第3話 毒を盛られた姫
あの日から約一年。
わたしは十一歳になった。
去年は内外の貴族や王族、魔術師たちを招いての盛大な宴を開いたけれど、今年は家族だけでこじんまりと済ませた。
……正直、それもあまり出たくはなかったけれど。
王都ではにぎやかな催しになっているようだが、場内は静かなものだ。
一つ年を取ったということは、死までの時間が一年縮んだということ。
それを何とも思わないわけではないけれど。
「姫」
塔に戻る途中で教育係が追い付いてきた。
城下の催しに引っ張り出されていたのだろう、珍しくローブに身を包んでいる。
「珍しいわね」
「そうですか?」
白を基調にした布地に、金色の細かな縫い取りがされたローブは、彼によく似合っている。
本来なら彼は、こちら側にいる人ではないのだ。
「お祭りに引っ張り出されたのね」
「ええ。……塔に戻られますか?」
「そのつもりだけれど」
「では、ご一緒します。……あとは僕が護衛するから」
護衛についていた二人の兵士は、彼に頭を下げて元来た道を戻っていく。
「では、行きましょう。今日は図書室には?」
「……やめておくわ」
王家の図書室にあった魔女関連の書物はすべて読んだ。他にもないかとこの一年探し続けてきたけれど、いまいち芳しい結果は得られていない。
ゆっくり歩き出すと、クロードは労わるように顔を覗き込んできた。
「お疲れのようですね」
人の目を気にしてだろう、クロードはいつものぶっきらぼうな喋りではなく、丁寧な言葉を選ぶ。
「そうね」
「塔から降りたのが久しぶりだからですか?」
「それもあるけど……あんな祝いの宴なら開かない方がましよ」
誰一人としてわたしと目を合わせない、宴の席。
弟や妹もおびえたようにわたしを見る。
そんな、声一つ上がらない、食器の音だけが響くような宴なんてやめてしまえばいい。
「そういえば、料理は料理長が腕によりをかけたと聞いておりますが」
「……覚えてないわ。砂を食べてる気がして」
「……だろうな」
塔に上がる階段の入口で衛兵の敬礼を受け、扉を開く。
背後で扉が閉じたのを確認して、クロードは表情と言葉を崩した。
手を振り、階段のランプを灯すとクロードは、、胸元から紙袋を取り出してわたしに押し付ける。
「これは?」
「町で買った。今一番人気の焼き菓子だそうだ。美味いぞ」
紙袋はまだ暖かかった。そっと袋の口を開くと、バターと小麦粉の香りがする。
「おいしそう……」
「味のない食事よりはよほど美味い」
その言葉が胸に沁みる。
体面だけ取り繕った家族よりも、クロードの方がよっぽどわたしのことをわかってくれている。
顔を上げてクロードを見れば、うっすらと浮かべる微笑は、白々しい笑顔ではなかった。
「ありがとう、クロード。お茶を入れるわ」
「ああ、頼む。美味いのを入れてくれ」
クロードは一瞬だけ目を見開いたのち、口角を上げた。ぽんぽん、と今日のためにきれいに結い上げられた髪に手を置いて、先に上がっていく。
それだけで今日の苦行が報われた気がした。
◇◇◇
お茶と焼き菓子を並べてテーブルに置くと、ソファに腰を下ろした。今日の茶葉は先日送られてきた遠方の茶葉だ。
カップを取り上げようとすると、クロードは手で制した。
わたしと二人でいるときは、クロードが毒見役なのだ。
最近はわたしの食事もクロードが運び、二人で食べるようになっている。
彼はあくまで教育係で、魔術師にとって喉は大事なはず。本来ならそんなこと、しなくていいのに。
カップのお茶を嗅ぎ、ぺろりと舐めたところで眉根を寄せたクロードは、首を横に振るとすぐさまポケットから錠剤を取り出して口に放り込んだ。
……つまりこれは、黒。
「クロード……」
「これは、誰から」
「遠方の珍しい茶葉を取り寄せたからって……」
「誰から?」
ソファにぐったりと体を沈めたクロードは、詰問口調で重ねて聞いてくる。毒のせいか、枯れた声が苛ついて聞こえた。
「……叔父様から」
「王弟陛下か」
「でも、わざわざ手紙までつけてあったのよ。……もしかしたら他の人から贈られたものを、わたしに回したのかもしれないし」
「……姫は相変わらず人がいい」
それは、ほめ言葉には聞こえなかった。鋭いとげと、射るような視線がわたしを刺す。
「だって……わたしを殺したところで、誰も得しないもの。……いつもの茶葉で淹れなおすわ。美味しいと聞いていたから入れたのに……ごめんなさい」
「いや……君が一人の時でなくてよかった」
声音が和らぐ。ほんのりと微笑んだのが分かって、どきりと心が躍る。……そんな場合じゃないのに。
「……今後もクロードのお茶は他の侍女に入れてもらうようにするわ」
「そういえば、俺が一人になるあと侍女が現れて茶を入れてたな。あれは君の指示か?」
そんなはずない。
「わたし付きの侍女とはなってるけど、わたしは自分の身の回りのことは自分でできるから」
首を横に振ると、カップを二つとも盆に戻し、キッチンに運んだ。
もらった茶葉も、ポットもカップもすべてごみ箱に捨て、改めてお茶を沸かす。
いつものお茶を入れてソファに戻ると、解毒剤が効いてきたのかクロードは身を起こしていた。
「君の侍女は俺の茶を入れるのが仕事なのか。……本来の仕事もせずに何を考えているんだ、まったく」
クロードは眉根を寄せて首を振り、新しいカップを取り上げると一口飲んだ。今度は問題なかったようで、わたしを見て頷いた。
「わたしに近づくと呪いが移るらしいわ」
「……は?」
「冗談よ。……わたしが一人の時に口にするものは、自分で淹れることにしているから。部屋には誰も入ってこないし、安全よ」
「それはどうかな。今日のように君が部屋を開けているときは、誰でも入り放題だろう? 毒を仕込むことだってできた。さっきの毒だって、いつどこで入れられたのかわからない」
カップを取り上げようと伸ばした手を止める。
そんなこと、考えたこともなかった。
……それほど、わたしは憎まれているのだろうか。
「侍女がやったと……いうの?」
「その可能性もある、ということだ。君が手ずからお茶を淹れて俺をもてなしてくれていることは、彼女たちは知らないのだろう? 君一人しか飲まないのなら、確実に君の口に入ると思ったのかもしれない。自分で淹れるのが常ならば、自害したと取ることだってできる」
「そんな……」
もし侍女の仕業だとしたら、クロードを独り占めしている私への恨みや嫉妬だろうか。
カップもポットも茶葉も、誰かの手に晒される可能性はある。実際に毒が仕込まれていたことを考えると、何もかもが疑わしい。
カップを取り上げたものの、手の震えが止まらない。
「姫」
気が付けば、クロードがすぐそばにいて、震えた手に持っていたカップとソーサーを取り上げられた。
「口を開けて」
「……え」
のろのろとクロードの方を向くと、薄く開けたままだった口に何かを押し込まれた。
眉根を寄せて、押し込まれたものを吐きだそうとして……ふわりと薫るバターの香りに気が付いた。
見上げれば、クロードは視線の先でにっこりと微笑んでいた。わたしを安心させるように。
「美味いだろ、食べて」
クロードは塊の残り半分を自分の口に放り込み、指についた粉をぺろりと舐めた。そのしぐさがあまりになまめかしくて、おもわず顔を赤らめる。
慌てて顔をそらし、口の中のものを味わおうとしたけれど、焼き菓子の味は分からなかった。
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