第27話 退魔の加持

 天野と夕貴の視線が合い、小さくうなずく。町の人々を魔から救わなければ、という使命感に燃えた表情を見ると、織田は背中のあたりがむずがゆくなってきた。


 しかし、その気持ちを言語化することは、はからい──よくない考えのような気がしてためらわれる。


 天野が壁にかかった時計をちらりと見る。時間は三時だ。

「今日は宵宮よいみや、祭は夕方からだ。すぐに退魔法を修して、ここから魔を調伏しよう」

「私もお手伝いします」

 熱を含んだ口調で、夕貴が天野を見上げる。


「力は少しでも多い方がいい」

 天野が姿勢を正す。

「神社にいる魔は、周りの気を吸って強大になっている。みなさんの善意を力に変えて協力してほしい。陶子さん、愛美さん、さくらさん」


 一人ひとりに目を合わせ、視線で訴えかけてくる。陶子と愛美が、素直に「はい」とうなずく。織田は戸惑いつつも、他にならって返事をした。

「みなさん、ありがとうございます。私を信じてついてきてくれるのですね。……では、離れに来てください」


 すっくと立ち上がった天野が、早足で座敷を出ていく。あとを追う夕貴に「亜矢に連絡を取って、すぐ戻ってくるよう言いなさい」と指示する声が聞こえる。


「行きましょう」

 陶子が立ち上がる。生返事をすると、両手で肩をつかまれた。

「私たちは凡夫なんだから、下手に考えたり迷ったりしても無駄なのよ。先生の思考をトレースして、おっしゃる通りにしていたら、きっとわかる。ね、愛美さん」

 陶子が同意を求める。愛美は少しの間の後、「そうですね」と微笑んだ。


「魔が妨害しなくなれば、正泰さんに会えるかもしれないし」

 ぽつりとつぶやいて、陶子が玄関へと向かう。夫を亡くして心が弱っている彼女が利用されているようで、織田は釈然としなかった。


 靴を履いて、三人で離れへと向かう。

 そういえば津島が言っていた。オカルトや一部の宗教の悪いところは、学問を否定することだ、と。


 一部の人にしかわからないことを理由に持ってこられると、超能力のない人は、考えずに丸ごと受け入れるしかない。自分の頭で考えること、事実を調べて体系立てて学ぶこと、これらが全否定されてしまう。


 ──人間は考える葦です。考えることを止めるように誘導するのは悪だ、と小生は思いますがね。

 津島の言葉を思い出す。ついでに、「貴女を愛しています」という手紙も。


 玄関で靴を脱ぎ、廊下を歩く。昨日加持をした部屋へいくのかと思ったら、占いを受けた小部屋へ誘導された。

 夕貴が机や椅子をどけ、壁にかかった曼荼羅の前をあける。


 天野が曼荼羅の下に燭台と香炉を置き、火をつける。セージのようなきつい匂いの煙が、白くたゆたう。肩が触れ合うほど狭いスペースに立った陶子と愛美と織田に、天野が向き直って言う。


「これから私は、あちらの部屋で魔を調伏する加持をします。みなさんは、ここに座って手をつなぎ、光明真言を唱えてください。そのとき、悪いものが消え去って、清らかな光に包まれるところをイメージするのです。清浄な森や水、幸せそうに笑う人々でもかまいません。とにかく、プラスの気を放つことで私を助けてください。それが、この町の人々を救うことになります」


 他の二人がうなずいて、床に正座する。織田もそれにならいつつ、ちらりと振り向いて、後ろにいる夕貴を見た。


「彼女には、加持の手伝いをしてもらいます。今回の魔は強力だから、助け手が必要だ」

 亜矢が言っていた「先生のお手伝い」だ。お寺の護摩でも、護摩木を渡したりする人がいるが、そのようなものだろうか。


 天野が口頭で光明真言を伝授する。短いので、何とか覚えられる。陶子はすでに暗記しているようだ。

 陶子が愛美の手を、愛美が織田の手を握り、真言を唱え始めた。


「オン アボキャ ベイロシャノウ」

 では頼みますよ、と言い残して、天野と夕貴が出て行った。


 扉が閉まり、窓のない部屋で、明かりは二本のロウソクの灯のみとなった。短い真言を延々繰り返す。


 雑念が入ってくると、不思議とつないだ相手の指がぴくりとし、集中しなければ、と思い直す。煙と独特の匂いが、エアコンのついていない部屋に充満する。体中から汗が噴き出し、喉がいがらっぽくなる。

 暑さと匂いで頭が朦朧とし、自分たちの唱える真言が頭の中で反響する。


 ぼんやりしかけたところで、愛美の手がもぞもぞと動き、我に返る。

 ──いいイメージを浮かべなければいけないんだった。

 信じたわけではないが、もし加持に失敗しても、自分が「苦しい」「やってられない」と考えたせいだと思いたくないし、天野に見抜かれて糾弾されたくない。


 ──光、光、きれいな緑や水、笑いあう人たち、光。

 頭の芯がぐらぐらする中で、織田は自分に言い聞かせるようにイメージを描いた。

 今ごろ天野と夕貴は加持を修しているのだろうか。「どの辺まで進んだのだろう」「早く終わればいいのに」と考えてしまう度に、愛美の手が動き、後ろめたい気分になる。


 その内、光をイメージすることに慣れてきた。つないだ手が、自分のものであるように馴染んでくる。

 真言と煙の中、自分という枠組みが解けて愛美と一体となる。さらに陶子とも溶け合って、大きな光のうねりを創り出していく。


 気持ちいい。今なら、何だってできる。ちっぽけな自分の殻を破って、光そのものになったみたいだ。

 感覚が鋭敏になって、まつ毛が落ちる音まで聞こえてきそうだ。


 ふと、声が聞こえた。廊下、いや、もっと向こうからだ。


 天野と夕貴が唱える真言だろうか。無意識に自分の声を弱め、その音に集中する。

 流れ続ける低い声。これは、天野の真言だろう。そこに時おり混ざる、泣いているような、叫んでいるような、くぐもった声。これは──。


 ばらばらだったパズルが、すべてつながった気がした。


 織田は真言を唱えるのをやめ、愛美の手をほどいた。

 立ち上がると、足のしびれで一瞬よろめく。けれども足を奮い立たせ、扉へと向かった。


「待って、さくらさん!」

 後ろで陶子の声がしたが、無視して戸を開ける。廊下へ出て、声がする方へと織田は急いだ。


 天野の言動や信念には、共感できる部分も多々あった。ある種の人を惹きつける魅力も感じた。本物なのかインチキなのか、関わったからには理解したい。


 耳をふさぎたい気持ちを押しのけるように前へ進み、加持を行う部屋の前に立った。


 女の──夕貴の声がする。


 扉の向こうから漏れてくるのは、天野の唱える真言。


 そして、絶頂に達しようとする夕貴の嬌声。


 強烈な吐き気がして、織田は手で口を覆った。

 胃がせり上がり、口の中に苦くすっぱいものが湧いてくる。小学生のとき遭遇した男が、見せつけるように自分のものをしごく様子が脳裏に浮かんだ。

 獲物を狙う目つきで、こちらを直視している。その姿が、天野に重なる。


 ──嫌だ、助けて!

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