【革】は剥がれ、【命】が芽吹く《Final =START= 》

=幕間=


 任務を終えた。花園愛留守の身柄を確保することに成功した。

 天王の死を企てるレジスタンスとの長い戦いにようやく終止符が打たれようとしている。今日の夜十時、裁定の日による選別の刻を持って、処刑は完了する。


 この世全てを蝕む悪を。全てを取り込む旧世代の悪夢を。

 もうすぐ終わるのだ。新世代の人間による時代が始まり、まもなく地球は【L】を宿す選ばれし人間のみの世界へと変わる。


「潔奈?」


 もうすぐ終わる。そして始まる。 

 この時をどれだけ長く渇望したことだろうか。


 我刀潔奈は、その一心で戦い続けてきたのだ。我刀の当主の座に就くことを選び、己の守りたいものの為だけに。


 努力が報われた。執念が勝利した。

 これほどに喜ばしい事はない。ようやく平和を掴み取ったというのに。


「いさな~?」


 “この悪寒はなんだ”?

 間違ったことはしていないはず。己が望む未来を掴むためには、その道を選ぶ以外に方法はなかったはずである。この拳を血に染め上げようと、この身が汚れた深紅で溢れても……その先にはきっと、己の望む素晴らしい未来が待っているはずだ。


 だが、この不安はなんだ?

 寄生虫のように己の意識を蝕もうとするこの感覚はなんだ?


 分からない。分からない。

 我刀潔奈は、訳も分からぬ意識に振り回されている。


「えいっ!」

「いたっ……」


 軽く小突かれた。

 

「ずっとさっきから呼んでるのに、返事してくれないんだもん」


 目の前には、エプロン姿の妻・輝沙。

 金属製のおたまを片手に怒っているようだった。今、卵を割る様な頭のショックは、あのおたまで軽く叩かれたのだろう。百円ショップで売っているような安物ではないために、重量もそこそこにある。


「……ごめん」


 返事をしなかったことについては謝る。

 冗談抜きで気が付かなかった。それほどに上の空で気を取られていた。人差し指で頬を掻きながらも、機嫌の悪い輝沙を上目遣いで見つめてしまう。


「もしかして、ご飯美味しくなかった?」


 食卓に並んでいるのは、彼が好物だというコロッケと千切りのキャベツ。


「ううん、そんなことはない!」


 美味しくないわけがない。

 彼女が作るコロッケはガトウが一番好んでいる味付けだ。ソースなんて重苦しい調味料は一切使わず、一つまみの塩を振っただけ。コロッケのタネであるジャガイモとひき肉の中には彼女自慢の隠し味が入っているという。


 お米もブランド米。味噌汁も辛すぎずスッキリとした味わい。

 何一つとして料理に不満はない。弁護をするわけでもなく、心からの気持ちであるために彼は料理の味を肯定する。


「……じゃあ、もしかして。仕事で何かあった?」


 料理に問題はない、となれば“仕事がらみ”に話が繋がるだろう。

 彼は考え事が常に多い。もし何かボウっとしていることがあれば大半が仕事によるストレスか課題についての静謐だろう。


「いや、問題ないよ。むしろ、仕事はいい感じだよ」

「じゃあ、どうしたの?」


 仕事でもご飯にも問題はない。となれば、何に問題はあるのか。

 きっと妻はこう思っているはずだろう……『もしかして、自分に何か問題があるのだろうか?』と。


 実に健気で、実に可愛らしい。

 でも、そんな彼女にはやはり、不安げな表情は浮かべてほしくない。


「……輝沙。もし、仕事が一段落ついて、俺が休みをもらったとしたら……何をしたい?」

「ええっと、うーん」


 顎に手を置き、妻の輝沙は考え込む。

 

「……なんでも、いいかな」

 最初こそどうするか悩んでいたが、直ぐに彼女は答えを見つけた。

「潔奈と一緒なら何でも。旅行に行くのもいいし、家で映画を見るのもいいし……一日ずっと、潔奈と一緒にいたい」

 無邪気な笑みだった。


 ガトウと同様に、輝沙もそう歳は取っていない。むしろ若い。

 悩み事に駆られる夫。夫の事を思う妻。その二人の関係はまさしく。


 五光も立場も関係もない。何処にでもいるような若夫婦。


「あれっ、潔奈?」

 彼女が考え込んでいる間だっただろうか。

 いつの間にかガトウは席から立ち、後ろから妻の輝沙を抱き寄せていた。


「……輝沙。お前は絶対に幸せにする。絶対に」

 ただ優しく。自身の胸へ誘い込むように。

 気が付けば、悩みに駆られていたガトウの表情も、輝沙同様の無邪気な笑みを浮かべていた。


「えへへ、潔奈。今日はちょっと変だね」

「そうかもね」


 互いに笑い合い。互いに触れあう。


 暖かい。

 こんな日々が永遠に続けばいいのに。そう願っていた。




『我刀。準備なさい』


 そんな幸せ、いつまで続くかなんてわからない。


『敵が、来ます』

「……ッ!」


 亀裂は突然入るし、何の予兆もなく崩れ去る。

 世界とはあまりに理不尽である。そんなこと、今に分かり切ったことじゃないか。


「ごめん、行ってくる」


 まだ、食事は食べ終えていない。だが、天王の命令は絶対だ。

 彼が生活に割り込んでまで緊急事態警告をするという事は、今、この城にとんでもない脅威が近づいているという事。裁定の日、今日に限って特別な日となっている選別を阻止しようと現れる人物で思い当たる節は……一部しかいない。


「お仕事?」

「あぁ……ごめん」


 食卓に並んであったコロッケを食べきることが出来なかった。折角作ってくれたのに申し訳ない。

 そんな罪悪感を抱きながらも、ガトウは袴に身を通し、戦場へと赴く。


「潔奈!」


 テーブルから立ち上がった輝沙が彼を呼び止める。


「頑張ってね!」


 満面の笑顔。

 そして、彼女の両手にはラップで包まれた残りのコロッケだった。


「……うん!」

 大好物を受け取り、ガトウは部屋を後にした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 いよいよ、最後の戦いが始まる。

 レジスタンス達はまだ諦めていない。まだ、抵抗する。


 花園愛留守を取り返すため、この城へ戻ってくる。


(必ず、倒す。そして、俺達は平穏を)


 移動中、不躾だとわかっていても、小腹は満たしておきたい。渡されたコロッケを食しながら、レジスタンスへと意識を向ける。


「……平穏、を」


 ガトウの横を、複数の仮面兵が通り過ぎていく。

 レジスタンスとの戦闘に向けて、各自戦闘に配置される。立ち止まっている上司を避け、早々と向かっていく。



「……取り戻せる、のか?」


 ふと、ガトウは振り返る。









「世界の平穏。その為に、選ばれなかった者は……”礎”となる」


 妻の事は恋しい。未来について不安がある。

 しかし、それ以上に……彼の脳裏には、常に思い浮かべている疑問がある。



「この城に連れ去られた人間はどうなった……?」


 選ばれなかった人間も愛する。この世界の為に命を使う。

 しかし、その人間がどうなったかどうかは”五光”でさえ知らない。


「……」


 この城は、何なのか。

 天王とは、何なのか。

 【L】とは何なのか。そして、何故、その力を神は与えたのか。






 全て。この不気味な不穏。

 この世界が正しいのか。それとも、レジスタンスが正しいのか。




「輝沙……」



 一つ、分かることは。







 どのような世界になろうとも。

 人間は……”己”のために、生きている。

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