美味しいよ。姉さん」


「やったっ!」


 姉さんは本当に嬉しそうに、子供のような笑みを浮かべる。それに反して、摩夜と桃花は人でも殺せそうな目つきで、姉さんの背中を睨み続ける。そして芽衣子は、何か言いたいことがあるような顔をしているけど、我慢するように口を噤んでいる。




 最後にずっと黙り込んでいた天川さんは……唐突に、溢れるように、小さく言葉をこぼした。



「…………もう、辞めにしないっスか?」



 その呟きはとても小さかった筈なのに、なぜかとても大きく場に響いた。



「いつまでもこんな真似をして、お兄さんを不安にさせるのは嫌なんス。お兄さんはいつも完璧で、正しくないとダメなんス。だから……だから、聞かせてください、お兄さん。貴方の本心を。誰が好きとか嫌いとかそういうんじゃなくて、ただお兄さんの心からの言葉を聞かせて欲しいんス!」



 どくんと、心臓が跳ねた。





 ──だからもう、放っておいてくれよ。




 そんな声が、胸の内から響く。摩夜や桃花が、天川さんに何か否定的な言葉を投げかける。でも俺には、何も聞こえてこない。



 本心。本心。本心。



 心からの言葉を聞かせてくれ。



 そんな風に問われて、俺はさっきまで見ていた夢の内容を思い出す。




 そっか。だから……。




「皆んな、聞いてくれ。俺は──」



 俺は、皆んなに伝えなければならないことがある。だから揺らぐ事なく真っ直ぐに、その言葉を口にする。



 楽しい楽しいお見舞いは、もう少しだけ続く。俺が答えを返すまで、決して前には進めない。


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