三章

《西暦21517年 薫3》その一



 蘭と二人でボートを盗みだし、宇宙へ飛びだしたものの、薫は落ちつかなかった。


 いつだったかも、こんなふうに遠ざかる地球を見ながら、半狂乱になったことがある。あの夢のなかで。

 月行きロケットの最終便に乗り、猛の名を呼び続けた。


「なんでだよ! 猛ッ。絶対、帰ってくるって言ったじゃないか! 蘭さんつれて帰ってくるって——」


 だまされた。猛は帰ってくる気などなかったのだ。最初から薫一人を月へ行かせるつもりだった。

 去るときの猛が一瞬見せた物悲しい目。

 あれは決別の覚悟を決めた目だった……。


 なぜだろう。

 あのときのことを考えると、胸が血を流すように痛む。

 あれは……夢だったはずなのに。


「薫さん」


 蘭に声をかけられて、薫は我に返った。

 そうだった。ぼんやりしているヒマはない。今のところ追っ手は来ていないが、いつ追われる身になるかわからないのだ。


「ごめん。ごめん。ちょっと地球に見とれてた」


 薫が明るさをとりつくろうと、ほのかに蘭は笑った。その笑みを見ると、肺に穴があいたように息苦しくなる。

 いや、以前から蘭の美貌は凶器だった。この比類ない麗容の友人に見つめられて、ぼうっとなったことは数知れない。


 それにしても、こんなに……なんというか、艶めかしかっただろうか?

 妖艶がいつもの千倍増しの気がする。


「ら……蘭さん。なんか今日、いつもとちょっと違わなくない?」

「長いあいだ監禁されていたからです。記憶もあいまいだし」


 そう言われれば、まあそうだ。

 薫は追求をあきらめた。


「そうだよね。でも、『薫さん』ってのは他人行儀だよ。前は『かーくん』って呼んでたよ」


 なぜか、蘭は瞳を輝かせた。うるんだ瞳からは星が百万個くらい飛びだしてきたみたい。


「いいんですか? 僕が『かーくん』って呼んでも」

「いいに決まってるよ。今さら。今さら」

「ありがとう。じゃあ、かーくん。もうすぐ旧医療センターに入りますから、シートベルトしめてください」

「うん。でも、ずいぶん、あっさり入れるんだね」

「このボートは不二村専用機です。つまり、御子の乗り物だから、どこへだってフリーパスです」

「ふうん。僕が知らないうちに、御子ってスゴイ力を持つようになったんだねぇ。水魚さんたち、いったい、どんだけ開発進めてたんだろ?」


 蘭は笑うばかりだ。

 まもなくボートは旧医療センターのゲートをくぐった。

 宇宙船発着場には、ほかにも数機が停船していた。小型のボートが二、三台。それと少し大きめの船だ。

 それを見て、蘭は顔をしかめた。


「変だな。ここは長いこと使われてないはずだけど」

「ロボットが並んでる。照明もついてる。使ってないって感じじゃないね」

「…………」


 蘭は考えこんだのち、口をひらいた。


「……出ましょう。今すぐ、ここを出て、どこか遠い場所へ逃げましょう」

「えっ? どこへ?」

「とりあえず、火星ですね。食料などを買いこまないと」


 言うやいなや、蘭はオート操縦の指示をコンピューターに出す。しかし、今度はゲートがひらかなかった。


「あれ? 蘭さん。ひらかないの?」

「待って。手動でやってみる」


 蘭はオート操縦から手動に切りかえ、コックピットのコンピューターを操作した。そこからセンター内のメインコンピューターにアクセスしようというのだ。それが、できない。


「ダメです。センター内のコンピューターは外部からのアクセスをすべて拒否しています。僕たちの逃亡が、すでに知られたせいかもしれない」

「ネズミ捕りに入ったネズミってわけね」

「でも、それにしても変ですよ。僕がここへ逃亡することは誰も知りえなかった。待ち伏せして網を張るなんてできないんです。ということは、僕らが知らなかっただけで、この施設は少し前から、なんらかの用途で使われていたんですね」


 まあ、そう考えるのが妥当だ。


「——ってことは、地球からこのセンターに連絡が入った。僕らが逃げたから、捕まえろって?」

「それなら、そろそろ迎えが来そうなものですけどね。誰も姿を見せないのは、どういうことだろう」


 そのときだ。

 とつぜん、頭のなかに声が響いた。


『テロリストがメインコンピューターをハッキングした。現在、外部との通信がとれない状態にある。オシリスBが逆ハッキングをかけ奪回中。戦闘員をのぞく全職員に告ぐ。いったん、旧医療センターを放棄する。オシリスCの誘導に従い、脱出するように。コロポックルはできうるかぎり保護。研究データは即時持ちだし可能なもののみ持ちだし、その他は放棄。廃棄可能ならば廃棄。二十分後、最初の脱出船を出す。

 なお、戦闘員は隊長の指示に従い、職員およびコロポックルを護衛。テロリストを見つけしだい射殺。テロリストはメール四名、フィメール二名の計六名。くりかえす。テロリストは見つけしだい射殺』


 薫はあぜんとした。


 なんなんだ、これは。

 今のはたしかに所内インフォメーションなどではなかった。頭のどこか内側にちょくせつ響いた。これじゃまるで、できの悪いSF映画だ。


 何かがおかしいとは、つねづね思っていたが、これはもう現実ではない。自分は夢でも見ているに違いない。

 そもそも宇宙船が出てきたあたりで尋常ではなかった。

 自分の知る二十一世紀の世界ではない。


(ああ、もう……京都の町屋の暮らしが懐かしいよ。猛と僕と蘭さんと、三人で毎日、のんびりテレビとか見てさ。おかず奪いあってご飯食べて……なんで僕は、いつからこんな変な夢を見てるんだろ?)

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