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《西暦21517年 春蘭1》
最初に春蘭が生まれたのは、二万と数百年前。
蘭の細胞をとりだして、染色体をのぞいた特殊な卵子に定着された。そういう卵子からはクローンが生まれる。蘭の遺伝子を持った、蘭の分身。
蘭のクローンは三体、用意された。
そのうちの一体が春蘭だ。
ほかの二体は胡蝶とカトレア。
胡蝶は二万年前に死亡し、カトレアはつい最近、追放された。
蘭はやはり自身のクローンを嫌っているのだ。
この世に御子は二人いらない。
蘭の遺伝子を持つクローンが不死性を得るかどうかという実験のために春蘭たちは造られた。
実験は失敗。
その時点で処分されるべきだった。なまじ情をかけられて生かされたから、春蘭たちは蘭とは異なるパーソナリティを持ち、別の存在になってしまった。最初は蘭の体内にあった細胞の一つでしかなかったのに。
春蘭はときどき自分が、ただの巨大な細胞でしかないかのような気がする。知性や感情などない本能的にうごめくゾウリムシのようなもの。蘭を生かすためにだけ、懸命に生命活動を続ける……そういう存在。
むしろ、それならいいと思う。
もし今、蘭の細胞の一つに還ることができるなら、これほど深い歓喜はほかにないだろうと。
知性などあるから悩むのだ。
感情などあるから傷つくのだ。
(同じ顔。同じ体。同じ遺伝子。なのに僕は蘭じゃない。誰からも必要とされない。なら、いったい、なんのために存在してるんだ?)
春蘭の二万年は、ずっと自分の存在の意義を求める探求の旅路だった。日々生まれ死にかわる六十兆個もある細胞の一つから分断され、一個の存在となった意味。
そんなの気にすることないと、カトレアは言った。蘭は蘭。おれたちはおれたちなんだから、好きなように生きたらいいんだよと。
カトレアはそれでいいのかもしれない。そう思えるのなら、それが一番、幸せだ。
でも、ダメなのだ。春蘭はカトレアのように自由には生きられない。
カトレアがそうできるのは、たぶん、彼だけを特別視してくれる友人に出会ったからだ。蘭でもなく、春蘭でもなく、カトレアをカトレアとして愛してくれる人を見つけたから。
ほかの誰にどう思われてもいい。その人にだけ認められていれば満たされる——そんな存在に出会えたから……。
(僕には誰もいない。みんな、僕を蘭のできそこないのクローンとしか見ていない。二万年も再生され続けたことだって、僕のためじゃない。蘭のためだ。蘭が過去の記憶のなかに生きてきたから、その記憶を守るために僕も必要だった。ただ、それだけ)
それは周囲の人たちは春蘭にも優しかった。猛や水魚、雪絵、菊子、龍吾やオーガスも……でも、彼らが春蘭に優しい理由は、蘭を愛しているから。
蘭から分裂して増殖した春蘭を、蘭の一部として、延長線上の愛をわけ与えてくれているだけ。
ほんとの意味で春蘭》は、この世に存在していない。いてもいなくても同じ。ゾウリムシ。
(イヤだ……僕は、僕でいたくない。誰にもなんの意味もないくらいなら……)
それで、ずいぶん昔、求められるままに大勢の研究員と夜の関係を持った。当時はカトレアが女性研究員を担当していたから、春蘭は必然的に男性を。
でも、けっきょく虚しくなって、自殺をくりかえした。誰一人、春蘭を見ていないことを知っていたから。
肉体がつながるのは春蘭でも、男たちが見ているのは蘭だった。
求めても得られない蘭の代用としての細胞のかたまり——それが彼らにとっての春蘭。
あのころのみじめな思いは二度と味わいたくないと、そう思っていた。
でも、ムダな抵抗なのだ。
こうすることでしか、春蘭は存在を認められない。
二人のテロリストが無人の部屋に春蘭をつれこむなり、衣服を奪い始めたとき、そのことを痛感した。
「おい、何してるんだ。トム」と、いちおう日系人は驚いた顔を作ってみせた。もっとも、その目の奥にあるのは、春蘭が見なれた欲望の色だったが。
「シュウ、おまえだって、そのつもりでつれてきたんだろ。そうじゃないなら、ほっとけよ」
「おまえがガッツリ、ハードなゲイだってことは知ってたけどな、トム。目の前でそういうのは、ちょっと」
「だったら、目、つぶっときなって——抵抗したら撃つぞ。とびきりキレイな顔を焼かれたくないだろ?」
トムというアングロサクソン系の男は熱戦銃をつきつけながら、春蘭の服を手早く奪っていく。
そのとき、とつぜん、シュウという日系人が叫んだ。
「思いだした! こいつ、御子だ!」
「ミコ? なんだ、それ?」
「バカ! 御子だよ。御子さま。月のオシリス、地球の御子。二人で太陽系を支配する神じゃないか」
トムは脳天をぶちのめされたように目を見ひらいた。
「……御子? これが? まさか。こんなところ、なんで御子がウロついてるんだ」
「おれが知るかって。でも、間違いない。おれのオリジナルクローンが自殺したとき、一回だけ見た。あいつ、どうやってか御子の写真、一枚だけ隠し持ってたんだ。その写真も死体処理のとき没収されたけど」
「へえ」
「まだ地球にいたころに隠し撮りしたんだろうな。何人かが手前に写った奥のほうに、小さく横顔だけ写りこんでた」
「そんなんじゃ、こいつが御子だってことにはならないだろ?」
「御子だよ。だって、ガードがついてた。竜の羽のあるガード。有名な話だろ」
「でも……」
トムは春蘭が御子(正しくはそのクローン)であることを認めたくないようだ。
春蘭はその理由を知っているように思う。二人が春蘭の知る顔よりずいぶん若いので、最初は気づかなかったが、トムもシュウも、どこかで見たことがあるように思った。こうしてよく見れば、彼らは以前、不二村の研究所にいた研究員だ。
トマス・ウィッチバーグと、新垣修士。
二人とも、以前、春蘭が関係を持ったことがある。
その後、二人は……というか、もう一人、本条誠と三人で春蘭をめぐって殺しあった。ロシアンルーレットを実行し、死にきれないでいるところを発見され、監獄星へ送られた。
つまり、彼らを堕落させたのは、春蘭ということになる。しかし、彼らの春蘭に対するあつかいは、完全に御子への叶わぬ想いのハケグチだった。春蘭は同情しない。
(そういえば、造りかけてたクローンもいっしょに監獄送りになったんだっけ。そうか。彼らはアイツらのクローンか)
オリジナルの記憶を持たないクローン。
だから、トムは信じたくないのだ。愚かな罪を犯したオリジナルクローンと、自分が同じものだと認めることが怖いから。
(同じか。こいつも、僕と同じ。オリジナルの呪縛から逃れることのできないゾウリムシ)
トムはようやく、反論の余地を思いついたようだ。責めるような口調で問いつめる。
「じゃあ、なんで今、一人でほっつき歩いてるんだ? その有名なガードはどこだ?」
「はぐれたんだろ。きっと、どっかにいるよ」
若いテロリストはしばらく、たがいの目の奥をさぐりあっていた。
そして、ようやくトムも認める。
「……どうするんだ? これが御子なら」
「どうするも何も、人質としては最適だ」
「けど、そのへんにガードがいるんだろ?」
「そうなる」
「あの羽のガードの異名『絶対処刑人』だぜ」
「一回、船に帰ろう。それからマコたちと相談だ」
「秘密兵器は?」
「そんなの御子がいれば、なんとでもなるって」
修士とトムはそう話しあい、春蘭に銃をつきつけながらドアをあけた。しかし、外へ出ていくことはできなかった。廊下には大勢の職員がいた。しかも、どうやら向かっているのは、方角から言って発着場だ。銃で交戦するにも、やっかいな人数だ。なかにはコマンダーの姿もある。
あわてて修士がハッチを閉めた。
廊下の人々には気づかれなかったらしい。追ってくる者はいない。
「しばらく、ここにいるしかないな」
ふたたび、春蘭はテロリストとともに一室に閉じこめられた。
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