会長は決めました!

 


 久遠寺くおんじ 桃花とうかは、揺れていた。学園の生徒会長として、胸を張れるよう生きてきた筈なのに、それでも彼女は揺れていた。


 古武術道場の師範の父と書道家の母を持った彼女は、厳しい躾けの中で生きてきた。毎日毎日、彼女は結果を求められ続けた。しかしそれでも、桃花はそれを苦には思わなかった。才能があったのもそうだし、彼女の元来の生真面目さからくる努力のお陰で、多くのことで結果を残せたからだ。


 久遠寺 桃花は自分が強い人間だと、そう自覚していた。


 しかし、高校に入り自立心を養うためにと始めた一人暮らしで、彼女は存外、自分が弱いのだと知った。1人になると、不意に誰かと話したくなる。でも彼女は、そんな時に気安く話しかけられる人間を、見つけることができなかった。他人に頼るのは甘えだと、そう強がってはみたけれど、それはただの逃避だと、彼女は自分でも気がついていた。


 強さとは、何かを支えにして初めて成り立つのだと、彼女はようやく理解した。


 そうして彼女は高校の最高学年になり、生徒会長になった。できるだけ多くの人間の支えになりたいと、そう思ったからだ。……でも、それでも、彼女の胸に巣食った孤独は埋められない。人を気遣い、人と関われば関わるほど、自分の孤独を深めるばかりだった。



 でもそんな時に、現れたんだ。



「そんな所で1人で、なにしてるんですか? もし暇だったら、俺とゲームでもしませんか?」



 そのたった一言で、彼女の胸に巣食った孤独は消え去った。こんな簡単なことでよかったんだと、彼女は静かに理解した。


 それから、彼女の胸に孤独とは別の想いが、巣食い始めた。


 桃花はその想いに悩み、その想いの為に行動し、そしてその想いの為に相手を求めた。おふざけのように手を伸ばし、そうやって触れるたび心臓が跳ねた。




 ……ただ、それだけの想いで満足できたのなら、どれだけよかったことだろう。時が経つ度に、時間が進む度に、彼女の胸に巣食った想いは徐々に色を変えていった。



 ただ愛するだけでは満足できない、そんな歪んだ想いへと。



 ◇



 笹谷ささたに 摩夜まやは部活をサボって、兄の通う学校の前で兄の帰りを待っていた。今日渡した弁当。それを兄は、喜んでくれたのだろうか? それが気になって気になって、仕方がなかった。何にも手がつかないほど、兄のことしか考えられない。他のことなんてどうだっていいと思ってしまうくらい、兄のことで頭がでいっぱいになる。


「……ふふっ。お兄ちゃん、早く帰ってこないかな……。早くお兄ちゃんに会いたい。早くお兄ちゃんと話がしたい。早くお兄ちゃんに……触れたい……」


 兄の姿を想像するだけで、心臓が強く脈打つ。まるで、心臓が自分のものじゃ無いみたいだ。自分の気持ちに正直になってから、摩夜の心は随分と軽くなった。あんなに思い悩んでいたことが全部嘘みたいに、兄のことだけを考えられる。


「あ! お兄ちゃ……ん?」


 摩夜はそう兄に声をかけようとするが、途中で何かに気がついたように、慌てて近くの建物に身体を隠す。兄が誰だか知らない女と、楽しそうに歩いて来た。……昨日見た黒髪の女とは、また別の女と兄は歩いている。




 またお兄ちゃんが、変な女に騙されてる。




 摩夜の思考が一色に染まる。今すぐにでも、お兄ちゃんを助けてあげないと。


「…………」


 そう思い駆け出そうとするけれど、摩夜はすんでのところでそれを思い留まる。


「…………今行ったら、またお兄ちゃんを困らせちゃう。それじゃダメだ。お兄ちゃんに嫌われるちゃうのは嫌だ。絶対に、嫌だ。でも、お兄ちゃんが他の女と仲良くするのも嫌だ。……だから、お兄ちゃんは……私が守ってあげないと……!」


 摩夜は瞳孔の開いた目で、2人の姿を眺める。まるで獲物を狩る前の狩人のように、ただ黙って2人の後を追う。摩夜は1人、考える。女が1人になった時に、伝えればいいんだと。お前は邪魔だと。兄に近づくなと。



 お兄ちゃんは、私のだと。




 摩夜は静かに2人の背中を追う。獲物が隙を見せる、その時まで。



 ◇



 そして、トイレに行くと言って、笹谷ささたに 真昼まひるは生徒会長の桃花から距離をとった。摩夜は無論、その隙を見逃さない。


「ねえ、貴女。私のお兄ちゃんと、何をしてるの?」


 そう声をかけられて、入り口近くでぼーっとしていた桃花は、驚いて声の方に視線を向ける。


「……えーっと、君はどちら様かな? ……その口ぶりだと……真昼の妹さんかな?」


「そうよ。で? 貴女はだれ?」


 桃花は摩夜の無礼な態度を気にした風も無く、余裕のある笑みを浮かべて答えを返す、


「ボクは久遠寺 桃花。真昼の通う学園の生徒会長を務めさせてもらっている。真昼とは……まあ、友達かな?」


「友達、ね。……それにしては貴女のお兄ちゃんを見る目が、妙に……いやらしかった。まるで……今にでもお兄ちゃんに、襲いかかろうとしているみたいに……」


「…………」


 桃花は言葉を返せない。彼女が真昼と2人で買い物するのを楽しんでいたのは、事実だ。そして、隣を歩く彼に……触れたいと思っていたのも間違いでは無い。


 でもそれは……。


「……君は、何が言いたいんだい? ボクと真昼は、ただ一緒に買い物をしていただけだよ? 妹だからといって、とやかく言われる筋合いは無いと思うんだけど……」


「……その目。やっぱりお兄ちゃんに、発情してたんだ……。……変態。そんな目でお兄ちゃんを見ないで。お兄ちゃんを愛していいのは……私だけなんだから。……貴女なんて要らないのよ……!」


「君は……君は一体、何を言っているんだ?」


 桃花は困惑する。目の前の真昼の妹を名乗る少女が、何を言っているのか全く理解できなかったから。初対面でこんなに真っ直ぐ嫌悪感をぶつけてくる人間を、桃花は知らない。


 ましてやあの、真昼の妹だ。彼の妹がこんな……こんな風に他人に嫌悪感をぶつけるなんて、どうしても思えない。


「私は、貴女が邪魔だって言ってるの。友達だがなんだか知らないけど、お兄ちゃんに近寄らないで。……どうせ貴女だって、お兄ちゃんの見た目に騙されて、ほいほい近寄って来たバカ女でしょ? ……気持ち悪い。お兄ちゃんに近寄らないで。お兄ちゃんに、触れないでよ……!」


「…………ボクは別に、そういう訳じゃ……」


「じゃあ貴女にとって、お兄ちゃんは一体なんなのよ!」


「…………それは……」


 ……友達、なのだろうか? 本当に自分が真昼に向ける感情は、それだけなのだろうか? 桃花は考える。自分にとって真昼は、一体なんなんだ? と。


「…………」


 いつも気がつくと、彼のことばかり考えていた。自分が初めて敗北した男。……でも、どうしても、勝ちたいとは思えない。


 ただずっと、側に居たくて。ただずっと、見ていて欲しくて。ただずっと、触れたくて。




 ──そして、何より……。



 2人はただ、見つめ合う。鋭い目つきで、睨み合うように見つめ合う。永遠に続きそうなほど、重い沈黙が場を支配する。


「…………」


「…………」


 しかし、そんな沈黙を打ち破るように、ふと声が響いた。



「なあ、2人ともこんな所で何をやってるんだ?」


 2人は声の方を見る。声の主は、笹谷 真昼。彼はどこか困ったような表情で、そう2人に声をかけたのだった。



 ◇



 どうして摩夜がここに居るのか。どうして会長と話をしているのか。どうして……睨むような目つきで、見つめ合っているのか。俺には何も分からない。だから俺は、普段通りに声をかけた。それ以外、何も思い浮かばなかったから。


「あ、お兄ちゃん! あのね、この人がね、お兄ちゃんを騙そうとしてたの! だから私は、お兄ちゃんを守ろうとしたんだよ!」


「…………」


 まるで昨日の焼き回しのような言葉に、俺は言葉を返せない。そうだ。俺は昨日、告白されたんだ。だというのに次の日、別の女の子と遊びに出かけた。……バカか俺は。そうだ。少し考えれば、こうなることなんて簡単に想像できた。本当に俺は、何をやっているんだ。


「真昼」


 会長が真っ直ぐに俺を見る。どこか覚悟を決めたような瞳で、ただ俺を見る。


「……ボクは今やっと、確信を持てた。君の妹のお陰だ。あんな風に真っ直ぐに問われなければ、ボクはきっと気がつかなかっただろう。そうだ。ボクの心なのだから、ボクが勝手に決めていいものだったんだ。そうか、単純なことだったんだ……」


 ずっと揺れていたものが今定まったかのように、会長は俺を見る。その瞳は爛々としていて、まるで……まるで……。


「行こう? お兄ちゃん。この人、用事あるんだってさ」


 摩夜は会長を無視して、俺の手を引っ張る。でもそれを遮るように、会長は言った。真っ直ぐにこっちを見て、胸を張るように自分の想いを口にする。








「真昼。ボクは君が好きだ」


 それはもう、勘違いのしようがないほど真っ直ぐな言葉で、だから俺は何の言葉も……返せなかった。


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