後編 積み重なる記憶
みんなが自室に戻った夜更け、アザリアが突然ルナの部屋に顔を出した。ノックもせず、こわごわとドアを開けている。
ルナは柔らかな笑みでアザリアを迎えた。
「どうした? 眠れないのか?」
「――ルナ――ルナちゃん――ルナ様――ルナさん――ルナ君――」
ルナ本人の目の前で、アザリアはルナの呼び方に迷っていた。ルナを見ながら首をかしげている。
「私のことはルナでいい。それから、ドアを開けるときには、こうして手を握って、優しくドアを叩くんだ。このドアを開けてもいいですか? この部屋に入ってもいいですか? という合図になる」
アザリアはルナに教わった通りに手を握り、白い甲でドアをコツコツ叩いた。
「そう。上手だよ。そうやってドアを叩くと、部屋の中にいる人が返事をしてくれる。もしくはドアを開けてくれる」
アザリアは承知したようで、こっくりうなずいた。
「――お姉様も、そう仰っているわ」
「お姉様?」
「わたしの前に、この体に入っていた方。その方の記憶が、わたしの体に残っているんだって。ニック先生が教えてくれたの」
「先代の記憶が体に残るのか」
「……セン……ダイ?」
「いいや、何でもないんだ」
「そこに座ってもよいですか、ルナ」
「もちろん、いいよ」
アザリアはルナの手を引き、二人で並んでベッドに腰掛けた。人の体に身を寄せるのはアザリアの癖なのか代々受け継がれてきた仕草なのかよく分からないが、彼女は人間の子供のように、誰かの体に寄り添うのが落ち着くらしかった。黒いローブに覆われたルナの二の腕に凭れると、アザリアは本物の母親に語りかけるように、ルナを見上げた。
「お姉様たちはね、いつもわたしにお喋りしてくれるの。『あなたは一人じゃないわ、いつもあなたのそばにお姉様がついているからね』って言ってくれるの。困ったときには色々教えてくれるのよ」
「アザリアの姉さんたちはみな優しいのだな」
「ルナは、いい匂いがする」
「ああ、植物の匂いだよ。優しい気持ちになれるんだ。アザリアにも分かるのか?」
「うん。いい匂い」
アザリアはルナのローブに顔を埋めて頬擦りをした。ヒューメルンはロボットなので夜の活動が本来どうなるのかは分からないが、アザリアは人間と同じように眠るらしかった。ルナのローブに顔を埋め、アザリアは言う。
「ルナ、わたし、眠くなりました」
「ニック先生のところに戻りなさい。心配するよ」
「ルナと一緒がいいです」
甘えるアザリアに、ルナは机の上の香紙を取り、彼女の手に握らせた。
「この紙は私と同じ匂いがするだろう。持っていきなさい。きっとアザリアを勇気付けてくれるよ」
アザリアは鼻先に香紙を翳しながら、真っ直ぐにルナを見た。
「ルナ、ありがとう。これ、いい匂い。とっても、いい匂い。わたし、好き」
そう言ったきり、 アザリアは突然目を閉じてルナの肩で眠ってしまった。ルナは彼女の重い体を抱え、ニック紳士の部屋へ送り届けた。ニック紳士は驚き、慌ててアザリアを引き取った。
「ご迷惑をお掛けしました、ルナ様。この子はまだ起動してふた月にしかならない赤ん坊なのです。本当に失礼いたしました」
「ニック様、ヒューメルンの体には、歴代の人格チップの記憶が蓄積されていくものなのですか」
「はい。そうならないよう、クリーニングは施すのですが、完全ではないのです」
「今日はゆっくり休ませてあげてください。それでは、お休みなさい」
ニック紳士は深く頭を下げてルナを見送った。
ヒューメルンの体の重さと起動熱のぬくもりが、ルナの胸に残った。
翌朝、二人は朝食後すぐに小屋を立った。
アザリアは、姿が見えなくなるまで何度も繰り返しルナの方を振り返り、木々の向こうへ去っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます