いつ気がつきましたか?

 


 今日は、天川さんとのデートの日だ。だから俺は天川さんとの約束通り、前回姉さんとデートした時に使った駅前に向かう。


「…………」


 ……指が無意識に、唇に触れる。昨日の会長の突然のキス。どうしてもそれを、思い出してしまう。あのキスの後、会長は特に何もしてこなかった。……でもだからこそ、思い出してしまう。


 あの会長の、唇を。


「……摩夜にせよ、姉さんにせよ、会長にせよ。いきなりキスするのは、やめて欲しいよな……」


 大きく息を吐いて、思考を切り替える。今日は、天川さんとのデート日だ。なら、他の女の子のことで頭を悩ませるのは、彼女に失礼だろう。だから駅に着く前には、思考を切り替えないといけない。そう考えて何度も深呼吸をして、頭の中を空っぽにする。


「…………」


 そしてふと、思い出す。


 天川さんの頭を撫でた時の、彼女のあの儚げな笑顔を。あれは、見覚えのあるものだった。……いや、同じ風に笑う少女を、俺は1人知っている。


「天川 三月、か」


 俺にとっての彼女は、単なる摩夜の友達だ。少なくとも俺はずっと、そう思ってきた。……けれど、きっとそれだけでは無い。彼女が俺に好意を寄せてくれる理由は、確かにあるはずなんだ。


「……理由というより、責任か……」


 最後にもう一度だけ、大きく息を吐く。なんにせよ今日は、天川さんとのデートだ。だったら楽しまなくては、意味が無い。そう心に決めて、真っ直ぐ前を見る。いつのまにか、駅前にたどり着いていた。



 ◇



「あ、お兄さん! こっちっス!」


 駅前に着くと、先に待ってくれていた天川さんが、こちらに向かって手を振ってくる。


「待たせて悪かったね、天川さん」


 俺も天川さんに手を振り返して、早足に彼女の方に向かう。


「いえ、お兄さんを待たせるわけにはいかないっスから、あたしが待つのは当然っス。……それよりお兄さん、ちゃんと来てくれてよかったっス! まだ約束の時間より、15分も早いのに」


「当たり前だろ? デートに誘ったのは、俺の方なんだから」


「それでも、嬉しいっス! お兄さん、ほんと……ありがとうございます!」


 天川さんはそう言って、何度も何度も頭を下げてくれる。正直、そこまでされると少しくすぐったい。


「……いいよ、別に。それより、今日は天川さん……どこか行きたい所があるって言ってたよね?」


「はいっ! 今日のデートプランは、あたしが考えて来たっス! だからお兄さんは、純粋に今日1日を楽しんでくれると、嬉しいっス!」


 天川さんは元気な笑顔でそう言って、俺の手を引いて歩き出す。


「ありがとう、天川さん。じゃあ今日は、その言葉に甘えさせてもらうよ。……それで天川さんは、一体どこに連れて行ってくれるんだ?」


「お兄さんと行きたい所は、いっぱいあるっス。 ……けど1番はやっぱり……」


 そこまで言って、天川さんはまるで子供のような表情で、俺の顔を覗き込む。そして目が合うと、にぱっと花のように笑って続きの言葉を口にする。


「遊園地っス! あたしお兄さんと、遊園地に行きたいっス!」


「遊園地か、いいね」


「はい! 凄く楽しみっス」


 本当に楽しそうに笑う天川さんと一緒に、電車に乗り込む。楽しい楽しいデートが、幕を開けた。



 ◇



「……久しぶりだな、遊園地」


 遊園地に入って、ざっと辺りを見渡す。あまり広い遊園地では無いけれど、ジェットコースターに観覧車にコーヒーカップ。そういう定番のものはちゃんとあって、年甲斐も無く少しわくわくしてしまう。


「お兄さん、遊園地とかあんまり来ないんスか?」


「うん、あまり来ないかな。昔何回か、家族で行ったきりだな」


「じゃあ、あたしと同じっスね。あたしも遊園地なんて……なかなか行けなかったっス。だからお兄さんとデートするなら、絶対ここに来たかったんス!」


 天川さんもわくわくを隠せないといったように、楽しそうなそう声をこぼす。


「じゃあ、行こうか? 何か乗りたいものある?」


「あ、じゃあ……。いや、お兄さんが乗りたいものを言って欲しいっス。あたしはそれについて行けるだけで、満足っス」


「……いいよ、気を遣わなくても。遊園地に行きたいって言ったのは、天川さんだろ? なら、何か乗りたいものがあるはずだ」


 俺は真っ直ぐに、天川さんの顔を見る。天川さんはそれに少し困ったような顔で、答えを返してくれる。


「……あたし、コーヒーカップが好きなんス。ぐるぐるぐるぐる回るやつ。あれをおもいっきり回して、景色がビューってなるのが子供の頃から大好きなんス」


「コーヒーカップか。……いいね。俺も好きだよ、コーヒーカップ」


 昔、姉さんと摩夜とで、酔うまで何回も乗ったりした。


「ほんとっスか? じゃあ行くっス! 今日はあたしが、お兄さんを存分に楽しませてあげるっスよ」


「ありがとう。じゃあ代わりに……俺は天川さんに楽しんでもらえるよう、頑張るよ」


「……えへへ。お兄さんのそういう言い方は、ずるいっス。でも嬉しいから、どんどん行くっスよー!」


 そうやって2人で、遊園地を楽しんだ。コーヒーカップでは、天川さんがあまりにも回しすぎてダウンしそうになったけど、それ以外は特に何の問題も無く、2人で遊園地を楽しんだ。


「…………」


 そしてふと、隣で笑う天川さんの横顔を盗み見る。こうして見ると、普通に可愛い女の子だ。今日は、いつかのような狂気は微塵も感じない。会長は2人っきりになると、狂気に拍車がかかる。けど、天川さんはその逆。彼女は2人っきりになると、普通の可愛い女の子になる。


「……うん? どうかしたっスか? あたしの顔をじっと見て。……もしかして、惚れちゃったんスか?」


「…………どうかな。それより、もうあらかた乗っちゃったな。……何か、乗り忘れはある?」


「ふふっ、ダメっスよ? お兄さん。肝心のあれに乗って無いっス。あれは最後に乗ろうって、ずっと決めてたんスから」


 天川さんはそう言って、少し離れた観覧車を眺める。そう言えばまだ、あれに乗っていなかった。


「忘れてたな、観覧車。……じゃあ、今から乗るか? それとも、もう少し回ってからにする?」


「……そうっスね。じゃあ……もう乗っちゃうっス。まだちょっと早いっスけど、今日はもう一箇所、行っておきたい所があるっスから、遊園地はここらで締めにするっス!」


 天川さんと2人、観覧車に向かう。……でもその途中、一度立ち止まって空を見上げる。



 空はまだ、青いままだ。夕焼けには、まだ早い。


「……? お兄さん、どうかしたんスか?」


「いや、何でもない。……行こうか」


 軽く笑みを返して、天川さんの隣に向かう。不意に感じた感傷は、まだもう少し胸の奥にしまったままで。



 ◇



 2人で観覧車に乗る。観覧車はゆっくりと、空へと登っていく。俺たちは2人、何かを探すように遠くの街を眺める。


「……ただの普通の街並みなのに、遠くから見ると綺麗に見えるのは、なんでなんスかね?」


 天川さんは遠い目で、遠くの街並みを見つめる。……天川さんは普段は子供っぽいけど、偶に凄く大人っぽい表情になる。儚くて虚ろで、ともすれば消えてしまうんじゃ無いかってくらい、遠い瞳。


 そんな表情を不意に見せられると、少しどきりとする。


「…………遠くから見ると、よく見えるから……いや、逆かな。遠くからだとよく見えないから、綺麗に見えるんだと思うよ。……遠くの星が綺麗に見えるのと、同じ理由だな」


「よく見えないから、綺麗に見えるっスか……。ふふっ、お兄さんの言うことは偶に凄く難しいっス。……でもお兄さんが言うんなら、それは絶対に正しいんス」


 天川さんは、真っ直ぐな瞳で俺を見る。一切揺るぐことの無い、まるで神様でも見るような瞳で、天川さんはただ俺だけを見つめる。


「……絶対って言われると、少し自信が無いな。俺はそこまで、博識って訳でもないしね」


「いや、知ってるとか知らないとかじゃ無いんス。お兄さんが言うことは、なんだって正しいんス」


「…………」


 天川さんが俺に向ける感情は、少し怖い。一緒に遊んでいるとただの可愛い女の子なのに、その感情に気がついてしまうと、急に彼女との距離が遠くなる。


「お兄さん」


「……なに?」


「隣に行っても、いいっスか?」


「…………いいよ」


 俺の言葉を聞いて、天川さんはゆっくりと俺の隣に腰掛ける。そして恥ずかしいのを我慢するかのように、ぎゅっと手を握りこんで、ちょこんと俺の肩に頭を乗せる。


「…………」


 天川さんがしたのは、それだけ。他の皆んなのように、いきなり抱きついてきたり、無理やりキスをしたりしない。彼女がしたのは、ただ肩に頭を乗せるだけ。なのに天川さんは、とても恥ずかしそうに顔を真っ赤にしている。




 それを見ると、可愛いなってそう思ってしまう。



「……ねえ、お兄さん。観覧車から降りるまで、このままでも……いいっスか? もう少しだけでいいから、こうやってお兄さんに……触れていたんス」


「…………構わないよ」


 そう言って俺も、少しだけ天川さんの方に身体を傾ける。


「……あ。……………………嬉しいっス。本当に、本当に……嬉しいっス」


 そんな静かな時間。2人だけの小さな永遠。夢のように流れるその一瞬は、確かに現実の出来事だけど、どこか夢のように感じてしまう。



 きっとそれだけ、その一瞬は幸福だったのだろう。



 そして、観覧車から降りた天川さんは、開口一番にそう言った。



「あたし、海が見たいっス」



 いつかの少女のようなその言葉は、さして意外でもなくて、だから俺は二つ返事で言葉を返す。


「いいよ」


 天川さんと出会ったのは、摩夜の友達としてうちやって来たのが初めてだ。俺はずっと、そう思っていた。けれどその前に一度、俺と彼女は出会っている。



「──お姉ちゃんを、返せ!」



 俺があの子を死なせてしまってから、しばらく経ったある日。欠けたような三日月を背に、少女はそう言って俺の前にやって来た。



 天川 三月。



 天川さんは、俺が死なせてしまったあの子の妹だ。それを今、確信した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る