5 約束

『僕は、君を、覚えてる――』

 力なく座り込んだ若いヴァジエーニ王子の影に、子魂は遠慮なく抱きついた。

『私もヴァジエーニ様のこと、覚えてるよ!』

 それは、図書館学校に通っていた頃、雨の振り続く日のことだった。ルナが傘を差して王邸から帰ろうとしていると、銀色の雨の中、ヴァジエーニ王子が濡れそぼって、前庭の石像の前に立ち尽くしていた。いつも優しく微笑んでいるヴァジエーニ王子は、誰にも見せないような陰影を含んだ目で石像を見上げていた。

「ヴァジエーニ様、どうしたの?」

 ルナは重く濡れた王子のシャツの裾を引っ張った。

「こんなところにいると、濡れちゃうよ」

 そう言って、ルナは背の高いヴァジエーニ王子の頭の上に、自分の傘を掲げようと腕を伸ばした。ヴァジエーニ王子はいつも通りの微笑みを浮かべ、体を屈めた。

「ルナ、今帰りかい? 私はどうもしないんだよ。ちょっと、考えごとをしていてね」

「風邪をひいちゃうよ」

 ヴァジエーニ王子は掲げられた傘の下で、傷付いた硝子のように笑った。

「ルナは優しい子だね。傘を貸してくれてありがとう。私は大丈夫なんだよ。――見てごらん」

 ヴァジエーニ王子はそう言うと、グリフォンの石像を見上げた。

「あの石像の前足の間に、ちょっと色の薄い丸い形の石があるだろう。あれはね、グリフォンの卵だよ」

「グリフォンの卵?」

「そう。グリフォンの雛が眠っているんだよ」

「わぁ! 赤ちゃんが眠ってるんだ!」

「そうだよ。いつか私が王様になったとき、あの卵が割れて、私の相方になる」

「ヴァジエーニ様はいつ王様になるの?」

 ヴァジエーニ王子は笑った。

「それは分からないよ。今の王様である私のお父さんが、天国へ行ってからの話だからね」

「ふぅん。そうなんだ」

「だけどね、私は不安で堪らないんだ。私のお父さんは王様の仕事のことを教えてくれるけれど、私が本当に王様になってしまったら、教えてくれるお父さんはもういない。本当に私は立派な王様になれるのか、自信がないんだ」

 傘に跳ねる雨粒の音は数え切れないほど折り重なって、二人の耳に届いた。地面に落ちる雨粒はざぁざぁと、傘に落ちる雨粒はぽつぽつぱちぱちと、色んな音を立てて混じり合った。

 ヴァジエーニ王子は突然はっとして、ルナを見た。

「ごめんね、ルナ。君もお父さんを亡くしたんだったね」

 ルナは傘を差し出したまま、こくん、と頷いた。

「うん。お父さん、いなくなっちゃった。でも、ヴァジエーニ様のお父さんは、王様なのに死んじゃうの?」

 ヴァジエーニ王子はうつむいた。

「私のお父さんも、王様である前に、一人の人間だからね。みんなと同じように、死んでいくんだよ」

 ルナもまた、うつむいた。

「……私のお父さんとお姉ちゃんはね、天国にいるんだって。私も天国に行けたら、お父さんとお姉ちゃんに会えるのにな……」

 ルナは傘をぽとりと落とし、目をこすって泣き出した。何の遠慮もいらなかった子供時代、図書館学校の子供たちは、何度ヴァジエーニ王子に縋ってきたか分からない。ルナも冷たいヴァジエーニ王子の肩にしがみついて、わんわん泣いた。ヴァジエーニ王子は宥めるように、ルナの背中を撫でた。

「――私はね、王様になったら、みんなが幸せに暮らせるようにしたいんだ。図書館学校に来るみんなのことも、ルナのことも、幸せにしてあげたい。もう、誰も辛い思いをしなくていいように、頑張りたいんだ」

 ヴァジエーニ王子はルナを離すと、幼いルナの顔を見つめた。

「私はルナのことを、きっと幸せにするからね。約束だよ」

「うん。約束」

 二人は小指と小指を絡めた。

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