宛て知らぬ殺意

半社会人

宛て知らぬ殺意

人間、幼い時には不思議な力が宿るものだという。

大人には見えぬ妖精と会話をしたり。

あるいは、前世の記憶を持ち合わせていたり。


スコットランドの劇作家J・M・バリーが物した『ピーターパン』はそんな

子ども時代を憧憬する大人の寓話だった。


私は別に子ども時代に返りたいとも、不思議な力を持つ子ども達が羨ましいとも思わないが、この頃自身の幼少時に対して妬ましさを覚えるようになった。


『2020年の夏。ボクは<アイツ>を殺そうと思う』


予告された殺人。


その、宛て知らぬ殺意。


「お前はいったい誰を殺そうとしていたんだ……」


幼い時の自分に対し、私は小さくため息をついた。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


幼い時分、私は人の【未来】が視えた。


華やかな人生を送っている芸能人の顔を見れば、

その孤独な晩年が目に映る。


正義感に溢れる同級生の顔を見れば、

窃盗犯になり果てた20年後を視た。


優しい祖母の顔を見て、病気で終わった苦渋に満ちた最期を視たことは

トラウマになった。


その人物の顔を見れば、私はその人のあらゆる【未来】が見えた。

いつ頃その能力が宿ったのか定かではない。

母親の胎内から生まれ出でた時、泣いていたのはその【未来】を視通す力のせいだったのか?

あるいは、常人より泣く子だった私には、悲しい人々の【未来】が既に視えていたのか。


とにかく、物心ついた頃には獲得していた力なのは確かである。


他人の顔を目にする度に怯え、その行く末に恐怖した。

もちろん、誰もかれもが悲惨な最期を遂げるわけではない。

今は貧しい身の上でも、末には名士にまで上り詰めた人間もいたことだろう。


だが、えてして人間は良い印象より悪い印象の方が心に残りやすい。

今思い返してみても、浮かんでくるのは悲しい最期ばかり。

そのイメージが人と顔を突き合わす度に浮かんでくるのだからたまらない。


少しばかり年を重ねて、力をコントロールする術を身に着けた時、どんなにホッとしたことか。

これでもう、他人の人生に思いを馳せる必要はなくなる。

道端ですれ違う幸福な家族の、その息を引き取る瞬間など見なくて済むのだ。


……だが、習慣というものは恐ろしい。


どんなに見ないでおこうとしても、無意識の内に力は発動してしまい。

最期とまでいかなくとも、その人の【先】を視通してしまう。

数年後に事業に失敗する様や、あるいは犯罪に手を染める様。

そこまで先でなくとも、この瞬間は友好的に挨拶を交わしているのに、

舌を出して私をののしっている様など。

親しい人の中にもそんな悲しい裏切りを視た。


そんな環境で育ったせいだろう。

長じた自分は、人を信じるという心を失ってしまっていた。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


2020年、夏。


陽光がきらめき、地面にうだるような暑さを差し出している。

木々は風になびき、ざわざわと音を奏でる。

無骨な顔でその風を無視しているビルの群れ。


少しばかり傷が目に付く道路を過ぎ、ビルの内の一つのエントランスに入る。

オフィスの自動ドアをくぐった。

挨拶が方々から飛んでくるのに、私はおざなりに返す。


社長らしく秘書に怒鳴り、必要な指示だけ与えると、私室のドアを後ろ手に閉めた。

スマートなデザインの茶革のカバンをデスクの上に置き、筆記具、書類、

必要な物を取り出す。


アップデートを喧しく催促するデスクトップを立ち上げ、背をアンティークに

預けた。


およそ意味があるとは思えない文字列が目を通り過ぎていく。

適当にメールを出し、一息つく。

何気なく部屋を見廻した。


上等なカーペットに、機能的なローデスク。

それを挟んで相対する形に配置したソファ。

壁には西洋の抽象画が並ぶ。


特にこだわりがあるわけではないが、

中々、様にはなっている。

私はよくやってきた方ではないか。


幼い時の能力のせいで、人間不信に陥った私。

友人はもちろん、親兄弟でさえ信用ができない。

親しく語らっていても、10分先、30分先の世界では私に

隠れて牙を向いている。


そんな環境で過ごしてきた。

だが、だからこそ、生き馬の目を抜くビジネスの世界で成功できたとも

言える。


小さいながら、年商はそこいらの大企業を凌ぐ会社。

人間が信用ならないということを学んできたおかげだ。


だからこそ、能力には感謝さえしていたというのに。


私は「はあ」とため息をつき、それからカバンをもう一度取り上げると、

中から薄い手紙を取り出した。


稚拙な、それでいて細心の注意をもって綴られた文面。


『30年後のボクへ。

 君がまだ幼い頃に授かった能力を備えているのなら。

 あるいは、もし失っていたのだとしても、その能力の存在を覚えているのなら。

 今のボクの心境は痛いほど分かると思う。

 

 人間は汚い。

 そして人生は不条理だ。

 誰も信頼できない世界の中で、皆が必死で蓋をしているのに、

 ボクだけはその汚さを剝き出しで見ている。


 ボクはそんな人間が憎い。

 そんな醜い人間の存在が許せない。

 他人を平気であざ笑い、人の気持ちが分からない人間が。


 だから決めた。

 2020年の夏。ボクは<アイツ>を殺そうと思う』


 それだけだった。

 幼い時、【未来】を視通す力を持ったが故に人間不信に陥り、

 誰も信用できなくなった自分。


 汚い心を持った存在が許せなくなった自分は、殺意を抱いた。


 だが、誰に?

 

 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 手紙を見つけたのはほんの偶然だった。

 最近とある事情から家にいる時間が増えたので、少しは体を動かそうと

 普段は放っておいた荷物の整理をしてみたところ。


 大分ボロボロになったそれを見つけたのだ。

 

 最初、醜さに触れた人間は本能的な拒否感を覚える。

 こんな汚い人間を許していいのかと、義憤を覚える。

 だがやがて慣れてくると人間はしょせんそんなものだと思いはじめ、

 自分もそうたいして変わらない存在であることに気が付く。


 30年後、とこちらに呼びかけていることから、小学生の時代に書いたものだと思われる。

 確かにその当時は、自分は無垢であり、目から流れ込んでくる残酷な真実が許せなかったものだ。

 つまりは酸いも甘いも嚙み分けられない、歯の発達していないお子様の時代の産物だ。


 だが、手紙から滲み出ているのは紛れもない「殺意」である。

 これが他の小学生ならまだしも、特殊な力を持ち、人間を視つめていた自分のことなのだ、

 慎重を期さねばなるまい。

 幸い、おおよその犯行時刻は判明している。


 2020年、夏。


 ……これだけだと大雑把にすぎるか。

 もう少し深く考えてみよう。


 まず、今の会社の社員や、取引先ということは考えられない。

 なぜなら当時の私の周りにいた人間ではないからだ。

 その人間の【未来】を視て本性を知るには、私の周囲にその人物がいなければならない。

 とすれば、両親や兄弟、同級生などが考えられる。

 だが、両親は既に他界しているし、弟に対して特段の憎しみはない。

 いや、それは今の私がそう思うだけであって、弟に対して当時憤ったことがあったのかもしれない。

 あるいは、30年経ったこの時になって、なにか弟が許しがたいことをしでかすのかもしれない。

 可能性は無限にある。


 いや、そもそも、当時の私は、30年後の人間をどうやって殺すつもりだったのだろう。


 今の私にはもはや能力はない。

 子どもに不思議な能力が宿るとはそのことだ。 

 つまり、これから先、誰かの顔を見ても、その近い【未来】も遠い【未来】も見ることは出来ない。

 これから人の本性とやらを知って殺意を抱くことはまずない。


 とすると、その小学生の時に抱いた殺意がずっと持続すると思っていたのだろうか。

 だが、今の私は、瞬間的なものはまだしも、恒常的に誰かに殺意を抱いていたりなどはしない。

 あるいは、小学生の私もそれを分かって、一種の決意表明として、手紙をしたためたのか。

 だとすると、もはや私に殺意はないのだから、心配する必要もない。


 だが、もし、例えば、爆弾のようなものを仕掛けていたのだとしたら。

 30年後の、2020年の夏に爆破するように仕掛けていたのだとしたら。

 当時の私にそんな技術があったとは思えないが、

 しかし、万が一ということもある。


 ……ダメだ、頭が痛くなってきた。

 そもそもどうして私は誰かを憎んだことも、手紙を書いたことも覚えていないのか。

 

 「くそっ!!」

 

 ガンっとデスクを拳で打つが、痛いのは自分だ。

 

 「社長、今よろしいでしょうか?予定していたミーティングの件ですが……」

 ドアをノックして秘書が入ってくる。


 「今私がよろしいように見えるのか?!」

 私がいらいらしながら言うと、秘書は慌てて言葉にならない言葉をもらしながら部屋を出ていった。  


 「使えん部下だ」

 そう吐き捨てると、再び頭を抱える。

 

 ここまでの成功を収めたというのに、

 小学生の時のつまらん自尊心なんかのために、死んでたまるか。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 「まさか、誰に……」


 急遽連絡を受けて駆け付けたに、

 若い警官は神妙な顔をして首を振った。


 「わかりません。ですが、かなりの年代物のようでして、

  どうして彼がつけていたのか」


 そういって、警官は死体を見やる。


 マスクをつけて仰向けに倒れた兄の体だった。


 「なんでマスクに毒なんか……」

 「それも不明です。

  どうも特注品とかで、大事にためこんでたようでして」


  それから続けて


 「近所の住人の話だと、政府の要請にも関わらず、

  自分以外の誰にも使わせようとしなかったとか」


  急激に拡大した感染症に、対処をしきれない世界。

  その対応いかんで、普段の姿とは違う、

  人間の本性とでも言うものが見えてくる昨今。


  そんな時世の中の死だった。


  

  --------完----------


 

  


 



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