弟は困惑です!
「にしても、真昼が寝坊するなんて珍しいよね。……本当に大丈夫?」
姉さんは少し心配そうな顔で、こっちを見る。
「そんなに心配しなくても、大丈夫だよ。ちょっと寝坊しただけだから」
俺はそれに、いつも通りの笑顔で応える。……あれから俺は、しばらく動くことができなかった。だから姉さんが様子を見に来てくれるまで、ずっとベッドの上で天井を眺め続けていた。
「真昼がそう言うなら、良いんだけどね。……まあ、今はとりあえず、ゆっくりしてなよ。朝ごはんの準備は、お姉ちゃんに任せてさ!」
「ありがとう、姉さん」
「えへへっ。どういたしまして!」
今日は姉さんが1人で、朝食を作ってくれている。数年ぶりに俺が寝坊したせいで、色々と心配してくれる姉さんに適当な言い訳をしていると、いつのまにかそういう事になった。だから俺は椅子に座って、料理する姉さんの後ろ姿をぼーっと眺めている。
「……にしても、真昼が寝坊するなんてねー。……もしかして、お姉ちゃんとエッチなことする夢でも見た?」
「バカなこと言ってないで、早く朝飯を用意してくれよ。手、止まってるぞ?」
「それは、大丈夫。手は止まっても、口は動いてるから……って、そっか! 真昼はお姉ちゃんの朝ごはんが食べたかったから、わざと寝坊したんだ! そうでしょ? そうなんでしょ?」
「……もうそれでいいから、早くしてくれ」
「そうと分かれば、気合い入れちゃうぞー!」
姉さんは、ふんふんと楽しそうに鼻歌を歌いながら、朝ごはんの準備をする。俺はそんな姉さんを尻目に、斜め前に座った摩夜に視線を向ける。
「……なに?」
「いや……なんでも……」
「…………あんま、チラチラ見ないでよ。……気持ち悪い」
「…………」
摩夜の態度は、いつもと何も変わるところがない。今朝のことは全部夢だというように、相変わらず辛辣な態度のままだ。
あれはやっぱり、夢だったのか? ……いや、あの唇の感触が夢だとは到底思えない。……いやいや、そうじゃない。そうじゃないんだ。夢であれ現実であれ、摩夜があれは夢だと言った。だったら俺も、いつもと変わらないように振る舞うべきだ。
……またあの柔らかな感触を思い出すけど、俺はそれは夢だと割り切って、いつも通りに振る舞うことにする。
「って、姉さん。焦げ臭いけど、大丈夫? ……卵焦げてるじゃん。これ姉さんの分ね」
「あれ? 真昼知らないの? これはね、ターンオーバーって言ってね……」
「いや、姉さん。ターンオーバーは、黒焦げになるまで目玉焼きを焼くことじゃ無くて、目玉焼きの両面を焼くことなんだよ」
「…………あれ?」
「姉さんは勉強以外は、ほんとバカだな。……いいよ、助かった。後は俺がやるから、姉さんはお皿でも出しといてくれ」
あれれ? と、首を傾げながらお皿を出す姉さんは放って置いて、さっさと他の料理も仕上げてしまう。……黒焦げの卵は姉さんに、と言ったけど、せっかく作ってくれたんだから俺が食べてやるとしよう。
そんなことを考えていると、ふと背中に視線を感じた。
「…………」
振り返る。すると一瞬、摩夜と視線が合う。……けど摩夜は、すぐに視線を逸らしてしまう。そんな態度をされると、こっちもどう振る舞えばいいのか、分からなくなる。……いや、普段通りでいい筈だ。だってあれは、夢なんだから。
「はい、できた。姉さんには、本物のターンオーバーをやるよ。俺は仕方ないから、姉さんの作った偽物を食べてやるよ」
「……ふふっ。やっぱり真昼は優しいよね。そういうところが、お姉ちゃんは好きです。頭、なでてあげる」
「そういうのはいいって。つーか、さっさと食べてないと、遅刻するぞ?」
そう言って、皿を机の上に並べて椅子に座る。
「いただきまーす。……うーん! 美味しい! やっぱり真昼の料理は絶品だね! お姉ちゃんも早起きした甲斐がありました!」
「別に姉さんの早起きは、関係ないだろ?」
「それで? お姉ちゃんが1人で作ってあげた目玉焼き、美味しい?」
「…………まあ、ギリ食えなくはないな」
姉さんの作った目玉焼きは、黒焦げで食べられるレベルのものでは無いけれど、姉さんが凄く楽しそうなので、その分加点しておいてやろう。
「えへへ。伸び代ありだね?」
「……なら、もっと頑張ってくれよ」
「うん! 頑張るよ! ……今日もお夕飯、一緒に作るよね?」
「うん? そうだな……じゃあ、そうするか。……あーでも、買い物は行かなくていいからな? 食材がまだ、余ってるから」
「りょーかい!」
普段通りに、姉さんと話す。摩夜は相変わらず、会話には入ってこない。ただ時折、冷たい視線でこちらを眺めるだけ。
「…………ごちそうさま」
摩夜は小声でそう言って、洗い物を流しへと持って行く。そして自分の分の皿を手早く洗って、
「……行ってくる」
そう小声で呟いて、家を出て行く。
「いってらっしゃい」
俺は一応そう声をかけるけど、摩夜はこっちを見もしなかった。
「…………ねぇ、真昼。摩夜ちゃんと、何かあったでしょ?」
「………………どうしたんだよ? 急に」
姉さんは目玉焼きをパクリと口に運んで、ニヤリと口元を歪める。
「真昼はさ、自分の心を隠すのが上手じゃん? 百戦錬磨のお姉ちゃんでも、真昼の真意はちょっと分からない。……でも、摩夜ちゃんはね、凄く分かりやすいんだよ」
「俺には、いつも通りにしか見えなかったけど……」
「あははっ。真昼は鈍いからなー。摩夜ちゃん、あんなに分かりやすく…………あ、思い出した。そういえばさ、真昼。昨日の帰りに言ってたよね? 抱き合ってた件で、摩夜ちゃんにフォロー入れといてって」
……そういえば、頼んでいたな。あんなことがあったから、すっかり忘れていた。
「そういば、頼んでたね。……でも多分それはもう、大丈夫だと思うよ?」
「真昼が何かしてあげたんでしょ? あの子あんなに……嬉しそうなんだもん。お姉ちゃん、一目で分かっちゃった」
嬉しそうだった……だろうか? 俺には、とてもそういう風には見えなかった。……あんなことがあったのに、摩夜は随分といつも通りに見えた。
「……いやでも、姉さんがそう言うのなら、そうなのかもな」
昔から摩夜の気持ちは、俺より姉さんの方がずっと分かってやれている。
「うんうん。なんにせよ、摩夜ちゃんの誤解が解けて、お姉ちゃんも嬉しいよ」
姉さんは、本当に嬉しそうに笑う。だから俺も、それにつられるように笑顔を浮かべる。
「だな。……よしっ、ご馳走さま。まあまあ美味しかったよ。……お礼に皿は洗っておいてやるから、姉さんは先に出ておいていいぞ?」
「……いいの? 私はまだ、時間に余裕があるけど?」
「いいよ。俺だって、皿を洗うくらいの時間はある」
「そう? ………………じゃあ、任せた!」
姉さんは何かを企むようにニヤリと笑って、駆け足に階段を上って行く。俺はそれを見送って、皿洗いを始める。
「…………」
皿洗いをしながら、少し考える。姉さんが言うには、摩夜は喜んでいたらしい。……なら摩夜は一体、何を喜んでいたんだ? プリンを? それとも……。
夢が一瞬、脳を過る。
「…………考えても、仕方ないか」
そう自分に言い聞かせて、作業に集中する。手を動かして入れば、余計なことは……。
「って、うおっ⁈」
思わず、変な叫び声を上げてしまう。……背中に、特大のマシュマロみたいな柔らかい感触を感じる。姉さんだ。姉さんが急に、背中から抱きついてきたんだ。
「……えへへ。いきなり背中から抱きしめられると、凄いびっくりするでしょ?」
「…………ああ、そうだな。危うく、皿を割りそうになった」
「真昼、背中大きいね。……いつのまにか、こんなにたくましくなってたんだね……」
そう言って姉さんは、俺の肩に頭を乗せる。
「……どうしたんだよ? 姉さん。昨日、摩夜に抱き合ってるのを見られて、面倒になったばかりだろ? ……それなのに、いきなりこんな……」
「大丈夫だよ。摩夜ちゃんはもう学校に行ったし、今は2人っきりだよ」
「…………でも色々と……不味いだろ?」
「もしかして、お姉ちゃんのおっぱいが気になる?」
背中に、柔らかい2つの塊が押し付けられる。正面から抱きしめた時よりも、ずっと生々しくその感触が伝わってきて、正直……きつい。
「分かった、姉さん。謝るよ。昨日、いきなり後ろから抱きついたのは、悪かった。……だからもう、勘弁してくれ」
「謝る必要なんて、無いよ? 私すごく、嬉しかったんだもん。昨日いきなり真昼に抱きしめられて、すっごい……ドキドキした……。だから真昼にもね、同じ気持ちを味わって貰おうって、ずっとそう思ってたんだ……。……どう? 真昼もドキドキする……?」
「……ああ、凄くな……」
姉さんが喋るたびに、耳に吐息がかかる。姉さんをそういう風に意識するのは躊躇われるけど、いやが応にも意識してしまう。
「…………ねえ? 真昼。真昼は、摩夜ちゃんのこと……好き?」
「それは……好きだよ。大切な妹だからな」
「うん。私も摩夜ちゃん、好きだよ。……でもね、真昼。私の真昼がね、摩夜ちゃんにばっかり構うんだったら…………私もちょっと、拗ねちゃうよ?」
「いや……姉さん。何を言ってるんだよ。姉さんにはいつも、付き合ってるだろ? 昨日も一緒に料理して、夜遅くまでゲームしたじゃないか」
「うん、でもね。さっきの朝ご飯の時、摩夜ちゃんのことばっかり見てた。……私のことより、ずっと摩夜ちゃんを…………見てたんだよ……!」
ぎゅっと強く、姉さんが俺を抱きしめる。心臓が、早鐘を打つ。姉さんの柔らかい感触と、耳にかかる熱い吐息が、俺の身体に溶け込む。そんな錯覚を覚える。
「……姉さん……」
なにを言えばいいのか、分からない。姉さんが今なにを考えているのか、俺には全く分からない。だから、なにも言えない。
「真昼にはね、私のことを一番に見て欲しいんだよ。……摩夜ちゃんでも他の女でも無く……私を……」
「…………」
やはり俺は、何も言えない。姉さんの言葉は愛の告白みたいで、どうしようもなく俺の思考を奪う。
「…………真昼……」
姉さんの唇が、ゆっくりと俺の耳に近づく。俺はその艶かしい感覚のせいで、指一本うごかせない。
そして唇が耳に触れる直前、姉さんは小さく囁いた。
「冗談だよ」
そう言って、姉さんは俺から手を離した。
「………………勘弁してくれよ、姉さん」
俺はそう言って、大きく息を吐く。まだ心臓が、ドキドキしている。
「えへへ。ちょっと、真昼を驚かせてあげようって思ってね。……どう? びっくりした?」
「あんまりふざけると、いくら俺でも怒るからな?」
「ごめん、ごめん。真昼があんまり可愛いから、ついね」
「……ったく、まあいいよ。今回は許してやるから…………って、もう時間が無い」
時計を見る。時間はもうギリギリだ。皿を洗っている余裕すら無い。
「あ、ほんとだ。……じゃあ、お皿はお姉ちゃんが洗っておくよ。私はまだ、時間に余裕があるからね」
「あー、じゃあ頼めるか?」
「うん、任せてよ! ……それじゃ、いってらっしゃーい!」
そう言って手を振る姉さんに返事をして、俺は急いで家を出る。
「…………」
唇に摩夜の、背中に姉さんの感触が残っている。
「……こりゃ、授業集中できないな」
俺は1人そう呟いて、駆け足で学校に向かった。
「……………………冗談。ふふっ、今はまだ、冗談にしておいてあげるよ…………」
だから無論、そう言って俺のコップにキスする姉さんなんて、知る由も無かった。
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