第16話 浜辺の唄。

 民宿へは、16時着予定。


 ゆっくり行けば少し早めに着くぐらいかな。


 私は、14時すぎに早々に身支度を終え、車に乗り込んだ。



 なんだろうね。私のこの行動力。


 一昨日、あの日記を読んだ時は、ショックで自分の心はあんなに悲惨に満ちていたのに。

 

 昨日は綾からもらったメモなんて思い出して、今日、もう向かってるし。


 でも、久しぶりの旅行。一人旅なんて初めてかも。

 

 やだ、楽しんでる?…。

 

 安定しない心の行き場を、都合良くコントロールしてる自分。


 後ろめたさ、罪悪感。


 否定したり、開き直ったり。


 もっと堂々としていれば良いじゃ無い。

 

 いやいや、自分の娘を死なせた要因はあなたにあるし、それも自分に非があることをひた隠して、それどころか可愛そうな母として娘の死を利用してるじゃない。やっぱり、それば罪でしょ。


 そんな声が聞こえる…なんて漫画風に例えるなら、天使と悪魔が頭の上でバトルしていると言ったところか。


 でも、どっちが天使?どっちも悪魔みたいね…。


 道中、見ている風景も記憶に残こらないほど、この先にある期待感とともに、私は悲運な母か、悪徳母か…そんな何とも迷走した思いを巡らせながら、私は車を走らせていた。



 海沿いの道路を走り、時折、山あいを抜けながらの小一時間。映画やドラマの撮影で、観光スポットでも知られる、崖のある景色が見えてきた。


 もう少しね。たしか、ここを抜けてしばらく行くと、きれいな砂浜が続く場所があるはず…。多分その辺りに看板が…って無いなあ。


 緩いカーブを下ったところで、50mほど前方下に黄色い何かが目に入った。


 スピードを緩めながら近づいていくと、それは道沿いの草むらに隠れるように立っている、いかにも手作り風の矢印型の看板だった。


 浜辺の唄 この先200mとあった。


 あれ、これ?えっ、でもこの矢印、海側と反対向いてるけど。


 看板の矢印を信じて、舗装もされていない細い道へ入った。


 軽自動車でも、幅的に厳しい道。


 海から離れてくような気がする…。


 ほんとに、この道で良いんだよね。


 こういう不安って、冒険心をかき立てると言うのは本当かもしれない。


 緊張と動悸、そして、いくらかの高揚感も感じながら、道なりに進んでいった。


 しばらく行くと、急に目の前が開けた。


 うそ?なんで?海見えるじゃん。


 くるくる回って結局、海?


 方向音痴にはもってこいのスリルね。


 ふう、でも良かった。ここみたいね。



 目の前には、浜辺の唄という看板を掲げた2階建ての民宿があった。


 へぇ、割と、きれいじゃない。


 今流行の古民家をリノベーションしたってやつかな。


 民宿の前は、砂利混じりの土の上に縄で区切っただけの駐車場になっていた。その駐車場をコの字で囲むように、向かって右手は、白壁の蔵らしき建物があり、正面の民宿と繋がっている。


 左手には、綾が言ってた居酒屋らしき建物。


 なんだ、ここなんだ。


『月舟』と大きく書かれた木製の看板が、嫌でも目に入った。


 いや、でも地名と言うことでもないし、お泊まりすれば分かるって言ってた…。どういうことなのかな…。


 私は、じゃりじゃりと音をさせながら、慎重に縄張りの線内に車を収めた。


 よし、一発できれいに停めれた。うん、気持ち良いわ。


 でも、まだ15時半前か。ちょっと早く来過ぎたかな。


 車の音で気がついたのか、えんじ色の作務衣を着た女性が出てきた。


「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。浜辺の唄の小川美智子と言いますです。」


 あの電話の柔らかな声。イメージ通りの、ふくよかで優しそうな女性だ。


「お疲れ様でした。さ、どうぞ中へ入ってください。」


「すみません、ちょっと早く着いてしまって。里田です。」


「全然、構いませんよ。ちょっと待っててくださいね。今宿帳お持ちしますから。上がったところの畳の部屋でお待ちくださいませ。」


 玄関に入ってすぐの土間には、編まれた縄が被せられたガラス製の浮きやランプなどが飾られていた。


 ガラスの浮き。昔、実家の物置にあったやつだ。


 そうか、今は、こういうのがインテリアになるんだ。


「珍しいでしょ。何か分かります?」


「私が子どもの頃、確か実家の物置にこのガラスの浮きあったの覚えてます。父も若い頃漁師だったって聞いてましたから、その時のものかと。」


「そうなんですね。お父様が。なんだか嬉しいですね。じゃ、今、宿帳お持ちしますから、どうぞ上がってください。あ、靴は、そこのお部屋の名前、里田さんは『風』ですので、『風』と書いてある下足箱に入れてください。」


 他に『星』『月』とあった。なんか、メルヘン。


 土間をあがると、8畳くらいの畳の部屋に、紫檀色の重厚なローテーブルを挟んで、緑系のゴブラン調のクラシカルな3人掛けのソファが向かいあっていた。


 ヨーロピアンな感じだけど、不思議と和室にとてもよく馴染んでる。


 テーブルの上には、表紙に『想い出何でも』と書かれた何冊かのノートと、ラミネート加工された画用紙が一枚置かれていた。


 その子どもが描いたと思われる海の絵の画用紙を手に取っていると、女性がお茶と、宿帳を運んできた。


「お待たせしました。すみません。ここはカウンターみたいな場所がないのでね、ここで書いてもらってるんです。その絵、私にの息子が小学生の頃に描いた絵なんですよ。それと、歌詞が書いてあるんですけど、分かります?」


「あしたはまべに~。あ、これ、浜辺の歌だわ。この宿の名前ですね。」


「息子、この歌が好きでね。」


「でも歌でなくて、唄なんですね。」


「その方が、おとぎ話ぽくていいでしょ。」


「あ、わかった、お部屋の名前は、この歌詞に出てくる言葉だったんですね。」


「そうなんですよ。この辺りは神話というか、おとぎ話的なお話があって、主人の父が息子によく話し聞かせてたもんですから。この浜辺の歌も、浜辺で歌い聞かせてましたね。病気の主人公が、浜辺のことを思い出す歌で、実はちょっと寂しい歌詞なんですけどね。」


「そうなんだ。いいお話ですね。えっと、あの、すみません、女将さんでいいですか。なんてお呼びすれば。」


「そうですね。旅館でもないんで恥ずかしいんですけど、皆さんには女将と呼んでいただいています。中には美智子さんって呼ぶ方もおられますが。そこのうちの主人がやってる居酒屋の常連さんは、女将さんが多いですかね。」


 確かに、女将さんがぴったりくるかもしれない。作務衣も良く似合ってはいるが、ふんわりとした短めの髪に割烹着姿も絶対似合うと思った。


「里田さん、几帳面でしょ。呼び方を前もって尋ねてこられる方いない事も無いですけど、あんまりいらっしゃらないので。」


「やだ、そうなんですね。恥ずかしいです。なんか、変な事言ったら失礼かなと思って。すみません、じゃ女将さんって呼ばさせていただきます。さっき、女将さんは小川さんって言ってたと思うんですが。」


「ええ、そうですが。」


「実は、この辺りの小川さんという民宿で、父がお世話になった事があって。」


「へえ、そうなんですか。そうなんですか。主人の父の実家だと思いますよ。この建物も、その小川さんの持ち物だったのを譲ってもらったんですよ。驚きました。里田さんとは何か縁があるんですね。これはこれは、楽しくなりそうだわ。」


「よろしくお願いします。」


「こちらこそ。ではちょっと説明しますね。お部屋は2階の『風』です。この部屋の居酒屋側の廊下から階段がありますので、そちらから上がってください。トイレは、各部屋に付いています。今日は、あと2組お泊まりの予定となっております。お子様はいらっしゃらないので静かに過ごせるかもしれませんね。どちらも18時頃の予定ですから、しばらくは貸し切りですね。夕食は、居酒屋の方でお願いしております。2階から階段を降りて右にいくと、居酒屋に繋がる廊下があります。『風』と書いてあるテーブルでお待ちください。18時ですので、それまでは、ご自由にお過ごしください。お風呂も沸いてますし、裏からは、浜辺に直接出る事ができます。サンダル用意してますが、砂地ですので、帰ってきたら足洗い場で洗って入ってきてください。タオルも裏玄関に用意してありますのでご自由にお使いください。使ったタオルはかごに入れてもらえば大丈夫です。」


「丁寧に、ありがとうございます。」


 私は、部屋に荷物を置いて、気になっていたノートを見ることにした。


 それから、海行って、お風呂が良いかな。


 部屋の中はこじんまりとした和室になっていた。


 茶色の柱や、ちょっとした棚、白壁。シンプルでいいわ。落ち着く。


 あの蔵の感じかな。


 イカ釣り漁船で使ってたランプや、ガラスの浮きも加工されて花が生けられていた。


 良いじゃない。


 窓から見える景色は…。


 花の透かし模様のある障子を開けると、


 海だ。


 けっこう近い。まだ、ちょっと肌寒いくらいの浜風。そして潮の薫り。


 これよ、この薫り。遙か昔に魂が飛んでいきそうになる。


 わたしの遺伝子にきっとこの潮の薫りが組み込まれているのよ、きっと。



 これから始まる不思議な体験をすることなど、何の予感も持ち合わせない私の頭の中は、この緩く流れる時間を味わっていた。


 なんか落ち着くわ。一人旅も良いものね。


 そうだ…月舟の謎が残ってる。


 でも、ま、楽しんでみるか…。

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