自分を将棋の駒で例えるなら
自分をなにかに例えるのは苦手だが、将棋の駒なら十種類もない。最近はさまざまな影響もあって将棋が人気になりつつあるが、私自身は、将棋に関しては初心者に等しい。ルールは分かる。駒の動かし方も分かる。詰将棋なら一時期ハマっていたこともあって、そこそこはできる。しかし、実際に対局するとなると、私の王は簡単に首を刎ねられる。何手も先を読む、という行為をできないことはないが、時間が掛かりすぎてしまう。将棋ができる人は羨ましい。櫓、は聞いたことがある。あなぐま、は形も分かるが、あの形からどうやって攻防を展開していくのか、よく分からない。たぶん、私には軍の指揮はできないのだ、と思う。
王将、金将、銀将、桂馬、香車、歩兵、飛車、角行。8種類。ちなみに、と金と答えるのは反則なのだろうか。と金は将棋の駒と言えるのかどうか、さすがに分からない。
自分を将棋の駒に例えるなら、私は玉将だろう。王将ではない。玉将なら、存在はするのだから、将棋の駒と言ってもいいだろう。特に深い理由はない。王将が二枚なく玉将が存在する理由は「真の王は二人としていない」と私は聞いたが、もちろん諸説あるように思う。しかし、私はこの説が好きだ。どうあがいても「真の王になれない」王という存在が好きだ。実際にそばにいたならば、同情するつもりはないし陰から嘲笑する気もする。
自分を将棋の駒で例えるとするならば、憧れも兼ねて玉将を選びたい。
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