まだ眠いですか?

 


 何もかもが、理解できなかった。風邪を引いて寝込んでいただけなのに、なんでこんなことに……なってるんだ?


「おはよう、お兄ちゃん。……風邪は大丈夫?」


「真昼。お姉ちゃんの身体、感じてる? ほら、ぎゅーってしてあげる」


 俺のベッドには、服を着ていない摩夜と姉さんが潜り込んでいて、絡みつくように素肌を俺に押しつけてくる。


「ちょっ、何やってるんスか! お兄さんから離れるっス!」


「そうだよ。そんな……裸で身体を押し付けるなんて……。やっていいことと悪いことの区別もつかないのか? 君たちは……!」


 天川さんと桃花が、姉さんと摩夜の行動を非難するように大声を上げている。


「…………」


 そしてその後ろで、まるで魂が抜けてしまったような表情で、芽衣子が唖然とこちらを見ている。


「…………なんなんだよ、本当に……」


 俺が寝ている間に、何があったんだ? 何があれば、こんなことになってしまうんだ。


 大きく息を吐く。身体はまだ重いままで、頭がぼやぼやして思考も定まらない。まだきっと、熱も下がっていないのだろう。なのにこんな所で、こんな風にしていたら、みんなに風邪を移してしまう。


 ……いやきっと、そんなことを考えている場合じゃない。今考えるべきことは、そんなことじゃない筈だ。そう分かっているのに、俺は何故かそんなことしか考えられない。


「ねえ、真昼。私の身体どう? 真昼が望むんなら、もっとめちゃくちゃにしても……いいんだよ?」


「姉さん。お兄ちゃんを困らせないで。……大丈夫だよ? お兄ちゃん。ここに居る面倒な女たちは、私がすぐに追い出してあげるから。だからお兄ちゃんは……ゆっくり眠ってていいんだよ?」


 2人の柔らかい感触を、身体中で感じる。けど頭は真っ白で、何の感想も浮かんでこない。


「いい加減にしないか! ともかく2人は、早く服を着てくれ。話をするのは、それからだ!」


「そうっス! ……そんな、裸で抱きつくなんて、病気の人にしていいことじゃ無いっス!」


 2人はそう叫んで、姉さんと摩夜の腕を引っ張る。……けどそれは、姉さんの発したたった一言の言葉によって、簡単に縫い止められる。




「……怖いの?」




 たったそれだけの言葉で、天川さんと桃花の動きが止まる。


「…………怖いって、なんスか。あたしたちはただ……」


「ううん。貴女たちは、怖いんだよ。自分の身体に自信が無いから、自分なんかの裸を見せても真昼に喜んでもらえないって分かってるから、だから私たちを止めようとするんだよ」


「……意味が分からないよ、朝音さん。ボクはただ、貴女たちの非常識な行動を止めたいだけだ。……風邪を引いた真昼にそんな真似をして、おかしいとは思わないんですか……!」


「思わないよ。好きな人と一緒に寝るのの、何がそんなにおかしいの? 結局貴女たちは、怖いだけ。常識とか普通とか、そんな言葉で誤魔化してるけど、本当はただ自分ができないことをやってる私たちが、怖いだけなんだよ」


 そう言って姉さんは、ぎゅっと強く俺を抱きしめる。まるで2人に自慢するように、姉さんは柔らかい身体を俺に押し付ける。……普段だったらその感触に、色々と思った筈だ。けど今は、頭が麻痺したように何の感想も浮かんでこない。


「姉さんの意見とかどうでもいいけど、貴女たちはもう帰ってくれない? ……貴女たちがこれ以上居座ると、お兄ちゃんが困るの。だからもう、早く帰ってよ。……邪魔なの、貴女たちは」


 摩夜は色の抜けた冷たい声でそう言い捨てて、姉さんに負けじと俺に身体を押しつける。



 ……なんだか、頭が痛い。




「………………できるっス。あたしだって……できるっス!」


 唐突に天川さんはそう叫んで、勢いよく制服を脱ごうとする。


「ちょっ、三月くん。君まで何をやってるんだ!」


「あたしだって……お兄さんに、見て欲しいっス。あたしの身体をお兄さん見てもらって、それで……触れて欲しいっス。2人だってやってるのに、なんであたしだけ我慢しないといけないんスか!」


「それは……ボクだって、真昼に触れて欲しいさ。でも……」


 桃花は困ったような瞳で、俺を見る。


「…………」


 ……そのゆらゆらと揺れる瞳は、昨日のデートで見た桃花本来の瞳だ。……俺はその瞳を見て、思った筈だ。そんな彼女を、不安を抱えている彼女たちを支えてあげたいと、俺は確かに思ったんだ。



 だから俺が、ここで黙っている訳にはいかない。



「…………ごめん、皆んな。俺、まだ熱が下がって無いんだ。だから……今日は、1人にしてくれないか。……大丈夫。ただの風邪だから、寝てれば治るから……」


 頭がぼーっとする。自分がちゃんと喋れているか、分からない。ただそれでも、この場から逃げることなんてできないから、俺は無理やりにでも言葉を紡ぐ。


「うん。そうだね。とりあえずは真昼を、1人にしてあげよっか。……じゃあ皆んな、お見舞いありがとうね。また真昼が元気になったら、遊びに来てよ」


 ……後ですぐに来るから。姉さんは俺にだけ聞こえるように耳元でそう囁いて、一旦ベッドから出て行く。


「……うん。お兄ちゃんがそう言うんだったら、今はとりあえず出て行くね? でも不安になったりしたら、いつでも私を呼んでいいんだからね?」


 摩夜も最後に強く俺を抱きしめて、ベッドから身体を出す。そして、どこか不服そうにこちらを見る天川さんと桃花に、俺はもう一度声をかける。


「2人ともお見舞い、ありがとう。……あーいや、芽衣子も来てくれたんだったな。ありがとう。また元気になったら何かお礼をするからさ、今日はごめん……帰ってくれ。……皆んなに風邪が移ったりしたら、大変だから……」


 俺の言葉を聞いて、2人は心配するように俺の顔を見つめる。俺はそれに、大丈夫だと言うように頷きを返す。



 そして2人は、俺の言葉に納得して……。





「嫌ですわ」



 しかしふと、声が響いた。……芽衣子だ。ずっと黙っていた筈の芽衣子が、唐突にそう声を上げた。


「……何が嫌なんだ?」


 俺はできるだけいつも通りに、そう言葉を返す。けど芽衣子は、逆に我慢できないと言うように大声で話し出す。



「私、嫌です! こんな状態の真昼さんを放ってなんておけません! ……まさか真昼さんのご家族が、こんな方々だなんて……。私、今日は泊まります。泊まって真昼さんを、看病いたしますわ!」


 芽衣子はそう言って、真っ直ぐに俺を見る。……俺は少し、唖然としてしまう。だってあんなに呆然としていた芽衣子が、こんなことを言うなんて思いもしなかったから。


「……なに言ってるの? 貴女。誰だか知らないけど、お兄ちゃんが困ってる。いいからもう帰ってよ。……ここは私たちの家なのよ?」


 でもすぐに、摩夜が俺を守るように芽衣子の前に立ち塞がる。


「……貴女たちなんかに、真昼さんは任せられませんわ! 風邪を引いている真昼さんに……裸で抱きつくなんて、そんな人たちに看病は任せられません!」


「そうっス。その通りっス! あたしも今日は泊まるっス。泊まってお兄さんが安心して眠れるよう、ちゃんと見張ってるっス」


「ふふっ、そうだね。ボクもそうするよ。真昼だって側にボクがいた方が、安心して眠れる筈だ」


 天川さんと桃花も芽衣子に続くように、摩夜を正面から睨みつける。


「……貴女たち、正気? 人の家で偉そうに、何様のつもりよ。これ以上お兄ちゃんに、迷惑かけないで。何を勘違いしてるのか知らないけど、貴女たちなんて要らないのよ? 大体──」



 摩夜は3人に睨みつけられても、全く怯むことなく言葉を返す。けど、背後から響いた声に思わず言葉を止めてしまう。


「いいじゃん、別に」


 姉さんがニヤリとした笑みで、摩夜の肩に手を置く。


「……姉さん、正気? こんな自分勝手な女たちを家に泊めるなんて、どう考えてもあり得ない。お兄ちゃんが……心配じゃないの?」


「ふふっ、でもここで言い合いしたって、どうせこの子たちは帰らないでしょ? ……まあ、無理に追い出したっていいんだけどさ、それはそれで面倒になりそうじゃん」


「でも、お兄ちゃんが……心配だよ」


「ふふっ、摩夜ちゃんもまだまだ甘いな……。わざわざ対立しなくても、相手を貶めるのなんて簡単なのに……」


 姉さんはそう小声でこぼして、3人の正面に立つ。


「…………」


「…………」


「…………」


 3人はただ黙って、姉さんを睨みつける。でも姉さんはそんな視線を気にした風もなく、いつも通りの笑顔で言葉を続ける。



「3人がね、うちに泊まりたいって言うんなら、別に構わないよ? 部屋はいっぱい余ってるし、掃除もちゃんとしてあるからね。……でもね、1つだけ条件があるんだよ。……貴女たちは真昼に、指1本触れないこと。看病するだけなら触れる必要も無いし、別にいいよね? ……もしその条件が飲めないって言うんなら残念だけど、無理やりにでも出て行ってもらう。……ふふっ、どうする?」


 姉さんは一瞬だけこちらを振り向いて、大丈夫だよ? と言うように、軽くウインクをする。俺にはその意味が分からないけど、もう口を挟む元気もない。だからただ黙って、成り行きを見守る。


「分かりましたわ。私はそれでも構いません」


「ああ、ボクもそれで構わないよ。……真昼の顔を見られるなら、ボクはそれで満足だよ」


「…………あたしもそれでいいっスけど……いや、構わないっス。約束するっス」



 3人はそれぞれ、納得したように頷きを返す。


「……摩夜ちゃんも、それでいいよね?」


 そして姉さんは最後の確認と言うように、摩夜に視線を向ける。


「分かったわ。でも私はずっと、この部屋にいる。そして他の女がお兄ちゃんに触れないよう、見張っておく。……お兄ちゃんは絶対に、私が守るんだから……」


「うん、いいよ。じゃあ番犬は摩夜ちゃんに任せるね。……じゃあ一旦、部屋から出よっか? 真昼が眠るまでは1人にしてあげないと、可哀想だしね。……そして真昼が眠った後は、摩夜ちゃんがずっと側にいてあげるといいよ」



 そうして5人は、部屋から出て行ってくれる。最後に何か話をしていた気もするけど、それはもう俺の耳には届かなかった。



「…………ダメだ……」


 俺はそう呟いて、ベッドに倒れ込む。さっきまでずっと眠っていた筈なのに、またすぐに眠くなってしまう。本当は色々と考えるべきことがある筈なのに、どうしても眠気に逆らえない。



 だから俺は、そのまま眠りにつく。



 楽しい楽しいお見舞いは、まだ続く。5人の少女たちの思惑が混ざり合いながら、静かにゆっくりと続いていく。


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