第7話 竹藪で見たもの

 緑色の炎を見た動揺を必死にこらえていると、天野がまた脇を通る気配がしたので、織田はかたく目を閉じた。闇の中に、心臓の音が響き渡る。


 加持が終わった旨を、天野が告げる。かなり長い時間だったように感じたが、時計を見ると十分も経っていない。

 天野が向かいの席に戻ったので、織田も椅子を近づける。受ける前と特に変化は感じないが、炎が緑色だったことに戸惑っている。ロウソクはすでに消されていた。


「とりあえず、応急処置はしました。が、継続して加持を受けられることをお勧めします。……あなたは、かなり抑圧が強いようですね。加持をしても、なかなか心の底が見えない。思い出したくない過去でもあるから、無意識にふさいでいるのかもしれませんね。どうです?」

 心の中が一瞬ざわめいた。あれは、小学四年生のときだったか、と考えて、打ち消す。誰にだって、嫌な過去はあるものだ。引っかかってはいけない。


「あ……いえ、特に心当たりはないです」

 天野が「そうですか」と受け流して、話を続ける。

「とりあえず一週間は加持を続けた方がいいかと。忙しい方には、こちらで遠隔加持を修します。願主の基本データさえわかれば、ご本人はいなくても大丈夫ですので」

「そうなんですか? 毎日通ったり、泊まり込んだりするのかと思っていました」

 鎌をかけてみる。天野は少し笑って言った。

「もちろん、そういう方もいらっしゃいます。本当に加持をしているのか不安だという人や、魔の影響でまともに社会生活を送れないほど追いつめられた人ですね。うちには空き部屋がいくつかありますので、希望される方には、そちらを宿泊所として提供しています。が、そこまでされる方は少ないですよ」


 では、どうして愛美まなみは少数派である泊まり込み組になったのか。天野の好みのタイプだったから、引きとめられたのだろうか。

 継続加持は一回三千円で、昼の二時ごろに修するという。遠隔加持を受けると、願主は強烈な眠気を催すので、その時間は気をつけて欲しいそうだ。また、加持が効いていると体温が上昇するので、期間中は起床時、昼食前と二時半時点での体温を、確認のためにメールで知らせて欲しいとも言われた。


 次へつなげるために、織田はとりあえず三日間の加持を依頼した。それでも一万円近くする。司に出してもらうのも悪いが、危険手当として我慢してもらおう。とにかく、早くここを出て、外の光に当たり態勢を立て直したい。

 天野はメールアドレスが書かれた名刺を差し出して、こちらに体温を報告するよう言い、織田のアドレスを聞いてきた。抜かりなく、あらかじめ取得しておいた捨てアドレスを記入する。

「では、明日から三日間加持を修しますので。……何か変わったことがあれば、いつでも連絡をください」

 合掌して天野が一礼する。織田も、お辞儀をして礼を言った。


 天野が机上のリンを鳴らすと、扉が開いて受付の女性が姿を現した。部屋の照明が薄暗いので、久しぶりの明るい光だ。彼女は天野から紙を受け取ると、織田に向かって会釈をし、廊下に出た。

「どうぞこちらへ」

 織田は立ち上がって天野に礼を言うと、バッグを持って女性のあとに続いた。振り返って一礼すると、天野が腕を組んで、じっとこちらを見つめていた。


 最初に通された座敷に戻り、再び茶を出される。疑念はあったものの、もう占いは終わったのだからと、織田は一気に飲み干して渇きをうるおした。

 来たときよりは、自然庵じねんあんや天野に対する警戒心が薄れている。想像していたよりも、ちゃんとしたところのように思えた。


「加持も受けられたのですね。いかがでした?」

 女性が微笑みかけてくる。彼女から、何か情報を聞きだせるかもしれない。

「なんか、神秘的ですよね。加持を受けている間、瞼の裏に不思議なものが見えたんですけど」

「ああ、それ、私も見えました! 鮮やかな鳳凰みたいなのが、素早く飛んで行くの」

「あなたも受けられたことがあるんですか?」


 女性は「夕貴ゆき」とだけ名乗り、自分も元は占いを受けに来た客だったと明かした。加持によってすべてが好転したことに感銘を受け、住み込みで受付のバイトをしているという。見たところ、表情も明るく、軟禁されている風ではない。

「ここって、住み込んでいる方は多いんですか?」

 織田が訊くと、夕貴は指を折って数え始めた。

「今は、私を含めて四人です。症状が治まるまで一時的にいる人とかね。天野先生は気功も教えているから、加持とダブル効果で健康になれるの。まあ、私みたいに、もう加持は必要ないのに居座ってるのもいるんだけど。女の子ばっかりだから、合宿みたいで楽しいんですよ」


 残り三人の内に、愛美がいる。織田は、探りを入れてみた。

「私、会社員なんですけど、仕事は休まなきゃいけないんですか?」

「一流企業のキャリアウーマンの人がいるけど、毎朝ここから出勤して、夜になると帰ってきますよ。たまに話題のお店のスイーツ買ってきてくれたりして。あ、でも、魔の影響が強すぎる人は、しばらく外出しないよう勧めてるかな。ここは、とても安全なシェルターだから。今も一人、敷地から出ないよう言われている人がいるし」


 恐らく愛美だ。

 織田はさりげなく畳みかけた。

「その人は会社員? それとも大学生?」

「会社員です。病気ってことで有給使ってるけど、そろそろまずいみたい。……織田さんも、興味あります?」

 興味はあるけど仕事が忙しいから、とごまかして、織田は会計を済ませた。占い代三千円と加持三日分九千円プラスお布施で、一万五千円を支払った。結構な痛手だ。


 夕貴に見送られて玄関を出る。太陽の熱がじんわりと肌に伝わり、虫の声が両耳で反響する。やっと外へ出られたことに安堵し、織田は空を見上げた。強い日差しに、思わず目を細める。

 塀沿いに立つ母屋を観察する。二階の窓は四つ、どれも擦りガラスで閉まっている。一階はガラス戸に障子の部屋、小さめの窓を開けて網戸になっているトイレと思しきところが確認できるが、人の気配はしない。

 勝手に入って愛美を探したい衝動に駆られたが、自身もかなり消耗している。早く落ち着ける場所で安心したい。

 織田は、ゆっくりと敷石を踏みしめ、自然庵をあとにした。


 門をくぐり、短い石段を下りる。竹藪の影になっているので日差しが届かず、ひんやりとして気持ちがいい。

 時計を見ると、すでに一時間半は経過している。つかさとの待ち合わせ場所へ急ごうと、織田は歩き始めた。


 風が吹き、竹藪がざわめく。ふと見遣ると、奥の方で黒っぽいものが動いている。

 立ち止まって覗き込むと、下草だと思っていた黒いものが、一斉にこちらを見た。


 無数の光る目が、織田を凝視している。二つの目を持つ煤玉すすだまのようなもので、何十、何百という数のそれが、竹を駆け上がる。


 織田が見上げると、竹の葉に煤玉が次々とぶらさがり、藪全体が真っ黒な塊になって揺れながら、ざわざわと笑っていた。

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