モヤモヤが晴れそうだ

 202X年2月14日。


 全国67カ所に設けられた野外コンサート会場にはステージが組まれ、両サイドにはタワーのような大音量スピーカーと、中央には巨大なビジョンモニターが設置されていた。



 観客は皆、ポリエステル製の撒水繊維で作られた、レインコートのようなフード付きの青いロングコートを羽織っているが、これはチケットを購入した全員に、マスクと一緒に配布される物で、会場内での着用を観客それぞれにお願いしていた。


 マスクの前面とコートの背面には『NAGーRーSONICBOOM』とプリントされていて、見た目にも格好良く、防寒にもなるので、着用を拒む観客は一人として居なかった。


 世界的なパンデミックにより、他人との距離を取るのが当たり前となった世の中。

 声援などの飛沫による感染対策として、野外会場には4メートル感覚で、観客の立ち位置にあたる地面にピンク色のテープが貼られているが、テープには観客それぞれの番号が書かれている。

 屋外なのに指定席方式となっている訳だが、それでも全員が同じ物を着用しているというだけで、ルールは守りたいという一体感に包まれるのだった。



 ――そしてライブコンサートは日没と共に始まる。



 ◇ ◇



 ここで説明をしておこう。

 ナグRソニックブーム(NAGーRーSONICBOOM)には、特定のボーカルは居ない。


 ……もう少しだけ説明をしよう。

 このバンドは、南雲が毎月、誰かの為に作る曲のレコーディングでのみ活動をするという条件で結成されたバンドだ。ライブ活動も一切していない。



 これまで南雲は、高井戸美由紀の曲を含め、一年と五ヶ月の間に十七曲作ってきた。

 南雲本人が歌った『呼ばれた気がして振り向いてみたけど誰も居なかった』を入れれば、南雲が作った曲は全部で十八曲となる。



 ◇ ◇ ◇



 ――飛ばしてはならない話があるので少し戻す。



 去年の暮れ頃に駒沢からネットライブコンサートの話を聞いた月島は、その場で南雲の説得を引き受けた。


 第七スタジオから全国にネット中継する。これ即ち、大観衆の前に出なくても良いという事だ――

 ――月島から連絡を受けた南雲はすぐに「僕でも世の中に貢献できるのなら」と、

承諾した。



 そして、コンサートの準備がいよいよ大詰めを迎えた二月初旬。


「月島さん、二月は誰にするか決まりましたか?」


 ビデオ通話をしている南雲のノートパソコンには月島の姿が映っている。


「……いや、今月はコンサートがあるんだから作らなくてもいいぞ」


「いいえ月島さん。コンサートに向けてテンション上がっていますから、凄くいい曲が作れると思うんですよ」


「いや……今までの曲も甲乙付けられない程良い曲ばかりじゃないか。それに……」


 今月くらい休んだらどうだ、と続けても、聞いてくれそうに無い表情だな。そう思った月島は言葉を換える。


「ああ、南雲君……少しだけ時間をくれないか?」


「分かりました。では少しだけ待ちます」


 ビデオ通話を切る様子の無い南雲。やる気満々なのが伺える。


 参ったな……と、額に手を当てる月島に、フッと、ある考えが浮かんだ。


「……君は、阿佐ヶ谷ゆうみを知っているか?」


「僕の大学の後輩ですね。間違って声を掛けられた事があるので知っています」


 芸能人には本当に疎いんだなと思った月島。


「じゃあ、彼女の歌も聴いた事は無いか……」


 高校時代から、登校している時間以外は、ひたすらゲーム作りと勉学に勤しんでいた南雲。アイドルにうつつを抜かす事さえ無かった。


 南雲は月島のその言葉に、罪悪感さえ覚えるのだった。


「ごめんなさい、恐らく聞いた事は無いと思います。すぐにネットで調べて聞いてみます」


「待ってくれ南雲君。彼女の歌は今、ネット配信されていない。動画が有ったとしても、それは本人以外の人が歌っているものばかりだろう」


「……そうなんですか。ではネットオークションでCDを探してみます」


「いや、まともな値段では出品されていないよ。兎に角、今から阿佐ヶ谷ゆうみの音源データを送るので、それを聞いてくれないか?」


「……まさか……」


「ああ……阿佐ヶ谷ゆうみは俺が手掛けていたアイドルだ」


 南雲は、初めて月島と会話をした時に登場した少女は、阿佐ヶ谷ゆうみの事だったのだと理解した。



 間もなく月島からデータが送られてきた。


 ヘッドホンを付けた南雲の表情に、明らかな変化が現れる。


「……凄いです月島さん。この歌詞、何だかもの凄くグッと来ます……」


「ああ……君が最初に作ったYFDの歌詞と、痛切な部分が共通していると思わないか?」


 月島は、何処かで南雲と阿佐ヶ谷ゆうみが繋がっているのではないかと思っていたのだ。


「何となくですが、確かに歌詞の構成が似ている感じはしますね」


 面接をして雇った訳では無く、パートナーという形で南雲と接している月島は、敢えて南雲の経歴には触れてこなかったし調べようとも思わなかった。

 月島は南雲と出会ってから、モヤモヤする気持ちをずっと抑えてきたのだ。


「そう言えば南雲君は、何処の高校出身だったかな?」


分倍河原ぶばいがわら高校です。菅原と加賀谷も同じ高校ですよ」


「ほお、凄いな。有名な進学校じゃないか」


「そう言えば、月島さんに話すのは初めてでしたよね」


「あ、ああ……そうだな。ところで南雲君、トイレに行きたいのでちょっと席を外すよ」


「どうぞごゆっくり」



 部屋を出た月島は、スーツのポケットからスマートフォンを取り出すと、弁護士事務所へ掛けた。


 そして……阿佐ヶ谷ゆうみの転校前の高校を聞いた月島。


「やはり同じだったか……どうやらモヤモヤが晴れそうだ」

 小さく呟くと部屋へと戻った。


「南雲君、待たせたね」

「お帰りなさい月島さん」


「さっきの話だが……今月は、阿佐ヶ谷ゆうみの曲を作って欲しい」

「彼女は引退しているのでは?」


 月島は小さく深呼吸をすると、

「一日だけでも復帰させたいんだ」


 そう言って微笑んだ。



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