一見普通の異変と、一見奇妙な異変は坂を駆け下りる。熱中症すら恐れずに。





 場所は変わり、住宅街の近くの公園。


 緑の並ぶその公園の日陰、女性は芝生の上で横になっていた。


 体育座りしているタビアゲハの持つ、うちわに仰がれて。


 女性は首をかたむけ、ペットボトルを片手に走ってきた坂春を見上げた。

「すみません……迷惑、かけてしまいました」

「まったく……熱中症は重症化すると命に関わる。軽症で済んで運がよかったぞ」


 坂春が「飲めるか?」とペットボトルを差し出すと、女性はそのペットボトルを受け取った。


 キャップを開け、中身のスポーツドリンクを喉に流し込む。


 一度口からペットボトルを離し、一息つくと、また口の中に流し込む。


 それを何度か繰り返すと、ふたを閉め、ペットボトルを坂春に返した。


 まぶたを閉じて息を整える女性の姿を見て、


 タビアゲハは安心したように口元をゆるめつつ、うちわを動かし続けた。




「そういえば……スイカはありますか?」

「スイカか? ああ、持ってきているぞ」

 坂春は草原に置いていたスイカを、女性の目の前に見せた。

「すみません、それ、あたしの実家に代々伝わる……っていいたいものです」

 女性はスイカを手にすると、自分の頭の近くまで持ってきた。

「実家に代々? するとこのスイカは短くても数十年は立っているのか……もはやスイカではないな」

「ええ、本当に実家で大切に仕舞われているわけじゃないですけど、何年も存在し続けているのは本当です。スイカのような見た目をした、なにかと言うべきでしょうか」


 女性は坂春の足元に置いてあるスポーツドリンクに手を伸ばし、もう一度喉に流し込んだ。


「私のおばあちゃんは警官で、このスイカは変異体の巣と呼ばれる場所から持ち帰ったものらしいんです。それ以来、ある有名な研究者がこのスイカの強度を調べたのですが、不思議なことにまったく潰れる気配はありませんでした。時がたつにつれて、研究者たちはあまりスイカに対する興味を失い、小さな研究所が研究を引き継ぐことになりました」


「その小さな研究所の研究者が、おまえだというのか?」


「ええ、ひとりだけですけど。でも、私のおばあちゃんが拾ったっていうスイカなら、非常に興味がありました。今日もある実験を行おうとして運んでいたのですが……」


「途中で落としてしまった、ということだな」


 女性は「その通りです」と顔を赤くした。





 しばらくした後、女性はその場で立ち上がり、スイカを抱えた。


「それでは、私はいったん家に帰りますね」


 長い間うちわを動かし続けても疲れを一切も見せなかったタビアゲハは、回復したと思われる女性を見て少し心配そうに口を開けた。

 坂春は顔色を変えずに「そうか」とうなずく。

「研究に没頭するのは大変有意義なことだが、自分の体調管理だけはしっかりしろよ」

「はい、今回のようなことはもうこりごりですからね。以後気をつけます」


 女性は歩き始め、ふたりから離れていく……


 その直前で立ち止まり、女性は坂春とタビアゲハの方向に振り向いた。


「なんとなくですけど……熱中症で倒れちゃったっていうのに、なぜかワクワクするんですよね……」


 しみじみと口にしたが、坂春とタビアゲハが戸惑ったように口を開けている様子を見て女性は慌てて首を振った。


「すみません、先に礼が入りましたよね……助けていただいて、ありがとうございました」


 おじぎをして、今度こそ女性は立ち去って行った。




 女性が立ち去った後、今まで黙っていたタビアゲハが坂春に話しかけた。


「ネエ坂春サン、熱中症ッテ、ワクワクスルモノナノ?」


「いや、違う意味だと思うぞ……」











 それから、1週間が過ぎた。


 街から離れた山の斜面を、ふたりのバックパッカーが登っていた。


 バックパッカーにしては、公園からの移動距離が短いように見える。




「さっきの街ではつい長いこと滞在してしまったな」

 坂春はふと立ち止まり、街の方向である後ろを振り返った。

「住宅地ノ中ジャ気ヅカナカッタケド……大キナ街ダッタンダネ」

「ああ、暑い中、同じ景色ばかり見せてしまってすまなかったな」

 頭をかく坂春に対して、タビアゲハは気にしていないようすで首をふる。

「ウウン、イロンナ建物ガアッテ楽シメタ。ソレニ、私ハ暑サトカヨクワカラナイカラ」

「そうか、暑さに気をつけるべきは俺だったか」


 ふたりは笑い合いながら、坂を登っていた。




 しかし、坂を下るものを見て、ふたりの顔から笑顔が消えた。




 坂を下っていたのは、スイカだったからだ。




「ッ!!!」


 避ける準備が出来なかったのか、タビアゲハはその場でスイカを受け止めた。


「フウ、止メラレタ」

「……よく転がってきたものを受け止められたな」

 スイカを余裕そうに持ち上げて、タビアゲハは坂春に対して唇を上げた口を見せた。


「デモ、コノスイカッテ……」


 タビアゲハがどこか既視感を感じるようにスイカを眺めていた時だった。


「アアッ!! スミマセーン、ソレ、アタシノデス!!」


 タビアゲハとは別の、奇妙な声が森の中に響き渡った。




 やって来たのは、白衣を着た人型の何かだった。


 体は坂春よりも一回り大きく、腕は木の枝のように細い。


 しかしその肩には、ラクダのようなコブが存在していた。


 ついでに言えば、顔には髪の毛や目、鼻、口が存在せず、


 頭もコブそのものだった。


「ア、ツイウッカリ……ッテ、ナンダ、アナタタチデシタカ」

 変異体と思われるその存在は口を手でふさぎ、ふたりの姿を見てすぐに手を下ろした。

「もしかして、あの時のスイカを追っかけていた研究者か?」

 指さして確認する坂春に、変異体はゆっくりとうなずいた。

「エエ、アノ後休憩ヲ取リナガラ実験ヲ行ウヨウニシテイタラ、前マデヨリモテンションガ上ガッチャッテ……気ヅイタラ、コンナ姿ニナッテタンデスヨ。慌テテスイカヲ持チ出シテ逃ゲテキタンデスケド、前ヨリモ休ミナク研究ガデキルヨウニナッタンデス」

 元気よくその場で回る変異体に対して、タビアゲハは戸惑いながらもスイカを差し出した。

「ア、ドウモアリガトウゴザイマス」

「それにしても、気安く人に話しかけてだいじょうぶか? 俺は変異体に対して耐性を持っているからだいじょうぶだが……」

「エエ、ウッカリ話シカケチャッテ……デモ、アナタタチナラ大丈夫デス。ダッテ……」


 変異体はタビアゲハに顔を向けたかと思うと、ゆっくりと近づき、


 タビアゲハの顔を隠すフードの中身をのぞいた。


「私モ人間ダッタコロカラ、変異体ハ平気デシタカラ」


「……モシカシテ、最初カラ気ヅイテイタ?」


 恐る恐る口を開けるタビアゲハに対して、変異体は「横ニナッタトキニネ」と顔をフードから遠ざけた。


「ソレデハ、私ハコレデ」


 ふたりが言葉をかけるヒマもなく、変異体はスイカを抱えたまま帰って行った。






「……アノ人、1週間デ変異体ニナッチャッタノ?」


「まあ、たった一晩で変異したという話も聞くからな……変異体についてはよくわかっていないことが多い。あのスイカのようにな」

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