第3話 記憶

記憶



「弟さんがいるんですか…」


私はわざと惚けて見せた。


「お前、人の話を何にも聞いて無ぇな…さっき言ったろ、俺の身内にもお前みたいのがいるって」 


呆れ顔の龍也…。


私はなんとか話を逸らそうとは思うも、話術なんてものは何一つ今の私には備わっていない。


「ああ、なんか言ってましたね…」


そんな言葉で気のないふりをするのが精一杯だ。


「ああってなんだよ。俺はな、親分が言ったようなオカマに対する偏見なんか、これっぽっちも持ってないってことをちゃんと理解して欲しくて言ってんだよ」


苦しい胸の内を吐き出すような龍也の言葉に、私の胸の奥が少しだけ痛んだ。


ちゃんと話を聞かなきゃ…プライベートを押し殺し、客の話をちゃんと聞くのもホステスとしての勤めだと自分に言い聞かせた。


「その弟さんとは、今も連絡を取ってるんですか」


私の質問に龍也は「いや」と一言だけ呟き、ウォッカリッキーのグラスを一息で飲み尽くした。


私には、その仕草がそれ以上は話したくない…とでも言いたそうにも見えた。


私はそれ以上の質問は遠慮し、飲み物のお代わりを勧めた。


「同じものでいい」


龍也に言われ、私は再び自らカウンターへ出向き、フレッシュライムを絞ったウォッカリッキーを作って貰った。


「ガキの頃暴走族やっててな、良くみんなで湘南辺りを走り回ってたんだ」


私が新しいお酒を持って席に戻った途端、待ち構えていたように龍也が話を始めた。 


「楽しそうですね」


言っては見たけれど、本当なら「あの頃は楽しかったね…」と答えたい私がいた。


「ああ、楽しかった。初めのうちはな」


龍也が何を言おうとしているのか、私には直ぐに想像できた。


龍也が16 歳の時、たった5人で立ち上げた「関東狂走愚連隊」は瞬く間にメンバーを増やし、一年も経つ頃には100名を超える大所帯となっていた。


翌年にはレディースも新設され、更に人数は増え続けた。


龍也は単車から車に乗り換え、チームの中でも圧倒的な存在感を示していた。


しかし、チームのリーダーは龍也ではなかった。


八重樫一馬…典型的な金持ちの坊々ぼんぼん


チーム創設以来、金のかかった目立つ単車や車に乗り、派手に金を使っては、後輩に恩を押し付ける様な嫌な奴だった。


チームが大きくなるにつれ、いくら八重樫の親が金持ちだとは言っても、親のスネを齧るだけでは金が足りない。


結果、八重樫が始めたのはウリ(売春)の仲介と違法薬物の販売だ。


龍也はそれを許さなかった。


しかも…八重樫はチーム内の年端も行かない少年少女にも、薬やアンパン(トルエン)を売りつけていた。


事態が明るみに出るに従い、八重樫と龍也の溝は深刻な状況にまで深まっていった。


関東狂走愚連隊は同じチームでありながら、八重樫一派は「湘南ジェノサイド」を名乗り、龍也を慕うメンバーは「トラッドライダース」と名を改め、いたる所で小競り合いを始める様になった。


それでも、関東狂走愚連隊は解散を宣言する事は無かった。


設立当時の5人の絆が深かった事が一番の理由だった事と、八重樫と龍也以外の3人が、まだどちら側につくかと言うことを意思表示していなかった事が大きな理由だった。 


八重樫、龍也、康弘、雄次、孝徳…小学校以来、同じ地域の小さな学校で、兄弟同然に育った5人。


弱小のバスケットチームで、中学卒業まで一勝も出来なかった5人。


それでも、誰一人かける事なく中学卒業と同時に立ち上げた「関東狂走愚連隊」を解散する事は、絶対に有り得ないと誰もが思っていた。


そして…八重樫以外の4人が、いつか八重樫を救えると信じていた。


だがしかし…運命を決定づける事件は起きてしまった。


湘南海岸の海沿いに有るラブホテル…。


その一室で、16 歳の少女がドラックの過剰摂取で死んでいるのが見つかった。


男は既にホテルから逃げ出した後だったが、車のナンバーから所有者が割り出され直ぐに逮捕された。


その男が証言した事が「関東狂走愚連隊」の解散を決定させた。


男は東京から江ノ島まで、買ったばかりの車でドライブに来ていた。


その時、一見して暴走族風の男に、覚醒剤の購入と少女の売春を持ちかけられた。


何度か断ったものの、最後は脅し同然の押し売りで、男は仕方なく金を出した。


少女共々、覚醒剤に対する知識も乏しく、快感を貪るあまりその適量を超えてしまったのだろう。


悪魔の薬物は、簡単に少女の命を奪った。


男に売春と覚醒剤の売買を持ちかけた男は、警察に特定される事なく有耶無耶なまま事件は解決されるかの様に思われた。


しかし…関東狂走愚連隊のメンバーなら…その一見して暴走族風の男が、ジェノサイドのメンバーで有る事は容易に想像する事が出来た。


江ノ島水族館の駐車場…。


それは運命だったのかも知れない。


湘南ジェノサイドとトラッドライダースのメンバーが、偶然に鉢合わせとなった。


両者合わせて200名以上か左右に分かれ、睨み合いとなった。


トップファイブと呼ばれる5名がその中央に立ち、暫くは話し合いが続いた。


先に手を出したのは八重樫だ。


いきなり龍也の襟首を掴み、ねじり上げる様に自分の方へ引き寄せた。


龍也がその手を払い退けた。


その反動で八重樫の掛けていたスパイダーのサングラスが飛んだ。


そのサングラスが地面に落ちて割れた。


それが合図だった。


両者入り乱れての大乱闘…私もそのうずの中にいた。


喧嘩などからっきしの軟弱者…それでも、私は夢中で暴れ続けた。


私が潰されそうになると、いつも龍也が助けに来た。


鉄パイプを振り回す者、拳にバイクのチェーンを巻き付け殴りつける者、数名で一人を袋叩きにする者…もう敵も味方も分からない…昨日まで友達だったはずの者たちが、今日は命をも奪わんとする戦闘の中にいた。


はるか遠くから、次第に近付いてくるサイレンの音。


あたり一面に雷が落ちた様に鳴り響く、バイクや車の爆音。


蜘蛛の子を散らす様に逃げ出す両チームのメンバー達。


街灯もない暗闇の海岸通りは、ハロゲンランプの明かりから、緊急車両が放つサイレンの赤いフラッシュライトへとその色彩を変えていった。


八重樫がパトカーの接近から遠ざかろうと、自慢の愛車RX7FD3Sに飛び乗り走り出した。


逃すものかと、トラッドライダースの若い者が2人乗りのバイクで後を追い掛けた。


バイクのタンデムシートで大きなバールを振りかぶり、八重樫の車のリアクウォーターにそのまま叩きつける。


バールがボディに突き刺さったまま、八重樫はタイヤを軋ませながら走り出した。


バールは、八重樫の車のガソリンタンクにまで穴を開けていた。


コーラの瓶にガソリンを詰め、ボロ雑巾に火を着けただけの即席の火炎瓶…。


誰が投げたのか…それがジェノサイドのメンバーなのか、或いはトラッドライダースのメンバーなのかも分からない。


その火炎瓶は放物線を描きながら、どさくさの混乱の中へ投げ込まれた。


地面に落ち、粉々に砕けた火炎瓶。


あたり一面を照らす炎。


耳をつん裂く様な爆発音。


八重樫の車が炎に包まれた。


炎の中で蠢く人影。


叫び声を上げながら車に駆け寄る人、人、人…。


私はトラッドライダースのメンバーに腕を掴まれ、車に押し込まれその場から逃げ出した。


仲間の車のバックシートで、呆然と湘南の暗い海を見つめていた。


パトカーのサイレンの音が、消防車と救急車のそれに変わっている事に気がついた。


車の中にいたのは4人…誰もその事を話題にはしなかった。


いや、誰も口を開こうとはしなかったのだ。


誰もが肩で息をし、全身が汗で濡れていた。 


カーステレオから流れる陽気なロックンロールの音楽より、みんなの荒い息遣いばかりが耳に届いていた。




翌日…トラッドライダースのメンバーに集合が掛かった。


湘南平の鉄塔の有る広場で、メンバー全員が顔を合わせた。


誰もがどこかに怪我をしていた。


私も額から頭頂部にかけ木刀で殴られ、パックリと割れた傷痕に派手な包帯を巻き付けていた。


「額の傷、結構デカいな…でも、顔じゃなくて良かった」


龍也が最後に言った私への労りの言葉だった。


私は溢れ出す涙を、止める事は出来なかった。


「いいか、今日限り湘南狂走愚連隊は解散する。トラッドライダースは暴走族じゃない、名前の通り伝統的な走り屋だ。その事を忘れるな」


「龍也さんが頭ですよね」


誰かが言った。


「いや、康弘、雄次、孝徳がチームを引っ張る」


指名された3名が、龍也の横で俯いたまま頷いていた。


「龍也さんは?」

「なんで龍也さんじゃないんですか?」

「頭は龍也さんしか無理でしょ?」


方々から声が飛んだ。


「今回の件は誰かが責任を取らなきゃいけない。この後、俺は警察に行く。二度とこんな事が起きない様に、チームの規律をちゃんと守ってくれ!」


龍也はそう宣言した後、あっさりと仲間に背を向けた。


「龍也さん!」

「龍也さん!」

「龍也さん!」


みんなが龍也の名前を叫びながら、龍也の後を追い掛けようとした。


それを康弘、雄次、孝徳の3人が止めた。


3人とも泣いていた…。


その涙はトラッドライダース全員へと伝播し、そして皆で龍也の背中を見送った。


私が龍也の姿を見たのは、それが最後だった。


八重樫が死んだという噂も有れば、全身に火傷を負って生きていると言う噂も有った。


本当の事は、誰も知らなかった。


龍也が出頭した事で、現行犯で捕まった人間以外、後からこの抗争の件で逮捕者が出る事は無かった。


そして龍也の噂さえも、湘南の海岸線から消えてしまった。



10年も前の記憶が鮮明に蘇り、必死で涙を堪えていた私は、息苦しさと鼻の奥を針で突き刺す様な痛みを感じていた。


「喧嘩になるとよ、いつも俺の前に居るんだよ。喧嘩なんかできゃしねぇのによ」


龍也の思い出話。


「その子の事、女としてみてました?」


「見るかよ。特攻服にリーゼントだぜ。オマケに薄い髭まではやしてよ、どうやって女として見るんだよ」


クックック…と龍也は声を出して笑った後、私の涙腺を崩壊させる一言を言った。


「オデコによ、デカい傷を作っちまったんだよ…髪を伸ばせば隠れるかもしれ無ぇけどよ、お前みたいに女の服着て化粧したところで隠せない様なデカい傷なんだ…それがずっと申し訳なくてよ…今でもよしかずの事が気掛かりでよ…」


龍也が言い終わるのを待つ事が出来ず、私は泣き崩れてしまった。


あまりの取り乱し方に、龍也は驚いた様だ。


「待てよ、なんでお前がそんなに泣くんだよ」


龍也の言葉にただ首を振り、私は声を殺して泣き続けるしか出来なかった。


「泣くなって、どうしたって言うんだよ」


困り果てる龍也。


私は意を決し、止めることのできない涙を流したまま、『見習い実習生美和』と書かれたネームプレートを指さした。


「見習いがどうしたんだよ」


龍也が言った。


私は首を振り『美和』と書かれた字の上を指さした。


「美和がなんだって言うんだよ」


少し苛ついている龍也の目を見つめ返し、私は震える声で言った。


「みわだけじゃないよ…よしかずって読めない?」


私はそう言って額の髪をかき上げた。

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