第93話 立ちはだかるは

 黒が誘拐された。


 じいやさんの口から、その話を聞いて。


「あ、はは……珍しいですね、じいやさんが冗談だなんて……」


 ヒク、と庸一は口元を動かした。

 笑みを浮かべたつもりが、上手く出来なかった。


「申し訳ございません……! とある事情・・・・・によるSPたちを下がらせていたとはいえ、異様な速度で現れお嬢様を攫った輩を捕らえることが出来ず……!」


 庸一の言葉を否定するのも煩わしいとばかりに、じいやさんは口惜しげに拳を握る。


 その態度から、冗句の類でないことは明らかだった。


(とある事情、って……)


 恐らく、それは。


(俺の返事の件があったから……だよ、な……)


 明言した上で席を立ったわけではない。

 だが黒も察していたようだし、この執事は全てを見抜いていたのだろう。


 しかし、彼にさえ予想外の事態が起こった。


(俺のせいで、黒が……?)


 庸一は、血の気が引いていくのを自覚する。


「恥を忍んでお願い致します……! 皆様の力をお貸しください! 妨害電波の類でも用いているのか、お嬢様の発信機も反応を示さないのです……!」


 じいやさんが深々と頭を下げた。


「も、もちろんです……!」


 庸一としても、否があるわけはない。


 とはいえ。


(どうする……!? 俺に、何が出来るんだ……!?)


 何も思い浮かばず、焦りだけが加速していく。


「よーし、今こそ神託の出番だな!」


 とそこで、光が自信満々に胸を張った。


「そうか、それがあったな……! 光、頼む!」


「任せてくれ!」


 自身の胸をドンと叩き、光は天を見上げる。


「神よ……」


「魔王に憑いている霊の気配から、位置を捉えましてよ!」


 神託は、スタート一秒で環によって遮られた。


「砂浜を移動中……兄様、光さん、わたくしの後に続いてくださいまし!」


「でかした環!」


 走り出す環の後を追いながら、庸一が表情を明るくする。


「………………」


 一瞬遅れて、光もそれに続いた。


 が、なんだか釈然としないような表情である。


「……光さん。貴女の神託、今までに役に立った場面といえば魔王にボケ認定された時くらいですわね?」


「気にしてるんだから言わないで!?」


 走りながら半目を向けてくる環に、光はちょっと涙目になっていた。


「というか、前世では結構役立っていただろう!? 罠を回避したり、助けを求める人々を見つけたりさぁ!」


「それはまぁそうなのですけれど……転生すると、神託までポンコツになるんですの?」


「『まで』ってどういうこと!? 私自身もポンコツになっているかのような物言いはやめてくれないか!?」


「えっ……? ご、ごめんなさい、まさかご自覚がないとは夢にも思っていなくて……今の言葉、光さんを傷付けてしまいましたわよね……? わたくし、深く反省しております……」


「前も言ったけどマジ謝りされると余計に傷付くんだが!?」


 真顔で頭を下げる環、光は心外だとばかりに叫ぶ。


「お前ら、ちょっとは緊張感を持てよ……! 黒が拐われてんだぞ……!?」


 いつも通りのやり取りではあるが、流石にこの場面では看過出来ず庸一は苦言を呈した。


「兄様……差し出がましいかもしれませんが、焦ったところで状況が良くなることはありません。今は平常心を保つことこそが重要かと」


「……そうだな。悪い、その通りだ」


 焦りのあまり頭に血が昇りすぎていたことを反省する。


「光も、わざわざ汚れ役を引き受けてくれて悪いな」


「んんっ……!? ここは、肯定しておいた方が好感度上がるのかな……!?」


 場を和ませるのに一役買ってくれた光に礼を言うと、光はとても悩ましげな表情となった。


「それで、環。黒を拐ったは今も移動中なのか?」


「はい、そのようですわね」


「このペースで追いつけそうか?」


「……正直、微妙と言わざるを得ません。恐らく、同じくらいの速度かと」


 そう言いながら、環は顎に指を当てる。


「にしても、少し妙に感じますわね……進路を見る限り、車やバイクを利用出来るとも思えないのですが……」


「ヘリでも使ってるとか……?」


「いえ、気配は地上をずっと移動しているのです。というよりも、この動きは恐らく人力で走っているものかと。しかし、人を一人抱えた上でこの速度なると……」


 そこで口を閉じた環から続く言葉はない。

 恐らく、予想するものはあっても確証はないということなのだろう。


 果たして如何なる手段を用いているのか、気になるところではある。


 とはいえ。


「いずれにせよ、今は追いかけるだけだ!」


 グンと、庸一は一層ペースを上げる。


 それと、ほぼ同時のことだった。


「っ!?」


 前世で培った危機察知能力が、全力で警鐘を鳴らしたのは。


「兄様!」


「庸一!」


「あぁ、全員止まれ!」


 環と光も同様に何かを感じ取ったようで、ズザザッと砂を巻き上げながら急制動。


 次の瞬間、目の前の砂浜がズズズッ……と盛り上がっていく。


 大量の砂の塊は瞬く間にその形を変えていき、やがて見上げる程に巨大な人型となったそれは。


『ゴーレム!?』


 前世で幾度も対峙した、あるいは味方が使役した、魔力で操られる命なき人形だった。


 それは同時に、とある事実を指し示す。


「相手は、転生者なのか……!?」


 庸一の驚きは、思わず口から飛び出たものだった。


「確かに、絶対に私たちしか転生者がいないなんて証拠はないものな……」


「わたくしの転生魔法も、範囲が不明ですし……」


 そう言いながら、光と環も驚いた様子は隠しきれていない。


 恐らく、庸一と同じく無意識に考えていたのだろう。

 前世で力尽きたあの瞬間、同じ場にいた四人だけが転生しているのだと。


「って、それよりも……!」


 ゴーレムが大きく腕を振りかぶり、庸一の脳は思考から戦闘モードに切り替わる。


 ズドン!!


 ゴーレムの拳が地面に突き刺さり、砂が大きく舞い上がった。

 三人同時に飛び退って避けていなければ、今頃ぺしゃんこになっていたことだろう。


「チッ……! 足止めってわけかよ……!」


 動きが機敏とはいえないが、何しろこの巨体である。

 全力で走っても、撒くのは難しいだろう。


(倒すには、身体のどっかにある核を壊す必要がある……けど……!)


 焦れる気持ちと共に、庸一は強く拳を握る。

 と、そんな庸一の前に一歩分踏み出したのは光だ。


「天光ブレード!」


 手を前方に突き出した光が叫んだ瞬間、その手の平の前方が僅かに輝き……かと思えば、次の瞬間にはその輝きが木刀の形となって顕現した。


「ゴーレム相手じゃ二人とは相性が悪い! ここは私が道を切り開くから、先に行け!」


 そして、庸一たちの方を振り返ってそう叫ぶ。


 そう……光が言う通り、庸一と環ではゴーレムとは相性が悪いのだ。

 素手しか攻撃手段を持たない庸一は言わずもがな、死霊を使役したり魂に直接影響を及ぼす環の闇魔法は無生物相手だと攻撃手段が大幅に減じられる。


「悪い光、頼んだ……!」


 ゆえに、庸一は躊躇せずこの場は光に任せることにした。


「光さん……どうぞご無事で」


 環が、神妙な顔つきで自らの胸に拳を当てる。


「ふっ……心配するな、ゴーレム如きに遅れを取る私じゃないさ」


 一方、光は自信に満ちた表情で木刀を構えた。


「ここで下手に怪我でもされては、兄様の記憶に変に美化されて残りかねませんので」


「最悪な理由での心配だな!?」


「珍妙な女としてまた再会出来ること、祈っておりますわ」


「私としては珍妙な女として再会する予定もないんだが!?」


 こんな時でも、そんなやり取りは相変わらず。


「とにかく……私が奴の気を引くから、その間に行ってくれ!」


 とはいえ、流石に戦闘モードに切り替わった光は凛々しい表情だ。


「破魔の力よ! 全てを切り裂く刃となれ!」


 詠唱と共に木刀が輝きを放ち、その瞬間に光が木刀を一閃。

 放たれた刃のような閃光がゴーレムの片足を切断し、ゴーレムが大きくよろめく。


 すぐに再生していくが、それだけの隙があれば十分だ。


「来いデカブツ! 私が相手だ!」


 更にゴーレムの気を引くべく光が叫ぶのに合わせて、庸一と環は駆け出した。

 ゴーレムは二人を捉えようと手を伸ばすが、それをすり抜けて加速。


(黒……無事でいてくれよ……!)


 祈るような気持ちで、庸一は全力で駆けるのだった。

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