43話「Last Train ~最終局面~」
「……この距離での屈服は不可能、か」
テロリストたちへの交渉は失敗に終わった。
いや、正確には第一波が終わったというべきか。敵はまだこの城に脚をつけてすらいない。始まる前の挨拶のようなものだ。
とはいえ、あの距離からであろうとも、心理支配から免れたのは初めてのケースである。
たいていの人間は心に迷いがある。後ろめたい何かがある。やましい気持ちを隠している。こうして体の中に意識と思念が入り込むだけでもすべての人間はパニックになる。
反抗しようにも、その思考は全て見破られている。見兼ねられている。
対抗する手段すらもすべて通用しない。何もかもを知り尽くしているであろう相手に何が出来ようか。未来予知などとは想像を遥かに凌駕する力だ。
だからこそ、この国の支配を進めることが出来た。
【L】を持つ人間。新人類こそがこの世界の新しい真理。新しい世界のルールまでもを作り替えることが出来てしまったのだ。
しかし、彼らにそれはもう通用しない。
「まあいい。私の心にそのまま近づけ」
祠の中から聞こえる声は恐怖を浮かべてなどいない。
「近づけば近づくほど……お前達はまた、この世の全てと自分自身を嫌悪するのだ……!」
実に笑みの絶えない声であろうか。
人の心を弄ぶ。人の心に土足で足を踏み入れることなど何の罪にも問われない。神の座につく己だからこそ許されると己惚れているのか。
「……貴方は」
「おお、起きたか。愛留守」
床に横たわったまま、アルスは眼を見開くだけ。
その体は拘束されている。手足も関節も、腹部も筋肉も、ましてや鼻や口元さえも動かすことを許されない。ただ、人間が生きる上で必要最低限の呼吸を許されている程度。
「……あと少し、あともう少しで君は解放される。君は救われる」
「救われる? 笑わせないで」
アルスの顔に変化はない。だが、怒りを露わにしているのは分かる。
「解放されるというのは……私に向けられる言葉ではなく、貴方自身なのでは? 最も、解き放たれるというよりは、逃げるという表現の方が正しいのかもしれないけど」
「……愛留守。君は本当にいけない子だ」
祠の中からは、子供を悟る様な声で天王が返事をする。
「君は生きてはいけない子なんだ。君だって他人を不幸にしたくないと心から願っていたじゃないか。君は死ななくてはいけない。君は人類すべてを幸せにする義務がある……そのためにも今日、この裁定を受けなくてはならない」
「……人類すべてを幸せにする? ええ、花園家が掲げてきた夢」
この世を滅ぼす癌となった少女。
己の存在に罪の意識を抱いているようには見えない。いまだに反抗的だ。
「義務は果たす。私は守りたいの、大切なものを。それまでは……死ねない」
「愛留守。これは慈悲なんだ」
アルスは己が目的を果たさんと生きてきた。
その肉体の呪いは許されざるものではない。それを分かっていながらも。
「僕は君を愛している。その感情が消え去ることはない……僕が誰かを忘れたのかい」
諭す。黙らせる。静かにさせる。
決まりの甘い言葉が、空間を惑わせる。
「浮楽園愛蘭。君の友……生涯、忘れることのない愛人だ」
「“違う”」
冷酷に彼女は言い放つ。
「……お前は“浮楽園愛蘭じゃない”」
否定。
かつての友を皮とした……その殻の中の“夢幻”へと問いかける。
「答えなさい」
逃げも隠れもしない。例え、脳裏を見られようが構わない。
どれだけ心の中を汚されようが……その考えは変わることはない。
「“貴方は誰だ”」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
威扇達は無事、城へと侵入した。
「雑魚め! 目障りなんだよッ!!」
城には数百人近くの仮面兵が待ち構えている。
「どけぇッ!!」
札が燃える。
瑠果の体から沸き立つ厄。それが密集すると、前方の仮面兵達を飲み込んでは衰弱させていく。
「……この奥に、奴がっ」
牧瀬も得意の銃撃スキルをお見舞いする。
外しはしない。頭上は仮面によって防御されている以上は確実に心臓などを狙って発砲する。
三人は教徒達を押しのけ、祠の間を目指す。
天王はこの城の頂点、通天閣の頂上にいる。
「……気味が悪いぜ、ホント」
頭を一瞬だが抱える。
ここは天王が眠る城の内部。天王に近づけば近づくほど、また体に“気味の悪い執着”が絡みついて来る。蜘蛛の巣のように、或いは粘膜にまみれた舌で巻き付かれたような。
ペースが悪くなる。ただ、走っているだけでも頭痛がする始末だ。
「とっとと、ぶっ殺す……」
しかし、体にこの不気味な感覚がしみこめばしみこむほど実感する。
敵がもうすぐそこにいると。わざわざ自身の居場所を教えているだけだ。
「それで、終わりだ……!」
威扇が先行する。それに、瑠果、牧瀬も続く。
威扇とは違い、二人には未来を想う心がある。故に、人天王の心理支配に乗っ取られやすい質ではある。
だが、最早この二人も恐れていない。
失うものがない、という捨て身思考に陥った故なのか。そんな大雑把なものなのか。
人間という生き物はつくづく理解しがたい。
瑠果と牧瀬の二人はもう……後戻りをする理由が完全になくなった。それだけだ。
「……もうすぐ、始まってしまうわね」
三人が去った後、物陰から現れる。
「今日で決着よね。どっちにしても」
アスリィ・レベッカとプラグマ。天王が雇った最強の殺し屋姉妹。
誰よりも濃厚な【L】。歪み切った愛情を真理として生き続ける彼女達。今この時代を誰よりも肯定する姉妹もまた、動き始める。
「天王が勝利して花園愛留守が処刑される。これで世界の危険分子は旧人類だけとなり、【L】が地球の核となる完全世界が始まる」
プラグマは突き立てていた中指を静かに畳む。
「もしくは……植物人間が勝利し、この世が滅ぶか。どっちがいいかなんて明白だけどさ」
世界が滅ぶか、新世界が始まるか。
もしかしなくても、この二人にとっては前者の方がいい。
愛が正しき世界となれば、二人の愛は真理として認められていく。
彼女達の愛が、より正しいものとして証明されることになるのだ。
「なのに、どうして三人はあそこまで必死なんだか」
心を覗かれ支配される。それは姉妹も味わった。
あれだけの精神操作を免れる程の迷いのなさ。彼らは本当に世界を滅ぼしてでもあの少女を守りたいと思っているのだろうか。
プラグマは思う。正気の沙汰ではないと。
一時的な感情に振り回される。人間らしいことではあると思うが、ここまで感情の制御が出来ない大人であったのかと、狂気すらも覚えてしまう。
「……」
アスリィは一歩、壁に背もたれ座り込んでいる仮面の教徒へと近寄る。
トドメを刺し損ねたのか。或いは運よく急所を外れたのか……一撃必殺のつもりの攻撃を浴びたはずの一人が、かろうじて生きていたのだ。
「はあ、はぁ……あぁ、斎藤。生きてたのか……っ」
教徒はアスリィの顔を見るや否や、聞き覚えのない名前を口にする。
「良かった……お前に、頼みたいことが、あるんだ……」
服のポケットを弄繰り回し、取り出したものをそっとアスリィの手へと無理矢理通す。
「これを、俺の家族、に届けて……母ちゃん、一人に、なっちゃうから……すぐに、新しい恋を、始めるなり……ペットを飼うなり、で、逃れろ、って」
教徒が手渡したのは“マシンガンのマガジン”だった。
本当は何を手渡そうとしたのか。写真か携帯か、或いはお守りか……彼は手に握っているものが血なまぐさいだけのガラクタであることに気づいていない。
それどころか、少女の手を握った地点でも、目の前にいる人物が友じゃないことにも気が付いていない。最後の最後まで、この男は勘違いをしたまま満足げだ。
「……天王、サマ。俺、貴方の言うとおりに、したのに……どう、して」
急所を外れてはいたが、出血がひどすぎる。
意識を保つだけでもやっとだった。唯一の心残りを果たせたと安心したのだろうか……この教徒は、間もなく息絶え、仮面をつけたまま地に伏せた。
「あの三人、あの子を助けたいという気持ちはあるのかもしれないわ」
手渡されたサブマシンガンのマガジンを握ったまま、アスリィは呟く。
「でもそれ以上に、あの三人が叛逆を掻き立てるのは……きっと、」
テロリスト共。あの面々が戦う理由。その本質。
「……行くわよプラグマ。“最後の仕事”よ」
「うーん、了解」
彼女達も祠の間へと向かう。
指示は来ない。ただ気持ち悪い粘膜ばかりが巻き付いて来るだけ。たった一度の介入で支配されかけてしまった肉体に悪寒すらも覚える。
彼女達もあの三人と一緒。やりたいことをやるだけ。
姉妹の愛。それを誰にも否定させないために、見せつけてやるだけである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天守閣の砦を上り続ける。
当然、敵が待ち構えてこそいた。こんな雑兵程度に脚を止めることなんてない。ただ、力の消費に気を付けるだけ。通天閣の頂上を目指し、祠の間に目掛けて突っ走っていく。
駆け上がる。上り詰める。
天は近い。もう間もなく、月夜を見上げる“祠”の元へと辿り着く。
「……ここが」
扉を開くと、そこに広がるのは殺風景の部屋。
部屋の真ん中には大きな祠。それを背に、巨大な木窓から月明かりが差し込んでいる。
……天王の姿はこの部屋の何処にもない。
「ようこそ、と言いたいところだけど……」
誰もいないわけではない。
一人、月明かりを背に、佇む和服姿の何者か。
「場所を慎め、立場を弁えろ。今、お前達は天王の御前にいる」
この部屋に足を踏み入れた者達は大いなる罪人。
「これ以上の無礼は……万死に値する」
この国の罰は、五光の名において排除する。
五光“キサナドゥ”。
祠の間の番人が今、三人へと牙をむいた。
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