……もう、いいですか?

 


 真昼の部屋を後にした5人の少女たちは、2つのグループに別れて、それぞれの時間を過ごしていた。


「三月ちゃん、お砂糖とってくれない?」


「…………」


 摩夜、桃花、芽衣子の3人は、30分も経たない内に真昼の部屋に戻っていった。摩夜は宣言通り、真昼を守る為に。そして他の2人は、そんな摩夜から真昼を守る為に、真昼の部屋へと向かった。


 そして残った2人は、今日の夕飯を用意する為に2人で台所に立っていた。


「ありがとう。じゃあ次は、冷蔵庫からお野菜出しといて」


「…………お姉さん。何でなんスか?」


「何のこと? 今日のお夕飯の献立が、肉じゃがなこと?」


「とぼけないで欲しいっス。全部に決まってるっス。あたしたちを家に泊めるのを認めたり、お兄さんの側に居るんじゃなくて今ここであたしと料理を作っていることとか、お姉さんは一体……なにを企んでいるんスか!」


 形だけでも一緒に料理を続けていた2人だったが、三月はもう我慢できないと言うように唐突にそう声をあげる。


「……ふふっ。そんなに怯えた声出しちゃって、三月ちゃんはそんなに……私のことが怖いの?」


「……違うっス。怖いんじゃ無いんス。ただ、不安なんス。貴女みたいな人が何の考えも無く、自分が損をする行動をとるわけが無い。……だから絶対に、何か企んでいる筈なんス」


「それってつまり、私が怖いってことでしょ? ……でもね? それを私に聞いてさ、私が素直に答えると思ってるの? ……三月ちゃん、バカになってない? 三月ちゃんはそんな可愛らしい脳みそ、してなかったと思うんだけどな……」


 朝音は見下すような笑みで、三月を見つめる。三月はその視線から流れるように息を吐いて、少し視線を下げる。


「…………ともかく、お兄さんが風邪で寝込んでる時に、変なことをするのは辞めて欲しいっス。……裸で抱きつくとか、どう考えても正気じゃ無いっス」


 三月はそう言って、逃げるように冷蔵庫に手を伸ばす。……けれどその動きは、またしても朝音の一言によって縫い止められる。



「昨日さ、真昼と一緒にお風呂に入ったんだよね」


「……は?」


「あ、もちろん裸でだよ? 真昼も私も裸でさ、一緒にお風呂に入ったんだ〜。しかも真昼、私の身体を見て我慢できなくなったのか、私に……キスしてくれたんだよね。……気持ちよかったなぁ」


 朝音は蕩けるような笑みで、三月を見つめる。対する三月は、朝音の言葉を何度も何度も頭の中で反芻させる。



 お兄さんが、お姉さんと裸でお風呂? しかも、キス?



 あり得ない。あり得るわけが無い。でも、この人がこの場で嘘をつく理由は何だ。あたしを動揺させたいの? ……どうして? 何でこの人は、いちいち人を苛立たせるようなことばかり言うんだ?



 そんな風に必死に頭を悩ますけれど、三月は答えを見つけられない。


「……どうせ嘘っス。それか、貴女が無理やりお兄さんに迫っただけっス」


 だから誤魔化すようにそう呟いて、もう一度冷蔵庫に手を伸ばす。


「そう思いたいんなら、今はそう思っておけばいいよ。……でも真昼に確認すれば、すぐに分かるよ? 真昼のことだから、絶対に嘘はつかないだろうしね」


「…………仮に本当だったとしても、そんなの関係無いっス。お兄さんは身体とかそういうので、誰かを好きになるような人じゃ無いっス。貴女は精々、ズレたところで得意げになってればそれでいいんス」


「ふーん。でも貴女だって、真昼に触れて欲しいんでしょ? さっきはそう言ってたもんね。……でも貴女は普段、それを隠して自分は違うなんて顔をする。……神さまだっけ? 貴女のその感情って、本当に……恋愛感情なの? ……なんか三月ちゃんってさ、真昼を都合のいい言い訳に使ってるだけなんじゃないの?」



「────」



 三月の顔から、完全に色が抜ける。自分の感情を、自分が何年も恋い焦がれてきた大切な想いを、朝音はどうでもいいことのように鼻で笑った。そんな態度をされると、流石の三月も怒りを隠すことができない。


 三月は殺意すらこもった瞳で、朝音を睨みつける。しかしそれでも、朝音は笑う。三月を小馬鹿にするように、ニヤリと口元を歪める。



 鍋で煮ていた煮物がグツグツと沸騰する。しかしそれでも、2人は真っ直ぐに睨み合い続けた。



 ◇



 そして、2人が言い合いを始める少し前の時間。摩夜、桃花、芽衣子の3人は真昼の部屋に戻って、ただ黙って真昼の寝顔を見つめ続けていた。


「…………」


「…………」


「…………」


 誰も言葉を発さない。そんな無駄なことをして、真昼が目を覚ましてしまうのは誰も望まないことだから。だから3人はただ黙って、真昼の寝顔を見つめ続ける。




 けどそんな風に長らく続いた沈黙は、小さな呟きによって打ち破られる。


「……貴女は真昼さんのこと、好きなんですの?」


 芽衣子は真昼の寝顔に視線を向けたまま、そう言葉をこぼす。


「それって、私に言ってる?」


 対する摩夜も真昼に視線を向けたまま、静かに言葉を返す。


「そうです。……貴女が真昼さんに向ける愛情は、どうしても……家族のそれには見えないんです」


「そうよ。私はお兄ちゃんを、1人の女として愛してる。これで満足? ならもう黙って」


「いえ、あと一言だけ言わせて貰います。私も、真昼さんを愛していますわ」


「あ、そう。どうでもいいよ。……あ、でも、お兄ちゃんに下品な視線は向けないで。そっちの会長さんも、分かってるよね?」


 摩夜にギロリと睨みつけられ、桃花は呆れたように息を吐く。


「分かっているさ。ボクは君と違って、寝ている真昼に何かしようと思うほど、常識は失ってないつもりだよ」


「……よく言うよ。貴女のその目は、お兄ちゃんに欲情してる目。……気持ち悪い。最低だよ」


 そしてまた、場に沈黙が降りる。……けれどその沈黙は、またすぐに破られる。先程よりも更に小さな、ともすればただの吐息のような呟きが、ふと場に響いた。




「…………ごめん」



 その言葉を聞いて、3人は思わず目を見開く。だってそれは、3人の中の誰が発した言葉でも無い。



 その小さな呟きは、真昼の口から溢れたものだったから。



 ◇



 夢を、見ていた。時の止まった夕暮れで、俺は初恋のあの子と夕焼けを眺めていた。


「……綺麗だね」


 少女はそう言って、涙を流す。それでも俺は、ただ夕焼けを眺め続ける。


「お兄さん。なんであたしを、選んでくれないんスか?」


 不意にあの子が、天川さんに姿を変える。それでも俺は、言葉を返さない。


「そうだよ、真昼。ボクはこんなに君が好きなのに、君はいつまでボクを待てせるつもりなんだい?」


 そして次に、天川さんが桃花に姿を変える。でもやっぱり、俺は黙ったままだ。


「真昼さん。私は決して、貴方から逃げません。けど貴方は……逃げてるだけなんじゃないですか?」


 芽衣子は夢の中でも真っ直ぐに、俺を見つめ続ける。それでも俺は、言葉を返さない。


「おにーいちゃん。好き。好き。好き。好きだよ、お兄ちゃん。でもお兄ちゃんは、いつになったら私を愛してくれるの?」


 摩夜が俺に手を伸ばす。でもその手は決して、俺には届かない。


「……真昼。辛いんなら、お姉ちゃんを選びなよ。本当に辛いなら、お姉ちゃんが全部……なんとかしてあげるから……」


 姉さんが俺を抱きしめる。けどその温かさも、ここでは全く感じない。


「…………」


 俺は全てを無視して、ただ夕焼けを眺め続ける。救いを求めて。助けてを求めて。或いは、答えを求めて。



 誰も傷つけなくて。自分も傷つかなくて。皆んなが笑顔になれる。そんな結末を俺は探していた。



 ……でも本当は、そんなものはどこにも無いと知っていた。人は人を傷つける選択をしなければ、前に進むことなんてできないから。



 でも俺にそんな覚悟は無い。ただ言い訳のように言葉を重ねて、現実から逃げる事しか俺にはできない。俺はそんな、大した人間じゃ無い。皆に好かれるような、価値のある人間じゃ無いんだ。





 ──だからもう、放っておいてくれよ。





 なんで誰かを、選ばなくちゃならない。なんで誰かを、好きにならなきゃらならないんだ。誰も俺の気持ちなんて考えてはくれないのに、どうして俺だけ皆の気持ちを考えなきゃならない。



 ……いや、違うな。皆んなが求めているのは、そんなものじゃない。もっと簡単で、単純なことなんだ。



 でも俺は……。



「…………」



 夕焼けが唐突に消え失せる。そして、見覚えのある体育館が見えてくる。昔は何度も見た夢。でも今さら見せられても、心は動かない。あの夕焼けに比べれば、こんなものは大した事では無い。


 中学最後の大会。勝てば県大会に進める大事な試合。俺はそこで、苦しそうな顔で走っている。試合は一点差。シュート1本で逆転できる。……けど俺は、足を負傷していた。


 しかし俺は、それを誰にも打ち明け無い。これくらい大丈夫だ、できるのは俺しかいない。そんな風に誤魔化して、必死になって走り続ける。


 そしてブザーが鳴る直前。味方の綺麗なパスが俺に通った。俺はフリーだ。シュートを打てば、外すような距離じゃ無い。絶対に入ると、仲間は皆、確信していた筈だ。




 ……でも俺はシュートを打つ直前、足が痛んで飛べなかった。



 俺はそのまま、飛ぶ事はできない。そして無情にも、試合終了のブザーが鳴り響く。皆が俺を責めた。なぜ打たなかったんだ、と皆が俺を責め続けた。その通りだと、今でも思う。



 俺はバスケを辞めた。



 運動のできる摩夜。勉強のできる姉さん。そんな2人に置いていかれないようにと、俺は必死になって努力した。でも……なんでだろう? もういいか、とその時思った。



 しばらくしてから、彼らは俺に頭を下げた。言い過ぎた。お前も悔しかったんだよな、と。



 俺は、なんの言葉も返せなかった。



 誰だって他人に、都合のいい存在を求めている。俺は皆んなに、仲良くして欲しい。ただ笑って、変わらない日常を送って欲しい。でもそれは、ただの傲慢だ。皆んながそれを望まないのに、俺がそんな願望を押し付けても、それはただの我儘に過ぎない。




 なら、誰かに愛されたのなら、それに応えなければならないのだろうか?



 俺は逃げていた。誤魔化していた。時間が経てば勝手に誰かを好きになれるんだと、そう誤解していた。



 景色が、夕焼けに戻る。



 今度は誰の姿も、見えない。




「…………」



 俺が本心を話せば、何か変わるのだろうか? ……分からない。でも俺は臆病だから、夢の中でも叫ぶ事はできない。



 でもだからって、いつまでもここに居る事はできない。



 これは夢なのだから、いつか必ず覚めてしまう。いや、現実だって同じだ。このままずっと、誤魔化し続ける事はできない。いつかどこかで、必ず破綻する。



 空が薄まってきた。もうすぐ夢も、覚めるのだろう。



 ふと空から、仮面が降ってくる。優しい笑顔を浮かべて、皆の為に頑張る優しい男の仮面。俺それをしっかりと被って、目を開ける。



「……ごめん」



 それが誰に向けての言葉なのか、自分でも分からなかった。ただその時初めて、自分がずっと泣いていたことに気がついた。


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