誰ですか?

 


「お帰り、お兄ちゃん。今から私と姉さんから、大切な話があるの。だから、急いでリビングに来て?」


 家に帰った直後、そう言って笑う摩夜に手を引かれて、事情を聞く暇も無くリンビングに連れて行かれる。


「あ、お帰り真昼。……その様子だと、また一悶着あったみたいだね。お疲れ様。頑張った真昼には、またお姉ちゃんがぎゅーってしてあげる。ほら、おいで? 真昼」


 姉さんはそう言って、ソファに座ったまま自身を差し出すかのように両手を広げる。……けど、流石にそこに飛び込む訳にはいかないので、俺は代わりに言葉を返す。


「……ただいま。姉さん、それに摩夜も。……それで、どうかしたのか? 何か話があるって、摩夜から聞いてるけど……」


「ふふっ、真昼はせっかちだなー。そんな話をする前に、お姉ちゃんを味わっておいた方が絶対いいのに……」


「姉さん。つまらないこと言って、お兄ちゃんを困らせないで。……それより、話があるんでしょ?」


「もう、みんなせっかちだなー。……ふふっ、でもまあいっか。早く終わらせれば、その分早く真昼と遊べるもんね」


 姉さんはそう言って、最近よく見る裂けるような笑み……ではなく、どこか優しさを感じさせる笑みで、こちらを見る。俺はそれに少し嫌な予感を覚えながらも、黙って言葉の続きを待つ。


「あのね、真昼。……1つお願いがあるんだけど、いいかな?」


「……構わないけど……内容は?」


「ふふっ。実はね、私、真昼と2人っきりでデートがしたいの。ダメかな?」


「……………………え?」


 姉さんの言葉はあまりに予想外で、俺は思わずそんな驚きの声をこぼしてしまう。


「あれ? なんでそんな、驚いた顔をしてるの?……ふふっ、もしかして真昼は、私がもっと変なことを言うって思ってたりしてたのかな?」


「……いや、そういう訳じゃないけど……ただちょっと、予想外だったから……」


「じゃあやっぱり、変なことを言うって思ってたんじゃん。……でもね、大丈夫だよ? 真昼にこれ以上、辛い思いをして欲しくないから……だから私ね、皆んなとちゃんと話し合ったんだよ。真昼がつまんない言い合いを見なくて済むように、1人ずつ順番に真昼の所に行こうって」


「…………」


 俺は思わず、言葉を失う。だって姉さんの言っていることは、俺が天川さんと会長に言ったことと同じだから。……いや、確か会長も言っていたのか。『君はつまり朝音さんと同じことを言うんだね』と。



 なら、姉さんはもしかして、俺の気持ちを分かってくれたのだろうか?



 そう思って、姉さんを見る。姉さんはそんな俺を、ただ優しげな瞳で見つめる。


「……ふふっ、真昼。今まで無理に迫ったりして、ごめんね。私は真昼のことが大好きだから、たまに我慢できなくなるけど……それでも真昼にはね、真昼の意志で私を選んで欲しいの」


「…………姉さん……」


 なんだか、分からなくなる。姉さんはゲームとはいえ、昨日あんな無茶苦茶なキスを俺にして来た。なのに今日は一転して、こんな風に俺の心を気遣うようなことを言ってくれる。


 分からない。……姉さんは一体、何を考えているんだ?


「……姉さんの話はお終い? じゃあ次は、私の番ね」


 摩夜はそう言って、姉さんの姿を隠すように俺の正面に立つ。


「摩夜からも、何かあるのか?」


 俺はできるだけ冷静に、摩夜の顔を見る。摩夜はそんな俺を、どこか慈しむような優しい笑みで見つめて、ゆっくりと言葉を告げる。


「お兄ちゃん。私ね、お兄ちゃんの部屋に……鍵を付けたいの。ダメかな?」


「……鍵? ……突然だけど、なんで?」


 摩夜の言葉は姉さんと同じくらい以外で、俺はまた驚き混じりの声でそう尋ねる。


「……なんでって、決まってるでしょ? お兄ちゃん。お兄ちゃんを守る為だよ。どこかの誰かが、またお兄ちゃんの寝込みを襲って、変な痣を付けるかもしれない。……ううん、もしかしたらその女は、もっと酷いことをお兄ちゃんにするかもしれない。だから……ダメかな? お兄ちゃん……」


「いや、まあ鍵くらい別にいいんだけど……。でも……いや、うん、分かった。摩夜の言う通りにするよ」


「やった! 実はもうお兄ちゃんの部屋に鍵を取り付けちゃったから、断られたらどうしようって思ってたの。……でもこれで、お兄ちゃんも安心して眠れるね!」


「……だな」


 ……本当は、そこまでする必要なんて、無いと思う。けれど、今の摩夜にいくら反論しても、多分納得はしてくれない。だからここは、摩夜の言う通りにしおくのがベストなのだろう。俺と摩夜が言い合いをしても、本当に何の意味も無いんだから。


「ふふっ、摩夜ちゃんは心配性だよね」


「姉さんが、余計なことをするからでしょ?」


「ダメだよ? 摩夜ちゃん。そんな怖い顔しちゃ、真昼が不安になっちゃう。……それにね、こういう醜いところはもう真昼には見せたく無いの。真昼にはね、ちゃんとした私を見て欲しい。……ううん、私だけじゃ無い。真昼には、ちゃんとした皆んなを見て欲しい。そしてその上で、真昼の意志で私を選んで欲しいの。摩夜ちゃんは……そうじゃないの?」


「…………」


 摩夜はどこか不服そうに、姉さんを見る。対する姉さんは、どこか余裕そうな笑みで摩夜を見る。……そして俺は、やっぱり分からない。部屋に鍵を取り付けるくらい、別に構わない。摩夜の言うことは、理解できない訳じゃ無い。


 でも姉さんは、なんなんだ?


 姉さんが何をしたいのか、俺にはまったく分からない。正直、最近の姉さんには、ほとんど話が通じなかった。でも今日の姉さんは一転して、俺の心を慮ったようなことばかり言ってくれる。……もしかして姉さんは、ようやく分かってくれたのだろうか?

 

 ……俺の気持ちを。


「……あれ? 私の顔を見て、どうかしたの? 真昼」


「…………いや、何でも無いよ」


「そう? 何かあるんだったら、何でも言っていいんだからね?」


「ああ、ありがとう。姉さん。……でも、本当に大丈夫だよ」


 そう答えて、軽く息を吐く。どうやら姉さんは、皆んなにも同じことを言ってくれたらしい。皆んなが、余計な言い合いをしないように。俺がちゃんと、皆んなの想いと向き合えるように。姉さんは皆んなに、忠告してくれた。


 だったら、今の姉さんならもしかして──



「……そんなことより、お兄ちゃん。ご飯、食べてないんでしょ? ならちょっと遅いけど、今から一緒に食べよ?」


 摩夜は俺の思考を遮るように唐突にそう言って、俺の手を引っ張る。


「そうだね。私たちも真昼を待ってたから、もうお腹ペコペコだよー。今日は私と摩夜ちゃんでお夕飯を作ったから、楽しみにしててね? 真昼」


 姉さんも摩夜に続くようにそう言って、ちょっと力を込めて俺の手を引っ張る。


「……ああ、そうだな。待たせて悪かったよ、2人とも。早くご飯、食べようか」


 俺は一旦、思考を中断して2人の背中を追う。ぐるぐると色んなことを考えても、どうせ答えは出ない。なら、2人が作ってくれた料理を味わって食べる方が、ずっと有意義な筈だ。



 そんな風に無理に悩みを追いやって、1日が終わる。







 ……訳もなかった。





 夜。摩夜が取り付けてくれた鍵を閉めて、眠りにつく。




 ……その筈だったのに、なぜか扉は開いて1人の少女が顔を覗かせる。



「お兄ちゃん。今日はちゃんと鍵を閉めておいたから、邪魔は入らないよ。……だから安心して……私だけを見て……」


 摩夜はそう言って、ニヤリと笑う、



 長い夜は、まだ終わらない。


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