放課後【短編】
疑わしいホッキョクギツネ
放課後【短編】
本当の意味での愛を僕は知らない。というよりもそんなことを考えたこともない。
「次郎、本当の愛ってどんなだと思う?」
放課後の教室には琴美と僕しか人はいなくて、突然そんなことを聞かれた僕は『?』というマークが頭の上に乗っているかのような素っ頓狂な顔で琴美を見返すことしかできなかった。琴美の表情を放課後の夕焼けが覆い隠す。そんな僕には頓着せずに琴美は話しかけてくる。
「国語の教科書に載ってたんだよね。なんか名言がいっぱい載ってるページ。知ってる?」
一瞬考える。
「知らない」
琴美は微笑をうかべて、一度自分の席に移動した。自分の机の中に両手をつっこんだ。国語の教科書を取り出してまたこちらに向かって来る。
琴美はワイシャツにスカートといういで立ちで、ワイシャツの下には色は分からないが淡いキャミソールが透けて見える。本当はワイシャツの下のキャミソールなんて見えていないのかもしれないけれど僕には見えている気がした。琴美は国語の教科書を開き『本当の愛』が載っているページを見せてくる。教科書に視線をもっていくと琴美のワイシャツの襟元からキャミソールが少しだけ窺えた。白だ。僕は白いキャミソールを確認できてとても満足だ。
エロいなあと思った。無防備なのか、わざとなのかは分からないけれど、ワイシャツの襟元を見られるかもしれないということに至っていない琴美のことを好ましく思った。
どうしてエロいのだろう。僕はどのような部分のことをエロいと感じたのだろう。キャミソールが見えたこと? ワイシャツの隙間からちらついたから? 分からない。
スマホでエロ動画を見ているときに考えることがある。動画の中で喘いでいるこの女優のどこがエロいんだろう? おっぱいが揺れているからかな? 感じているときの眉間に皺のよった表情かな? 分からないな。それでもオナニーはやめられない。
「どう?」
琴美が顔を上げる。目が合う。耐えられなくなり視線を教科書に落とす。教科書には『本当の愛とは魂を目覚めさせる』と書いてあった。
「分からないよ。僕に聞かれても」
「そう」
琴美は僕から身体を離して向かいの机に腰かけた。あきらめの色を滲ませて、言った。
「そうだよねえ。次郎じゃ分からないか。……だって彼女いないもんね」
「うるさいよ」
ならそんなこと聞いてくるなよ。僕は下を向いた。
「健二にでも訊いてみようかな。あいつ年上の彼女とヤリまくってるらしいし」
「なら、それがいいんじゃねえの」
ぶっきらぼうに聞こえるように意識して答える。「ヤリまくってる」という言いかたが全然似合っていない。琴美は気にせずに話し続けた。
「まあ、そうしよっかな。でも健二バカだからな。聞いてもちゃんとした答えなんて返ってこない気がするなあ」
きっと琴美は『愛について』本当に知りたいわけでもないだろう。この会話はなんなんだ。僕は何に付き合わされているんだ。琴美は僕のことをバカにしている。会話を続けることが億劫になってきた。
琴美のほうに顔をむける。琴美は上目遣いを意識して微笑んだ。
「どうしてあんなやつがもてるんだろうね。別にイケメンじゃないし。勉強だってできないじゃん。あれだったらまだ次郎の方がましだと思うけどねえ」
「そうか」
「うん」
「でも健二にもいいところあるよ。あいつわけ隔てないじゃん」
僕はなぜだか健二のことをかばいたくなった。僕は健二のことが好きではない。
「そっか」
琴美は興味がなさそうに答える。国語の教科書は閉じられていた。僕はその琴美の態度に少し臆して、迎合の笑みをうかべる。なるべく声が明るく聞こえるように意識して言った。
「琴美ももてるよな」
「……うん」
琴美は俯いて答えた。僕には琴美がなにを考えているのかが分からない。どのような話題が琴美にとって良いのか分からなくて次の言葉を探しみるが、見つからない。
もう帰ろうかと学生鞄を肩にかけようとしたとき、琴美が呟いた。
「次郎って童貞?」
「あ。うん。……まだ」
「そっか。そっちのほうがいいよ」
琴美は身体を翻して、教室を出ていった。僕は少しのあいだ、琴美の出ていった教室のドアを見つめていた。
次の日から琴美は高校に来なくなった。
一週間くらい経ったころ、琴美と仲のよかったグループの女子が、琴美が学校を辞めたという内容を話しているのを耳にした。
それからというものの、琴美の小さいころの、無邪気な笑顔を思い出すことが多くなった。
放課後【短編】 疑わしいホッキョクギツネ @utagawasiihokkyokugitune
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