貴方はちゃんと、覚えてますか?
「お兄ちゃん。今日はちゃんと鍵を閉めておいたから、邪魔は入らないよ。……だから安心して……私だけを見て……」
そう言って妖艶な笑みを浮かべる摩夜を、俺は唖然と見つめる。
「……何を言ってるんだよ? 摩夜……。いやそもそも鍵、かけておいた筈だろ? どうやって入って来たんだよ」
「ふふっ、ちょっと細工しておいたの。外側からでも、ちょっと力を入れれば開くように、ね。……あ、でも心配は要らないよ? もうそれは直しておいたから、姉さんに邪魔される心配は無いんだよ」
だから安心して? そう言って、摩夜は一歩ずつ俺の方に近づいて来る。俺は……俺は、何を言えばいいのか分からず、ただ唖然と摩夜の姿を眺める。
「お兄ちゃん。心配しなくても、大丈夫だよ? 今日は前みたいに、いきなり……抱いて、なんて言わないから」
摩夜の手が優しく、俺の頬に触れる。その手は前と同じで冷たくて、でも俺はやっぱりそれを握り返すことはできない。
「………………摩夜。俺は……俺は、お前のことが……好きなんだよ」
「……え?」
今度は摩夜が、唖然と俺を見る。俺はそんな摩夜とは目を合わさず、淡々と独り言のように言葉を続ける。
「でもな、それはやっぱり……家族としての想いなんだ。姉さんのことも、会長のことも、天川さんのことも、俺は好きだ。……でもその想いは、家族に向けるものだったり、友人に向けるようなものだ。……まだそれ以上は、どうしても無理なんだ。ただ誰かを好きになればいいだけだって、分かってる。でも、どうすれば好きになれるのか……それがどうしても、分からないんだ……」
今ここでキスをすれば、摩夜を愛せるのだろうか? それとも、もっと先の行為をしなければ愛せないのだろうか?
……違うと、俺は思う。ただ抱くだけで人を愛せるのなら、恋愛はもっと簡単なことの筈だ。でも、人を好きになるっていうのは、そんなに単純じゃない。……いや、単純だからこそ難しいんだ。
だから皆んな、いろんな手段を用いて、相手に好きになってもらおうと努力する。……でも、自分の意志でも他人の意志でも、心を動かすことはできない。
心はいつだって、人の意志なんて気にしない。だから俺はずっと、同じ所で立ち止まったままなんだ。
どうすれば、人を好きになれるのだろう?そればかり、考えてきた。……でもその答えはきっと、どこにもない。
だから、俺は──
「お兄ちゃん。キス……するね?」
摩夜はそう言って、俺の返事を待たずにキスをする。今度は前みたいに、啄ばむようなキスじゃない。あの日、姉さんが俺にしたような、貪るような激しいキスだ。
「…………ねえ、お兄ちゃん。気持ちいい? ドキドキする?」
摩夜は一度唇を離して、まっすぐに俺の瞳を見る。
「…………」
俺はそれに、なんの言葉も返せない。
「私はね、すっごく気持ちいい。心がおかしくなるくらい、気持ちいい。心臓が破裂するくらい、ドキドキする。……でもお兄ちゃんは、私のことを……私と姉さんのことを、家族として見てる。だからお兄ちゃんはまだ……何も感じられない。……そうでしょ?」
「…………何も感じてないわけじゃ、無いんだ。摩夜と初めてキスした時、俺は凄くドキドキした。姉さんに抱きつかれた時も、同じようにドキドキした。……でも……」
それ以上はダメだと、心に制限がかかる。それ以上の想いを2人に向けてはダメだと、無意識が俺の足を引っ張る。……いや、2人だけじゃ無い。俺は誰に対しても、一定以上の想いを待たないようにしている。
皆の想いに向き合わないと、俺はずっとそう思ってきた。でも俺の本質が、それはダメだと警鐘を鳴らす。
だって、俺は───。
思い出す。たった一度だけ、心の底から誰かを好きになったあの時のことを、俺は……思い出す。あのどうしようもない結末と共に、俺はそのことを思い出してしまう。
「…………お兄ちゃん。もっと、キスしよ……?」
摩夜はまた、キスをする。激しく強く、俺の思考を塗り潰すように、何度も何度もキスをする。
「……私はね、お兄ちゃん。お兄ちゃんに、女として見て欲しい。……多分それは、姉さんも同じはず……。だから私も姉さんもこんな風に無理に迫って、お兄ちゃんに少しでも……意識してもらおうとする。……今までの積み重ねを全部壊してでも、お兄ちゃんに……愛して欲しいから……」
そして摩夜は、またキスをする。
「……お兄ちゃん。だから私はね、別に抱いて貰えなくてもいいの。ただ少しでも、ほんのちょっとでいいから、お兄ちゃんに……女として意識して欲しい。この気持ち良さを。このドキドキを。この……どうしようもない愛情を。ほんの少しでいいから、お兄ちゃんに知ってもらいたい……」
「…………」
摩夜の唇は、凄く柔らかい。摩夜の身体からは、とてもいい匂いがする。摩夜の温かさに触れていると、少し心が和らぐ。
……でもそれだけ。
それだけしか、摩夜の心に触れてやれない。
「お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん……!」
摩夜が俺に溶け込む。摩夜と俺の境界がなくなる。それくらい激しく、それくらい何度も、摩夜は俺にキスをした。
……しかしそれでも、摩夜の背中を抱きしめてやることは、できなかった。
あの時は躊躇わず、抱きしめてやることができた。なのに今は何故か、身体が動いてくれない。情け無いって、そう思う。何でそんなこともできないんだって、何度も何度も思う。
でも、今ここで摩夜に触れてしまったら、俺はきっと……摩夜に甘えてしまう。好きでも無いのに、摩夜の想いに応えてもいないのに、ただ疲れたからって摩夜の想いに逃げてしまう。
それでは、ダメだ。
……それじゃあ、ダメなんだ。
「……お兄ちゃん。これで姉さんより、私の方がいっぱいお兄ちゃんにキスしたよね? ……ううん。きっと世界中で1番、私がお兄ちゃんの唇に触れてる」
「…………」
「もう誰にも、お兄ちゃんは渡さない。お兄ちゃんのことは、絶対に私が守ってみせる。お兄ちゃんが安心して私を愛せるように、余計なものは全部、私が取り除いてあげる」
「………………摩夜。摩夜自身も含めて、誰かを傷つけるような真似だけは、しないでくれ。……俺が言えるのは、それだけだ……」
「うん、分かってる。お兄ちゃんは、優しいもんね。だから私は、私以外要らないって、そうお兄ちゃんに言ってもらえるように、頑張る。……いつかお兄ちゃんに、私の全てをあげられるように……」
そう言って摩夜は、最後に一度キスをする。今までのキスとは一変して、ただ触れるだけのキス。そんな優しいキスをして、摩夜は俺から距離を取る。
「…………夜遅くにごめんね、お兄ちゃん。もう2度とこんな真似はしないから、今日だけは……私のわがままを許して……」
「分かってる。……分かってるよ、摩夜」
「うん、ありがとう。……おやすみ、お兄ちゃん」
「ああ、おやすみ。……摩夜」
去って行く摩夜の背中を、ただ眺める。肩口で揺れる摩夜の髪を、ただぼーっと眺める。そんな風に、ただ呆けている俺に摩夜は優しい笑みを向けて、俺の部屋を後にする。ちゃんと鍵はかけておいてね、そう最後に言い残して。
「…………」
俺は重い身体を何とか起こして、部屋の鍵を閉める。そしてそのまま、ベッドの上に倒れ込む。……唇に、まだ摩夜の感触が残っている。身体中に、まだ摩夜の温かさ残っている。
「………………寝よう。明日も学校に、行かなきゃならない……」
自分に言い聞かせるようにそう呟いて、俺はゆっくりと目を瞑る。酷く疲れていた。でも何故だか、中々眠ることができない。……だから俺は、何度も1人で考えた。
摩夜のこと。姉さんのこと。会長のこと。天川さんのこと。
そして、俺が初めて好きになった、あの人のことを。
いつ眠りについたのか、自分でも分からない。ただこの日、夢を見た。ぐるぐると回る思考の中で、あの日の夕暮れを思い出す。
──あの子は、赤い夕焼けが好きだと言った。
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