弐 〝シ〟民課

「――おは…いえ、こんばんは……です……」


 午後11時20分、11時半の始業時間10分前。


 わたしは市役所一階フロア入ってすぐの所にある、昼間は・・・市民課となっているスペースへ出勤する。


 夜の闇に包まれた市庁舎のそこだけが蛍光灯の蒼白い光に弱々しく照らし出され、照明が点いてるとは思えないくらいに建物内は薄暗い。


 もとからこの市庁舎は戦前に建てられたかなり古いものであり、コンクリ造りの壁や天井にも所々シミができていたりするので、昼間はレトロ感のあるそれも夜の闇の中ではただただ不気味なばかりである。


 昼の顔とはまったく違う……いや、最早、別の建物と言っていいくらいに、とてもここが市役所だとは思えないようなオカルト感満載の雰囲気である。


「ま、その市役所とは思えないような所がわたしの配属先なんですけどね……」


 生まれてこの方、わたしはそんな課が地方行政機関にあるなんてことを…しかも、自分の生まれ育った町にまで存在するなんてことをこれっぽっちも知らなかったが、それは大昔からどの町にも密かにあったらしい……。


 わたしの配属された市民課ならぬ〝民課〟は、読んで字の如く「この世のものではない市民の皆さま」を対象とした行政サービスを行う部署である。


 例えば、亡くなったら生前の戸籍に代わって死者の戸籍〝鬼籍きせき〟への登録を行ったり、昨今よく聞く話だが、子供が皆、都会に出るなどして田舎の墓守をする者がおらず、祖先や親の遺骨を子供の居場所に近い新しい墓に移すような場合、この六波羅市からの転出処理をしたり(その逆に転入の場合も)…とまあ、そんな感じのお仕事だ。


 わたしもまだ実際にやりとりしたことがなく、よくは理解していないのだけれど、どうやらあの世で亡者の管理を統括している閻魔王庁と、まだこの世に留まっている霊達との橋渡し的な業務を行っているらしい……ま、現世うつしよでいえば、国の中央省庁と地方行政機関の間柄みたいなもんだろうか?


 ともかくも、訪れる市民が生きてる人間ではない・・・・・・・・・・のだから、勤務時間も市民課や他の課のように昼間ではなく、こんな草木も眠る真夜中に始業して、朝、生者が目覚め、街が動き出すのとともに終業となるというわけだ。


 完全に昼夜逆転したこの勤務状態……生者であるわたしにとっては大変酷なのであるが、その割に勤務時間外手当も残業手当も付かないので、どこまでも損な役回りでしかない。


 こんなんじゃ、仕事終わりに友達とも遊べないし、カレシ作ろうにも生活時間が合う人なんてほぼいないに等しいのでまず無理だ。


 職員組合か労働基準局に訴えてやりたいところではあるが、この業務内容については守秘義務があって、家族にも話してはいけないことになっている。


 だから、わたしも今までその存在を知らなかったわけなのだが、なので同じ市役所の職員ですら、その大半はわたし達のことを「当直にあたって夜勤してた人」ぐらいにしか思っておらず、この非常識な労働状況にも同情さえしてくれないありさまである。


 まあ、看護師さんとかも夜勤はあるし、百歩譲って労働時間のことは諦めるとしよう……だが、それよりももっと問題なのは、仕事で相手をするのが〝もう生きてはいない〟人間だということだ。


「――ひっ…!」


「篁くん、片目とれてるくらいでそんな顔しないの。失礼でしょう?」


 いや、片目ないどころか頭が半分潰れている血塗れの男性来庁者を前に、思わず顔を引きつらせて小さな悲鳴を上げてしまうと、上司である課長の賀茂がメガネのフレームを弄りながら注意をしてくる。


「あ、はい……すみません……」


 この仕事を始めたばかりの頃よりはだいぶ慣れてきたが、それでもやはりスプラッターな見た目の民の方が来ると、どうしても驚きと恐怖を感じて体が勝手に反応してしまう。


 だって、普通は一体見ただけでも絶叫するであろう幽霊を、一夜に何十体と目撃することになるのだ。そりゃあ、新人のわたしに平気でいろっていう方が無理な話だろう。


 でも、わたしと賀茂課長の他に、物部もののべさん、忌部いんべさんという男性職員、安倍さん、蘆屋さんという女性職員の先輩がいるのだが、わたしと違ってみんなもうベテランなので、たとえ手足がもげて、はらわたが飛び出たような人が来ても、いちいち驚いたりなどはしない。


 わたしも早く、みんなみたいに淡々と仕事がこなせるようになりたいものだ。


「え、えっと、鬼籍登録の申請ですね。お見受けしたところ……交通事故死ですかね? それじゃ、死亡届および生前の戸籍と照合して鬼籍を制作しますので。こちらに必要事項をご記入ください。ちなみに虚偽の記載をしますと、閻魔王庁の浄玻璃じょうはりの鏡の前では必ずバレますのでご注意ください」


 それでも、わたしは気を取り直して笑顔を作ると、マニュアル通りに自分の仕事をなんとか進めてゆく。


 死民の皆さんの外見にはまだまだ不慣れであるが、そこら辺の仕事内容に関しては、一応、一通り憶えたつもりだ。


 この鬼籍登録が済んでいないと、浄土か他の六道(天道・人道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄)へ行くかを決める閻魔王庁の裁判が受けられないため(※キリスト教徒などは煉獄れんごくへ行けない)、心残りがあって成仏できない幽霊などの例外を除き、亡くなった市民のほぼ全員が手続きにやって来る。


 ので、こんな真夜中であってもけっこう忙しい……特に季節の変わり目とか、お年寄りや病人が多く亡くなられた日の夜などは、血の気の失せた蒼白い顔の人々でフロアがいっぱいになっているくらいだ。


「――すみません。今年新盆でお家へ帰りたいんですが……」


「あ、パスポートの申請ですね。それでは、鬼籍謄本の方はこちらで用意しますので、転生されてる浄土の住民票を提出お願いします」


 また、次に来た白装束の品の良いお婆さんのように、成仏して天国や極楽をはじめとする浄土にいる霊が、あの世とこの世を行き来するためのパスポートを発行するのもわたし達の仕事だ。


 あの世にもパスポートが必要なのは、地獄や餓鬼道などから逃げ出した亡者が、現世に不法入するのを防ぐためである。


 以前、職員課の人が「お盆とお彼岸が忙しい」と言っていたが、確かにその前後にはその年亡くなったばかりの霊がパスポートなどの手続きをしに押し寄せるし、確かに目の回るような忙しさかもしれない。


 だが、そうした型通りの事務手続きならまだいい……ほんとに大変なのは、イレギュラーな事案の処理においてだ。


 例えば……。


「――ハハハハ、僕が死んでるですって? 冗談はよしてください。僕はいたって健康そのものですよ。体だってほら、なんか前より軽くなった気がしますよ?」


「それは肉体がなくなったからです! あのですね、あなたはもう一年以上も前に駅前の交差点で事故に遭って亡くなられているんです。もうこの世の者じゃないんですよ。ほんとお願いですから、その事実を認めて鬼籍登録してください!」


 霊能者が通りすがりに拾ってきたという、飛び跳ねて健康アピールをしてみせているサラリーマンの浮遊霊に対し、わたしは彼が死亡していることを懸命に説明して、鬼籍への登録をするよう説得を試みる。


 仕事の範囲広すぎるのにも、そうした迷える地縛霊や浮遊霊を懇切丁寧に教え諭し、早くあの世へ送ってやることも死民課の業務の範疇なのだ。


 そればかりか、今回は霊能者が連れてきてくれたものであったが、街中を巡回してそんな霊を回収してきたりする仕事もたまにある。しかも、こんな真夜中に……もう、ほとんど心霊スポット巡りだ。


 また……。


「――だからあ、そのボーイしてるリュウジって男とお店に内緒でつき合ってたんだけどぉ、あの夜、あいつのマンションでちょっとケンカになって、じゃあ別れるって言ったらカッとなったあいつにネクタイで首絞められたの! ねえ、本人のあたしが言うんだから、あいつが犯人で間違いないわけ! だからとっととあいつ捕まえてよ!」


 今度来た首に紐状の青黒い痕が残るもと・・キャバ嬢の若い女性は、鬼籍登録よりも何もりも、開口一番、自分を殺した男の名前と、その動機や殺害状況について興奮した様子で早口にまくしたてた。


「いや、お気持ちはわかりますよ。ですが、何度も言うようにここは市役所であって、警察みたいに捜査権も逮捕権もないんです。とりあえず、今お聞きした情報は警察に伝えておきますから……ま、信じてもらえるかはわかりませんけど……」


 その殺人事件のニュースは知っていたし、なんとかしてやりたい気持ちもないわけではないのだが、そんなことここで言われても警察ではないので困ってしまう。


 まあ、できるだけのことはすると伝え、とにかくなだめすかして納得させるしかない。少しでも警察がこちらの話に興味を示し、犯人逮捕へ繋がることを祈ろう。

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