みんな、これからです!

 


「──貴方は、誰が好きなの?」



 俺は、その問いの意味を考える。……いや、本当は考えるまでも無いことなのだろう。この状況で、3人の瞳を見て、家族として好きだとか、後輩として好きだとか、そういうことを言ってるんでは無いと、流石の俺でも理解できる。



 3人は1人の女として、問いかけているんだ。



 お前は、だれが好きなんだ? と。



「…………」


 歯を、強く噛み締める。ぎりっと音を立てても構わず、強く強く噛み締める。俺は……俺は、摩夜と姉さんのことを、ずっと家族として見てきた。姉さんのおふざけや、摩夜のあの……キスも、兄妹としてのスキンシップや、ただのおふざけの範疇だと……そう思っていた。


 でも、そうじゃないんだ。


 こんな状況になって、ここまではっきりと問われて、俺はようやくそのことに気がついた。心臓が痛いほど、脈打つ。今、自分が何を思っているのか、自分でも全く分からない。ただ心臓が、強く脈打つ。


「……俺は……」


 しかしそれでも、俺は応えなくてはならない。3人がここまで真っ直ぐに俺を見るのなら、俺が3人から目をそらす訳にはいかない。兄として、弟として、先輩として、何より……男として、俺は彼女たちと真っ直ぐに向き合わなければならない。


「…………俺が好きなのは……」


 ……でも本当を言うと、今すぐ逃げ出したい。だって、分からないんだ。ずっと家族だった筈なのに、家族としての時間を十何年も一緒に過ごしてきた筈なのに……今更、そんな……。


 それに天川さんだって、俺は彼女とそこまで親しかった訳じゃない。天川さんは摩夜の友達として、何度かうちに遊びに来て、その時に少し話をした程度の仲だ。だから、好きとか嫌いとか、そんなこと言えるような関係じゃないんだ。


「…………」


「…………」


「…………」


 3人はただ黙って、俺を見る。その瞳の意味が俺には分からない。期待しているのか、確信しているのか、それとも後悔しているのか、俺には想像もつかない。ただ彼女たちが俺に好意を向けてくれているというのは、理解できる。今になってようやく、そのことに気がついた。


「………………」


 だったら、答えは初めから決まっている。この中で1人、誰かを恋人にするんだとしたら……。そんな風に考たら、本当は考えるまでも無いことだって、そう気がつく。だって俺は、初めから分かっていた。ただそれでも、誰も傷つけたく無くて、誰にも泣いて欲しく無いから、俺はただ誤魔化していただけなんだ。



 ……でも



 ここで躊躇しても、ここで嘘を吐いても、ここで無理をしても、きっと誰のためにもならない。




 だから俺は、正直に自分の想いを言葉にした。















「──ごめん。俺は、誰とも付き合えない。今はまだ、誰のことも……そんな風に意識できない。だから……ごめん」




 俺はそう言って頭を下げた。……でも本当は、誰の顔も見たくなかっただけなのかもしれない。……怖い。怖いんだ。嫌われるのが、傷つけるのが……傷つくのが。


「…………」


「…………」


「…………」


 3人は何も言わない。ただ3人の視線が、俺に向けられているのは分かる。傷つけただろうか? 裏切ったのだろうか? 嫌われて、しまったのだろうか? でも俺は、こんなところで嘘はつけない。


 怖い。怖い。怖い。



 だから……だからせめて、顔を上げよう。



 俺の選択で誰かを傷つけてしまったのなら、せめて俺が、ここに居る誰よりも傷つくべきだ。選択したのが俺なら、その結果を1番重く受け止めるのは、他の誰でもない。俺じゃなきゃいけないんだ。



 だから俺は、顔を上げた。











 …………誰も、泣いてなどいなかった。




「……ふふっ。真昼くんなら、そう言うよね? 分かってたよ。真昼くんは優しいから、そういう選択しかしないって。……でも大丈夫だよ? 私は分かってるから……」


 あまね……姉さんは、笑っている。狂気を孕んだ瞳で、ただ笑っている。


「うん、分かったよ。お兄ちゃん。今はまだ、今はまだ、誰のことも意識できない。そう言ったよね? ……うん、分かったよ。だったらこれから、私を意識して貰えばいいんだね? ……うん、分かったよ……分かったよ。お兄ちゃんが望むのなら、私はそれでも構わない……」


 摩夜も笑っている。瞳孔の開いた目で、こっちを真っ直ぐ見ながら、ただ笑っている。


「…………そうっスよ。お兄さんはここで、誰かを選ぶような人じゃないんス。お兄さんは……神さまなんスから、こんなところで誰かを選んじゃいけないんっス。……でも、それでももし、お兄さんが誰かを選ぶんだとしたら……それは……それは……!」


 そして、天川さんも笑っている。爛々と狂った瞳で、真っ直ぐに俺を見る。


「…………」


 俺は一度だけ、女の子に告白されたことがある。中学の卒業式の時、彼女は俺を校舎裏に呼び出して、言った。


 貴方が好きです、と。


 でも俺は、断った。今と同じように、断ったんだ。……彼女は泣いた。本当に悲しそうに、まるでその瞬間、世界が滅びてしまったかのように、彼女は泣いた。だから……だから3人も、同じように泣いてしまうんじゃないかと、俺はそう思っていた。


 ……分からない。本当に分からない。彼女たちはなんで、笑っていられるんだ? 一体、彼女たちは何を、笑っているんだ?


「真昼」


「お兄ちゃん」


「お兄さん」


 3人が俺を呼ぶ。俺を呼んで、俺を見る。


「好きだよ」


「……好き」


「ずっと、好きっス」


 俺は彼女たちを振った筈なのに、彼女たちは変わらず俺に愛の言葉を告げる。……意味が、分からない。


「…………」


 俺は何も答えられない。もう本当に、何もかもが分からない。人の気持ちを慮るのが苦手だとか、もうそういう話じゃない。彼女たちが何なのか、それすらもう理解できない。




「──だからこれから、楽しみにしててね?」




 3人はそう告げて、俺の前から去っていった。俺はそれを引き止めることもできず、ただ黙って彼女たちの後ろ姿を見送った。


「………………………………ははっ」


 満月が、桜を照らす。それは星々でも、涙でもない。それは、ただの……。満月の光が、厚い雲に遮られる。光が途絶えると、まるで桜の花びらも消えてしまったかのように、見えなくなってしまう。……でも、所詮は光だ。遮れば見えなくなるのは、当然のことなんだ。


「……帰ろう」


 家に帰れば、きっと2人が待っている筈だ。俺は、向き合わなくちゃいけない。これから、いろんな人のいろんな想いと、向き合わなければならない。


 だからせめて、目を逸らさずにいよう。彼女たちが何を言っているのか分からなくても、自分の心だけは偽らずにいよう。そう覚悟を決めて、俺は見えない月に背を向ける。



 新しい日常が、ここから始まった。



 ◇



 笹谷ささたに 朝音あさねは、心の底から楽しそうな笑みを浮かべて、1人夜道を歩く。


「……ふふっ。真昼はやっぱり、優しいなぁ。……きっと摩夜ちゃんと、その友達を傷つけたくなかったから、あんなことを言ったんだろうなぁ……」


 朝音は、自分の弟の顔を思い出す。状況もうまく理解できていなかっただろうに、それでも必死に皆の想いと向き合おうとした、あの……可愛い顔を。


「真昼、可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。……無茶苦茶にしたいくらい、可愛い……。……大丈夫だよ? 真昼。お姉ちゃんが、優しく優しく……全部教えてあげるから……」


 朝音は、これからのことを考える。これから真昼に、どんなことをしてあげられるのか。これから真昼が、どんなことをしてくれるのか。それを考えると、楽しみで楽しみで仕方がない。もう、何をしてもいいんだ。今なら何をしても、真昼なら受け入れてくれる。


「真昼……喜ぶんだろうなぁ。またあんな可愛い顔を、私に見せてくれるんだろうなぁ」


 そして、そうやって自分が愛し続ければ、きっと真昼も自分の心に素直になるだろう。……誰が好きで、誰を愛して、誰だけを見ていればいいのか、きっと真昼も理解してくれる。


「……ふふっ。楽しみ……」


 朝音は1人、夜道を歩く。月が雲に隠れて辺りが闇に染まっても、そんなこと気にもせず、これからのことに想いを馳せながら、彼女は1人笑い続けた。



 ◇



 笹谷ささたに 摩夜まや天川あまかわ 三月みつきは、視線を合わせること無く、早足に夜道を歩く。


「……ねえ、摩夜。1つ訊いてもいいっスか?」


「なに?」


「摩夜って、お兄さんのこと好きなんスか? ……妹としてじゃなくて…………1人の、女として……」


 2人は視線を合わせない。ただ前だけを見て、会話を続ける。


「……………………そうよ。悪い?」


「……いや、悪くないっス」


「そういう三月はどうなの? お兄ちゃんのこと……好きなの?」


「…………」


 問われて、三月は足を止める。立ち止まって、真っ直ぐに月を見上げる。摩夜はそんな友人の姿を、正面から見つめる。友人がどんな答えを出しても、決して目を逸らさないように。


「…………好きかって言われると、ちょっと困るっス。あたしにとって……あたしにとってお兄さんは…………神さまみたいなものなんス。ずっとあのままで、ずっとそこにいて欲しいんス。ただ当たり前のようにそこにいて、ただずっとあたしを見ていて欲しいんス」


 三月の瞳が、月明かりを吸い込む。そして爛々と爛々と、狂ったように揺れ続ける。


「…………そう。貴女の言葉は分かりにくいから知らないけど、これだけははっきりさせとく」


 摩夜は真っ直ぐに、三月を見る。だから三月も真っ直ぐに、摩夜を見た。


「お兄ちゃんは誰にも渡さない。三月でも、姉さんでも……あの女でも、関係ない。お兄ちゃんは私だけを……見てればいいんだから……」


「…………そうっスか。じゃあここでお別れっスね。あたしは家、向こうっスから」


 三月は摩夜から視線を逸らし、別の道へと視線を向ける。


「うん。じゃあね、三月。また明日…………学校で……」


「……うっス。また明日っス」


 2人は道を違え、歩き出す。前だけを向いて、ただ進む。


「…………お兄ちゃん。今までは私、怖くて……素直になれなかったけど……。でも、もう大丈夫。お兄ちゃんのことは、私が守ってあげるから。…………だから……ふふっ」


 摩夜は笑う。月すらも震えるような狂気で、ニヤリと口元を歪める。





「…………いっぱい、私のこと愛してね……」





 デートは終わった。そしてこれから、もっともっと楽しい日常が幕を開ける。


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