第三幕

第31話 おんはら祭会場での騒動

 救急車のサイレンが鳴り響いた。


 祭が行われる広場へと車で坂を下っていると、会場入り口から救急車が出てきて、国道方面へと向かった。


「まさか、天野が……」


 住民に危害を加えたのだろうか。愛美や陶子はどうなったのか。

 織田が助手席から広場を伺っていると、運転している津島が言った。

「メッセージが来ました。たぶん、ファルスの誰かからでしょう。代わりに見てください」


 右手でハンドルを握ったまま、左手で胸ポケットからスマートフォンを取り出す。ロック解除の暗証番号まで言うものだから、織田の方が心配になって「教えちゃっていいんですか」と訊いてしまった。

「貴女になら構いませんよ」


 何でもないことのようにさらりと言う。「貴女を愛しています」という文面を思いだし、とたんに顔が熱くなる。

 気取られないよう、操作に集中してメッセージを確認した。


「谷崎さんからです。……『救急車は、祭のスタッフの食中毒。軽度の幻覚症状アリ。患者は七名。天野が、それは魔の仕業だから加持で治すと持ちかけたが、スタッフと言い争いになっている(←今ココ)。そろそろ仕掛けまっせ』」


 車は会場手前で曲がり、駐車場へ入った。ほぼ満車のようだ。

「幻覚のある食中毒って、天野の仕業じゃ」

「その可能性は高いですね」


 場内を徐行しながら、津島が答える。狭い空きスペースを見つけ、切り返しなしで器用に滑り込んで停車した。


「さて、我々も舞台にあがりましょう」

 シートベルトを外し「ちょっと失礼」と言って、津島が後部座席へ身を乗り出し、大型バッグを取った。肩が触れそうな距離に、どきりとする。


「舞台って、何の」

「言ったでしょう、道化芝居ファルスですよ」


 いたずらっぽく微笑んで、津島がバッグの中身を差し出す。亜麻色のロングヘアーウィッグと、ネイビーブルーのワンピースだ。

「それなら、天野の近くに行ってもばれないでしょう」


 根回しがいいな、と思いながら、織田はウィッグをかぶり、ルームミラーで確認した。確かに、これなら別人に見える。ワンピースは演劇用の衣装らしいので、作務衣の上に着込んだ。


「ファックス送ってから一時間も経っていないのに、早かったですね」

「実は、おんはら神社にいたんです。貴女のファックスは、拝み倒して事務所に待機してもらった、管理人さんからの連絡で知りました。坂口の人たらし術も、大したものですよ」


 社長は、昨夜の夕貴の行動から、祭の時に何かしでかすに違いないと踏んで、ビルの管理人まで巻き込んで計画を立てたらしい。

 計画の概要を津島から聞き、織田は大きくうなずいた。


 車を降りて、会場へと向かう。

 津島が入り口手前で立ち止まり、空の大型バッグを右肩にかけなおす。そのついでという風に、耳打ちしてくる。

「小生のそばを離れないでください。何かあっても、守りますから」


 今度こそ耳まで熱くなり、織田はうつむきぎみに津島の左側に寄り添い、会場へと足を踏み入れた。暑さ対策で置いてある霧発生扇風機ミストファンの霧がかかり、ほてった頬を冷やす。


 張り切って早めに来たらしい高校生くらいの子たちが、涼を求めて霧発生扇風機ミストファンに群がっている。

 その脇をすり抜けて進むと、やぐらの前に法被はっぴを着た男たちが集まっていた。何人かは興奮しており「引っ込め、拝み屋」「この罰当たりめ」と叫んでいる。


 その野次の先──やぐらの上には、天野がいた。

 ハンドマイクを握って眼下の人たちに呼びかけている。その後ろには夕貴、そして愛美と陶子が並ぶ。


 変装しているとはいえ見つからないか心配で、織田は津島を盾にして徐々に進んだ。法被の男たちは、祭のスタッフらしい。

 かなり前の方まで進んで櫓を見上げると、天野と夕貴は熱に浮かされたような表情をしていた。陶子は冷静だが、愛美はどこか所在なさげな顔で肩を丸めている。


「あれは食中毒ではない。軽度の興奮状態や幻覚も現れている。魔の仕業だという何よりの証拠ではないか! もう一度言います。祭を中止して避難しなさい。私が依代よりしろを破壊する」


 天野のマイクアピールに、法被姿の中年男性が叫ぶ。

「こんなときに、ふざけるのもいい加減にしろ!」


 天野が冷静な声で応じる。

「以前から言っていたはずです。そこの神社には、神ではなく魔が祀られている、と。私の言葉を信じないから、こんなことになったのですよ」


 他の男たちが、野次を飛ばして加勢する。

「俺らが代々世話になってきた、おんはら神社にケチをつける気か!」

「若い姉ちゃん侍らせてる奴に言われても、説得力がねえんだよ!」


 愛美たちにも非難の矛先が向かっている。いたたまれない気持ちで、織田は櫓の上を見上げた。


「もう一度言います。祭を中止しなさい。あと一時間もしないうちに、子どもたちが集まってきます。小さい子まで犠牲にしたいのですか!」


 語気を強める天野の言うことを、誰も本気にしていない。

「バカバカしい。何寝ぼけたこと言ってんだよ、オッサン」

 若い茶髪の青年が、けだるそうに悪態をつく。


 それをきっかけに、また反発が始まった。罵りはどんどん低俗になり、「ハゲ」「バカ」「エロ坊主」といった単語も飛び出す。


 天野が唇の端をゆがめたかと思うと、声を張り上げて怒鳴り出した。


「黙れ! お前たちを救おうとしている、この私に向かって! 常にこの世界を憂い、正しい方へ導こうとしているこの私に向かって! 何もわからず、のうのうと生きているだけのお前たちが、偉そうに!」


 目の色が変わっている。これが、愛美が言っていた「キレた」天野かと、織田は思わず津島の背に隠れた。

 法被姿の男たちが、ややこしい奴に関わってしまった、という顔をして黙りこむ。


「聖人は迫害されるものだ。キリストのように。何もわからない凡夫が、愚かにも危害を加えてしまう。それが大罪とも知らずに!」


 自分を世界的偉人になぞらえる過剰な自信にあきれつつも、手がつけられないほど興奮した彼に、誰も言い返さない。


 愛美は、恋人を調伏するよう迫った「怖い」天野を思い出したのか、不安と不信が入り混じった顔で、夕貴や陶子の様子をうかがっている。

 陶子は、能面のように無表情を決め込んでいて、心の内は推し量れない。夕貴は、駄々をこねる子どもが落ち着くのを待つかのように、静かに隣に立っている。


 天野はさらに続けた。

「前々から、お前たちの愚かさにはうんざりしていたんだ! 病気を治してやろうと言っても、誰も加持を受けたがらない。受けた者も、私を信じずに病院へ通い続けようとする。薬など実は毒で、御仏の光にさえ当たっていれば治ると言っても、聞かない。その結果がどうだ。つらい放射線治療を続ける羽目になったり、胃を全摘したあげく、やせ細って死んだりしたじゃないか。私に逆らったから、罰が当たったのだ!」


 やはり天野は、偽物の求道者だ、と織田は確信した。


 法話や瞑想、作務の心構えは、確かに立派だった。天野には、常人には推し量れない何かがあるのではと、気持ちが傾きかけもした。


 異能の人であるのは本当かもしれない。

 が、これだけは言える。彼は、人を導ける器ではない。性格は幼稚そのものだ。

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