《西暦21517年 菊子2》その一



 菊子は巫子だ。

 親が御子を宿しているときに生まれたので、御子の血を生まれながらに受けている。

 そういう子どもを不二村では巫子と呼ぶ。

 利発で容姿にも優れていたため、子どものころから、ひじょうに可愛がられた。


 しかし、菊子が生まれたのは昭和十年。完全なる戦中派だ。男尊女卑があまりにも激しかったので、かえって男を尊敬できなかった。なにしろ、たいていの男は菊子より愚かだった。


 村の娘のあたりまえの生きかたを強要され、二十歳のとき結婚したが、幸せだとは思わなかった。幸か不幸か子どもはできなかった。

 巫子には、たまに生殖能力を欠く個体が生まれることがある。おそらく、それだろうというので、七年ほどで離縁された。


 菊子はもろ手をあげて喜んだ。

 嫁ぎさきから戻された女は、村では生きにくい。それで町へ出ている巫子を頼り、出稼ぎに出されたからだ。


 町での暮らしは何もかも新鮮だった。何よりも学問を好きなだけできた。図書館へ行けば、ただで本を読めたし、菊子の身元を預かってくれた幸田民雄は、高校の教師だった。民雄も子どもができない体質で、菊子とは男女の関係ではなかったが、妹のように可愛がってくれた。勉強もたくさん教えてくれた。

 民雄は菊子が人生で初めて尊敬できた男性だ。民雄のもとで多くを学び、お金をためて大学、大学院を出た。

 菊子は生物化学の研究者となり、日々、研究にいそしんだ。


 老いないまま何百年も生きるので、何度か名を変え、籍を移し、自分自身の子、孫として生きた。平成に入って、中西紗耶香——なんて名乗っていたこともあったが、やはり菊子と呼ばれるのが一番しっくりする。


 そのころ、民雄は年をとり、村へ帰っていた。菊子も村を占拠した研究所で、研究者の立場を利用して潜入スパイをすることになった。


 水魚の計画のもと、いつか研究所を襲撃奪取する日を待ちかまえていた。


 そして、その日は来た。水魚の自身を犠牲にしたテロにより、研究所内はヘル・ウィルスに汚染された。ヘルに耐性のない敵側の研究員はすべて病に倒れた。


 そこへ、あの人は帰ってきた。

 御子が……蘭が。


 蘭をひとめ見たときの感動は言葉で表せない。

 これほど美しい人が、この世にいるのか。これが自分たちと同じ人間なのか。何か人間とは別の神秘的な生き物の末裔ではないのか。たとえば、ナイショだけど、母は妖精の国の王女なんですと言われても、不思議ではないような。


 その上、蘭はただ美しいだけではなかった。国立大学卒業の優秀な頭脳。健康でスポーツも万能。できないことはないみたいなパーフェクトボーイ。

 やっぱり母は精霊で、祖母は白狐の化身なのかもしれない。生きて動いているだけで奇跡のような気がする。


 じつは甘えん坊だとか、性格に難があるとか、きわめて親しい人たち(猛や水魚、それに赤城や三村と言った蘭の昔からの友人)の口からはチラホラと聞かれるが、残念ながら菊子はそこまで親しくない。


 だが、尊敬している。

 いや、ひそかに慕っている。

 それは菊子だけではないと思う。多くの女性研究員が……男性研究員も少なからず、幻想世界の住人のような御子さまに、かなわない憧憬を抱いている。


 でも、菊子はそれらの人々とは違う。

 菊子は御子の主治医という立場だった。蘭の三人のクローンを再生したとき、主治医の菊子が養育係になった。その関係でカトレアをだまし、人工授精で彼の子どもを生んだ。

 つまり、遺伝的には蘭の子どもだ。

 その娘はある事情で今はコールドスリープにかけられている。半永久的に死のように冷たい眠りに夢もなく堕ちいている。


 とても悲しい結末だった。

 自力で子どもの生めない菊子にとって、最初で最後の愛する人の子どもだったのに。


 菊子がジャンクたちをほかの研究員より愛しく思うのは、そのせいだろうと思う。

 永遠に子どもの姿をしたコロポックルたちを、なくした子どものかわりに可愛がっているのだ。

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