化け物バックパッカー、本の世界に引き込まれる。

本は、きっかけがあって読み始める。物語も、きっかけがあって始まる。

 



 カタカタカタ


 カタカタカタ


 ホテルの一室で、キーボードをたたく音が響く。


 カタカタカタ


 カタカタカタ


 室内を映す鏡の側で、老人がテーブルに置いたノートパソコンのキーボードをリズミカルにたたいている。


 腕時計はデジタル数字で20時を指している。


 カタカタカタ


 カタカタカタ


 その老人は派手なサイケデリック柄のシャツに黄色のデニムジャケット、青色のデニムズボン、頭にはショッキングピンクのヘアバンドを付けている。


 カタカタカタ


 カタカタカタ


 足元には、黒いバックパックが置かれている。


 カタカタカタ


 カタカタカタ


 ターンッッ!!


「……よし、今日の分のコラムはこれでいいな」


 どや顔でモニターを見つめるこの老人、顔が怖い。




「さて、寝るのにはまだ時間があるから、ちょっとメールでも確認するか」

 独り言を言いながら、老人はマウスを動かす。

「……ん? 珍しいな、あいつがメールをしてくるなんて」

 左クリックをして、そこに書かれていた文章を追う。


「……“化け物宅配サービス”?」






 翌日、ホテルの近くにある広場のベンチに座る影があった。


 女性の体に黒いローブを着て、顔をフードで隠しているその少女は、


 立ち並ぶビル、ゆっくりと進む雲、行き交う人々……


 街の景色を観察するように、顔を動かしていた。


 そこへ、小さなゴミが風に吹かれてやって来た。


 小さなゴミは、ローブのフードの中へと入っていった。


 直後、顔を見上げていた少女が急に下をうつむいた。


 目にゴミが入ったのだろうか。


 少女はしばらくの間、手を顔に当ててうつむいたままだったが、


 やがて立ち上がり、近くにあった水道へと走り出した。




 蛇口を上に向け、ハンドルを回して水を出す。


 水が噴き出したことを確認して、少女はフードを少しだけ広げて蛇口を包む。


 フードの中で、水はに触れた。


 その青い触覚が生えているのは、本来なら眼球が収まっているべき場所からだ。瞬きによってまぶたが閉じられると引っ込み、開くと出てくる。

 肌は影のように黒く、ローブからはみ出ている手の先の爪は鋭くとがっている。

 この世界では“変異体”と呼ばれている、化け物だ。






「フウ……」


 触覚に付いたゴミを取り除いた変異体の少女が顔を上げると、誰かがこちらにやって来るのが見えた。


「“タビアゲハ”、どうしたんだ?」


 黒いバックパックを背負った怖い顔の老人だ。

 タビアゲハと呼ばれた少女は怖がることもなく、安心した表情で老人に近づいていくことから、少なくとも知り合いであるようだ。


「チョット目ニゴミガ入ッチャッテ」


 その声はかすれており、他人が聞くと寒気がしそうだが、老人の方も気にせずにうなずいた。


「“坂春サカハル”サン、今日ハ電車ニ乗ッテ次ノ街ニ行クンダヨネ?」

「ああ……それなんだけどな」

 “坂春”と呼ばれた老人は近くの建物に鋭い目を向けた。

「移動は明日にして、今日は図書館で本を読まないか?」

「トショカン?」

「さまざまな本が置かれている施設だ。テーブルに座って本を読むことができる上に、借りることで持ち出すこともできる」

 タビアゲハも近くにある建物……図書館に触覚を向けて興味があるようにほほ笑んだが、すぐに不安に感じるように口を小さく開けた。

「デモ、借リタライツカハ返サナイトイケナイト思ウケド……」

「ああ、直接返さなくても街に設置されたポストから返却することはできるが……さすがにこの街の外には設置されていないからな」

 坂春はバックパックのポケットからスマホを取り出し、「しかし」と一言だけ付け加え、タビアゲハにメールの画面を見せた。


「化ケ物……宅配サービス?」


 タビアゲハが首をかしげると、坂春はスマホを仕舞いながら説明をする。

「本来、変異体は普通の人間に見られてはいけない。警察が飛んできて捕獲か駆除されてしまうからな。だから、隠れて暮らす変異体を対象とした、配達業というわけだ」

「ハイタツギョウッテ、荷物ヲ届ケタリスルンダヨネ? ツマリ、変異体同士デ荷物ノヤリ取リガデキルノ?」

「変異体同士で限った話ではないが、そういうことだな」

 一息ついて、坂春は知り合いの顔を思い浮かべるように空を見上げた。

「変異体に商品を売っているアイツから、宣伝用のメールが来たんだ。少し興味がわいたから、この宅配サービスを利用して実験してみようと思ってな」

 理解できたことを伝えるために、タビアゲハはうなずいた。

「遠ク離レタトコロカラデモ、返却デキルカドウカヲ試スッテコトナンダネ。デモ、アノ人マタ新シイビジネス、始メタンダ」

「いや、知り合いに頼まれて宣伝したらしいぞ」

「ア、ソウイウコトナノ」


「さて……」と言いながら坂春は図書館に足を向けた。


「早くいくぞ。図書館は本当に広いから、本を選ぶのに時間がかかるものだ」


「ア、マッテ……」


 先行する坂春に遅れまいと、タビアゲハは駆けだした。






「ココガ……図書館……」

 図書館の中に入り、エスカレーターを上がったタビアゲハは、館内を見渡しながらつぶやいた。


 見渡す限り、たくさんの本棚。


 そして、テーブルに着いて本を読む人たち。


「デモ、以外トオシャベリシテイル人モイルネ」

「別にしゃべってはいけないという決まりではないからな。ただ、うるさくするのはマナー違反なだけだ」

「ソウナンダ……鉛筆ヲ持ッテ、ノートニ書キ込ンデイル人モイルケド、オ勉強モイイノ?」

「ああ、静かな図書館は勉強にも最適だからな」

「ヘエ……デモ、チョットノ話シ声デモ気ニナル人ハドウスルンダロウ……」

「そこはちゃんと考えられているぞ」

 そう言いながら、坂春は近くのガラスに囲まれたスペースを指さした。


 そのガラス部屋の中にある席に座っている人たちは、全員口を動かさずに読書をしていた。


「あそこは静寂読書室と呼ばれていてな、まったくしゃべらずに黙々と読書する人のための部屋なんだ」

「確カニ、ソウイウ部屋ナラ静カニ読ミタイ人ダケ集マルヨネ」

「逆に、グループで会話をしながら読書をしたい人たち向けの部屋とかもあるぞ」




 ふたりは空いている席にひとまず座り、一息ついた。


「ソレジャア、借リル本ヲ探シテクルネ」

「ああ、数ページ読んでみて、面白そうと思ったものを借りるとするか」


 同時に席を立ち、本を探しにそれぞれ別方向に歩き始めた。




 先に戻ってきたのは、タビアゲハだった。


 その手には、新聞紙で表紙を包まれた分厚い本だ。


 題名など、どこにも書かれていなかった。


「坂春サンハマダ選ンデイルノカナ……先ニコレ、読ンデミヨット」

 小さな声で独り言をつぶやきながら着席し、本を開く。


「……全部、真ッ白」


 その本は、全ページ白紙だった。


「間違エテ勉強用ノノート、持ッテキチャッタカナ……早ク返シニイカナイト」


 タビアゲハは本を閉じ、触覚をまぶたの裏に引っ込めて背伸びをしたのち、席から立った……





「……!?」


 そして、辺りを見渡して絶句した。




 先ほどまでいた人間が、みんな消えていた。


 読書をした人たちも、


 受付で本の貸し借りをする人たちも、


 本棚に置かれていた本たちも、


 坂春の姿も、


 テーブルに置いたはずの、新聞紙に包まれた本も。





 そして、本のなくなった本棚の隙間から、




 何者かの視線を感じた。

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