★化け物バックパッカー、下水道に迷い込む。

下水道で暮らす化け物が地上を出た。彼が見たのは、夢すら躊躇う惨状だった

 とあるホテルの一室。


 立ち並ぶビルの光。サイレンが響き渡る。


 老人はコーヒーの入ったペットボトルを手に、窓を見つめていた。

「彼女は、旅をしたいって言ってたが……何をしたいんだ?」

 ホテルが用意した寝間着を着ている老人は、ペットボトルのキャップを開けた。その顔は、やっぱり怖い。

 机の上には、老人の荷物と思わしき黒く大きなバックパックが置かれている。この老人は、俗に言うバックパッカーである。

「……窓に尋ねる俺も何がしたいんだろうな」

 老人は鼻で笑い、コーヒーを喉に流した。






 その下……ホテルの裏で、うずくまる影があった。黒いローブに包まれた影は、何かに気づいたように顔を上げた。


「パトカーノ……サイレン……?」


 人間とは思えない声を漏らしながら、少女は恐る恐る体を起こし、歩き始めた。




 その表で、人々は走っていた。


 ある者は死に物狂いに、


 ある者は泣き叫びながら。


 客観的に見ると、怪獣映画のようだった。


 彼らは……化け物から逃げていた。胴体は人間そのものだが、手足が4mもある。髪は異常に長く、髪の間からは白目が見えた。

「抵抗すると撃つぞ!!」

 震える手で化け物に向けて拳銃を突きつけている警察の目には、特殊なゴーグルが付いていた。

 忠告を聞き入れることもなく、化け物は警官に向かってくる。

「……ぅあああああ!!!」


 銃声が響いた。




 額から黒い液体を流して、道路の真ん中で横たわる化け物の死体に、辺りの人々が集まりだした。

「あれが……“変異体”……」

「見れば見るほど……寒気がするわ」

「あれでもマシらしいぜ。生きている変異体を見た時と比べたら……」

「一応、元人間なんだよな?」

「そうには思えないわ」

「もしかしたら、自分自身の体を見て狂っちゃったのかしら?」

「そうか? でもわかっているのは、俺たち人間との共存は難しいことだけだ」

 あれこれ憶測を飛ばす野次馬に対して、立ち入らないように警官たちが押さえた。


「キャッ!!?」


 その声に、周りの人間たちは固まった。

 誰かが押し倒された声。

 特別珍しくもないその声に、人間たちは心臓の音をはっきり聞くような表情をしていた。




 道路には、少女が倒れていた。黒いローブを着ており、押された勢いでフードが取れ、影のように黒い|肌、長い髪と口、が現れた。




 直ちに、先ほどの再現が行われた。


 ある者は死に物狂いに、


 ある者は泣き叫びながら。


 客観的に見ると、怪獣映画のように。


 変異体である少女を直視した警官は恐怖で動けなくなるか、市民と同じように逃げ出した。

 見なかった警官は震える手でゴーグルをかけ、変異体の少女に向かって走り出す。

「……!!」

 変異体の少女は逃げ出そうと起き上がったが、遅かった。

 すぐさま警官に両手を捕まれ……






 ブシュウ……!!






 突然、辺りに煙が充満した。むせる警官たち。

「げほっ、げほっ……なんなんだ……うっぷ……」


 ビチョビチョチョ


 ビチョビチョチョ


 煙の中から、警官の声と何かが流れる音が響き渡った。

 煙がひいたころには、変異体の少女の姿はなかった。

 残ったのは地面に膝をつく警官たちと、異臭を放つ液体だけ……






 その下……下水道で、変異体の少女はせき込んでいた。

「ゲホッ……ゲホッ……ゴホッ……」


 ビチャア


 咳に混じって、口から黒い液体を吐いた。改めて見れば、墨汁を連想させる黒さだ。

「ダ……大丈夫カ!?」

 その隣で、別の変異体が話しかけてきた。


 クラッカーを逆にしたような形で、ブクブクとした肉、黒と白のクラッカーのしましまな色と一つの目と口に、八本の手が特徴的だ。


「ゲホッ……ダ……ダイジョウブ……」

「……ゴメンナ、俺……トテモ臭クテ……」

「ソンナコトナイケド……臭カッタノ、アノ煙……」

 それを聞いて、クラッカーの変異体は落ち込んだように手を下げた。

「アレハ俺ガ出シタンダガ……」

「ゴ……ゴメン……」

「ナゼカ俺以外、アノ煙ヲ吸ウト吐キ気ヲ催スミタイナンダ……コッチコソ……ゴメン」


 変異体の少女は口元を手で抜くって、クラッカーの変異体を見た。


「ウウン……助ケテクレテ……アリガトウ……」




 しばらく沈黙が続く。




「ソレニシテモ、ナゼアンナ所ニイタンダ!? 捕マルトコロダッタゾ!?」

「ウン……サイレンガ聞コエテ……ツイ……」

「第一、ソノ“ローブ”.....ドウシタンダ?」

「アア、コレ?」

 変異体の少女は自分の着ているローブを指差した。

「コレハ……オジイサンニモラッタノ……」

「オジイサン?」

「ウン、オオキナ荷物ヲ背負ッテ旅シテイルノ」

「フーン……マサカト思ウガ、影響ヲ受ケテ旅シタイトカ……」

「影響ジャナイ。私ハ今マデ、世界ノ全テヲ見タカッタ」

「……化ケ物ガ殺サレタノヲ目撃シテモ?」

 うなずく変異体の少女。

「オマエガ、捕マリカケテモ?」

「何ヲ見セラレテモ、私ハ全テ見ルマデ見続ケル」

「……」

 クラッカーの変異体はため息をついた。少女の意思の強さと自分を比べたかのように。

「根性……アルンダナ」

「マダ全テヲ見テナイカラ……ソレダケ……」


 しばらく沈黙が続いた後、クラッカーの変異体はその場に寝転んだ。

「今日ハココデ寝ロヨ」

「ウン……」

 変異体の少女はうなずき、同じように横になった。

「俺モ、外ヘ出テミヨウトシテイタンダ。ダケド……アノ狂ッタ化ケ物ガ殺サレルノヲ見テカラ、ソノ考エハ飛ンデイッタ」

「……」

「化ケ物ハ発見サレ次第捕獲、特別ナ施設ニ監禁サレル。暴レタリシテイルト……ソノ場デ射殺サレル。実際ニ見ルト、ソノ現実ヲ受ケ入レテシマウ」


 クラッカーの変異体は、変異体の少女に目線を向けた。


「オマエハ……決シテ揺ルガナイ夢ヲ持ッテイルンダナ……」






 夜が明けた。

 老人がホテルの前で腕時計をにらんでいたところに、ローブで姿を隠した変異体の少女が合流した。

「お嬢さん、大丈夫だったか!?」

「ウン……寝床ノ場所ガ変ワッテ、遅レタ……」

「そうか……昨日、この辺りで変異体が暴れたり、異臭を放つ事件が起きたそうだ。さっきも俺の所に聞き込みに来ていた。見つからない内に駅に向かうぞ」


 老人は走り出した。変異体の少女もその後を追う。


 その横を、パトカーが横切った。




「……怖いか?」

 パトカーの運転手である警官が、前方を見たまま口を開いた。

「アア……スゴク怖イ」

 声の主は、クラッカーの変異体だった。八本の手は手錠で拘束されており、黒い布で姿を隠している。

「その割には、堂々としていたな」

「俺ニハ夢ガナカッタ。ダカラ、オマエタチニ抵抗スル意味モナカッタ」

「隔離場所に連行されるとわかって?」

「アア……」

「……」


 信号待ちで車は止まり、警官は背伸びをしていた。

「俺……あってみたいんだよね」

「エ?」

「夢を持ってて、それをかなえようとしている変異体」

「……ナゼダ?」

「俺、今までも変異体を輸送していたんだけどさ……あんた以外のタイプだと、ひたすら泣くタイプがいたんだよ。俺が心残りがあるかって聞いて帰ってきた答えは、あるけど達成するには無理な夢だって言うんだ。諦めていたが、いざ捕まると後悔したとか」

「……」

「だから、諦めずに夢をかなえようとしている変異体に会ってみたいわけだ」

「……」

 クラッカーの変異体は何かを思い出すように瞬きした。

「もしかして、会っていたりするか?」

「……ソイツノ居場所ヲ聞キ出スツモリカ?」

「そんなことはしない。これが俺の最後の仕事だからな」

「……」


 クラッカーの変異体は大きなため息をついた。


「アイツハ、スデニ夢ヲカナエテイル。コレカラモカナエ続ケルダロウ」

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