黒歴史は、生涯永遠につきまとう。後悔すればより濃くつきまとう。




 ゆるやかな坂を時間をかけて下り、ふたりは目的の場所までやってきた。


 周りを見渡しても建物はなく、草原が広がっているだけ。


 その中に、草の生えていない部分があった。


 今は、なにもない。




「昨日まではここに模様があったんだがな」

 坂春が草の生えていない部分を眺めながらつぶやいていると、その横でタビアゲハがしゃがみこみ、じっと地面を見つめた。

「……足跡ガアル」


 タビアゲハが指を指した場所には、うっすらと足跡が残っていた。


 人の裸足が、うっすらながらも五本指も含めて足跡として残っていた。


「泥とかじゃないからあまりはっきりしていないが……裸足でこんなところに来ているとは思えないな」

 坂春が確認する中で、タビアゲハは指先を足跡の先に移した。

「コノ足跡……草ムラニイクマエデ途切レテイル」

「草むらまで距離があるから……ここから飛んだのか、地面に潜ったとしかわからんが……」


 その時、一瞬だけ地面が動いた。


 その場所は、ちょうど最後の足跡の指先の近くにある。


 タビアゲハは坂春と顔を合わせると、鋭い爪でその場所を掘り起こし始めた。




 現れたのは、巨大なまぶた。


 まぶたが開かれた直後、中の瞳が見開き、半分だけ閉じた。


「マブシッ!!」


 突然大声を出した目玉に対し、タビアゲハは「キャッ!」と声に驚いたように肩を上げた。


「アア、ビックリシタ……土ノ下デ寝テイタラ、イキナリ掘リ起コサレタカラ」

 地中に埋まっていると思われる目玉は、タビアゲハよりも低めの奇妙な声で眠たいという表現をしていた。

「ゴ、ゴメンナサイ……」

 タビアゲハが自分の頬をなでながら謝罪すると、ため息なのか、地面の小さな砂が少しだけ飛んだ。

「マア、ドウデモイインダケドサ……」

「起こしてしまたのは悪かった。ところで、ちょっと知りたいことがあるんだが……」

「ココニアッタ地上絵ノコト?」


 言葉を先読みするように、昨日までは模様があった場所に目線を動かす目玉に、坂春とタビアゲハはゆっくりとうなずく。




「アレ、俺ガ消シタンダヨ」

「へっ?」「エッ?」




 坂春とタビアゲハが口を開けたまま固まっていると、目玉は「悪イカ?」と不満そうに声を出す。


「ドウシテ消シチャッタノ? トテモ素敵ステキナ絵ダッタノニ」

「それに、ここにあった模様は訪れた観光客にとって目玉になるんじゃないか? 近くの民宿だって、この模様を見るために訪れる人がいると聞いたが」


 ふたりの質問に、今度はハナで笑った。


「素敵? 目玉? 冗談じゃないよ。あれは俺が人間だったころ、酔った勢いで書いた落書きだよ」


「エエェ……」「ええぇ……」


「シバラクハ忘レテイタンダガ、俺ガコノ姿ニナッテ何十年カグライニフト思イ出シテナ、恥ズカシクナッテ消シニキタンダ」


「酔ッタ勢イッテ……オ酒デ酔ッパラッテコト?」


「復唱スンナ恥ズカシイ。トニカク、モウ寝カシテクレ。昨日ハ落書キヲ消シテ疲レテイルンダ」




 目玉はまぶたを閉じて、何も言わなくなった。


 タビアゲハは戸惑いながらも、掘り起こした土をまぶたの上にかぶせ、埋めてしまった。




「……聞かないほうがよかったのかもしれんな」

「ドウカナ……私ハ気二入ッテイルケド、コノ話」


 しばらくして、ふたりのバックパッカーは谷から立ち去った。











 その夜、暗闇の中で大きな物音が聞こえてきた。


 小屋の中で、民宿を営む男性は布団を蹴飛ばし、窓に駆け寄った。




 昨日までは模様があった場所をよく見てみると、小さな穴が空いていた。遠くから見て小さい穴だが。


「……昨日のことといい、なにか起きているのか?」


 男性は戸惑いながらも、布団の横に置いていたスマホに手を伸ばした。


「……!!」


 スマホに触れる直前、どこからかノックの音が聞こえてきた。


 ここに住んでいる男性にとって、どこからノックが鳴っているのかはすぐにわかることだ。




 玄関の扉の前に来ると、ノブに手をかける間もなく扉が開いた。


「コンチワ」

「!!?」


 男性は尻餅をつき、逃れようと後ろに下がろうとした。


 しかし、足は思うように床を蹴ることはできず、尻で下がろうにもまったく後ろに進んでいない。


 玄関の前には、化け物の目玉が男性を見つめていた。

 体は芋虫のようで、黒板消しの形をした6本足の緑色の化け物だ。


「ど……どういった……ご用件でしょう……か……」


 シワだらけのその顔は恐怖でおびえているというのに、男性の口から出たのは業務の言葉だった。恐怖で頭が混乱しているのだろうか。


「アア。スマナイケド、チョット電話シテホシイ」


「ど……どこに……でしょうか?」


「近クノ変異体隔離所ダ。コッチ二迎エニ来ルヨウニシテホシイ」


 男性のシワが増えた。化け物の言葉の意味を理解できないことで、何をされるかがわからない恐怖が加えられたのだろう。


「ナニシテル、早ク呼バナイカ」


 化け物のひと声で、男性は逃げるように部屋の奥へと消えていった。


「……ソンナニ怖ガラナクテモイイノダガ。マア、変異体ヲ見ルト普通ノ人間ハ恐怖ノ感情ヲ起コシテシマウカラナ。ダカラ変異体隔離所ニ押シ込マレルノダガ。アノ爺サンハ怖ガラナカッタカラ忘レテイタナ」


 化け物は玄関から夜空に目線を移し、独り言をつぶやく。


「コレデモウ思イ残スコトハナイ。黒歴史ヲ残したママ、アノ隔離所デ生涯ヲ終エルナンテゴメンダカラナ。ワザワザ脱走シテマデ消シニキタ甲斐ガアッタヨ」

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