39話「No Regret ~捨てた人間~(後編)」

「“天王様は君を見た”。そして、自分もまた興味本位で聞いてしまったよ」

「……ッ!!」


 槍が虚空を貫く。


「君も……“人間らしい世界”で生きた人間、じゃないか」


 しかし、その場にはキサナドゥはいない。

他の人間と違って、それこそ人形のように存在感すら浮かばせない。幽霊のような歪んだ動き。その仮面を叩き割ることを許さない。


「……性格悪いな。知ってるのに尚、聞こうとするのか」

「その先を知らないから聞いているんだよ」


 今の殺し屋の生き方。そこまでは興味がなかったのか天王は見なかったのだという。


「いや、出まかせの可能性があるな。口だけの可能性、ただの揺さぶりで」




「……本名は、〇〇」


 誰もが知りえない。

 植物人間の本当の名前を、キサナドゥは口にした。



「いや、これを本名というには、違うか」


 一つ訂正。キサナドゥは続ける。


「孤児院だっけ、か。そこで生活をしてたけど、攫われた」


 誰も知らない世界。


「そこで、拷問、を受けた」


 知るはずもない世界。


「そして、君には大切な人がいた」


 淡々と。


「その地獄の先、君は」

「もういい」


 舌打ちとも歯ぎしりとも違う。

 植物人間。その名の通り、世界に這いつくばり、時代の流れに従う植物のように何も心を持たず静かに、知能を持った生き物らしくない無機質な殺し屋。


 唾液が沸騰したような。マグマが口から噴き出るような、不思議な音だった。

 筋肉が張り詰める音も聞こえる。足を踏ん張り、地面が抉れていく音すらも聞こえる。


「……もう、いい」


 “感情”だった。

 それは、植物人間が見せることはない……“人間らしい一面”だった。



「それを、踏まえた上で聞かせてもらうよ」

 威扇に合わせ、キサナドゥはこれ以上の挑発はしなかった。

 

 不思議には思った。

 これだけ精神を乱れさせれば、随時冷静であるキサナドゥの勝機は跳ね上がる。現に冷静ではない植物人間の一撃は一発たりともキサナドゥには触れなかった。精神的に追い詰め続ければ……いつかは、この殺し屋を内面から破滅させることが出来るはずだった。


 なのに、キサナドゥはそれをやらなかった。


「何故、君は……生きることも、死ぬことも。どちらも選ばない」

「……分からない」


 冷静、というよりも、無理やり落ち着かせているようだった。


「俺だって、分からねぇさ。生きていればいいのか、死ねばいいのか……どうやったって、世界は“俺を死なせてはくれない”」


 喜怒哀楽。どのような感情を思い浮かべればいいのか分からないと言いたげな顔。

 行き場のない感情の暴走。ただ、どうすればいいのか分からないだけ。


 迷走、だ。


「だが、一つだけ……俺が世界に興味を持たなくなった理由は、一つだ」

 詰まらせていた言葉。それをそっと漏らした。








「“俺はアイツさえいれば、それでよかったんだよ”」





 


「……そうか」

 答えは出た。

 キサナドゥは刀を鞘に戻し、一歩ずつ威扇から距離を取る。


「君も、人間だという事か……何処の誰よりも、迷っているだけの子羊だ」


 まるで目的がなくなったよう。

 一つの用事を終えたように、満足とした声を漏らし、森の陰に消えていく。


「世界が君を生かしている。それにはきっと意味があるのだろう。こんな歪んだ世界、死んだ方がマシだと思える狂った世界に、生きるという道のみを与え続ける。世界がそれを望む理由がある……君のその力は、呪い、とは違うのかもしれないな」


 キサナドゥの姿が、次第に見えなくなっていく。



「少なくとも、あの“二人の呪い”と一緒ではない」

「二人の、呪い……?」


 消えていく気配を追おうとはしない。ただ、威扇は問うばかりだ。


「いいかい。花園愛留守の内にある厄。それは事実だ。彼女は幼い頃より厄をその身に宿して生きてきた。【L】によってその力が増幅し、世界の癌となってしまったのも、全て本当だ」


 天王の言葉には嘘偽りはない。


「……だが、彼女はそれ以上に厄介な“呪い”を背負わされている」


 しかし、言葉に偽りこそなけれど。


「そして、天王には。それとは比べ物にならない、強大な___」


 言葉はそこで途切れた。

 イリュージョンだったのかは分からない。それとも、今まで戦い続けてきたのは代わりに用意された幻影だったのかすらも。それを確かめる気力すらもなかった。


 あまりにも、計ったようなタイミングだった。

 答えを知りたければ城へ来い。花園愛留守、浮楽園愛蘭。そして___。


己自身の【L】の真実へ辿り着いて見せろ。そう、言わんばかりの。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 一用事。散歩を終えた植物人間は公園へと帰って来た。

 時間はもうすぐ夕暮れが近づいている。空は少しずつ赤に染まりつつある。


「およ?」


 目に入る。

 

 どこぞの熱血刑事の姿。

 牧瀬がこの場にいるという事は……そういう事だ。


 今更逃げようにも間に合わない。逃げる最後のチャンスがあったとすれば、瑠果と威扇の二人と別れた二時間前のあの瞬間だけだった。しかし、牧瀬はその場から離れることはせずに、呑気に拳銃をメンテナンスしている。



「……逃げなくてよかったのかよ」

「そうしようと思ったんだがな。最初は」

「どういう心変わりだ?」



 気のせいか。牧瀬の体から震えが消えてなくなっている。

 まるで憑き物が外れたような。天王から植え付けられた粘膜が消えてなくなったような。身軽なままに肩を鳴らす牧瀬の姿。


「……いや、いいや。人手は多いに限る。囮にも使えるからな。利用できる奴が一人減るのは困っちまう」

「俺もお前が逃げなくてよかったよ。お前なら囮にしても……生き残ってそうだからな」


 いつもの嫌味のぶつけ合いだった。

 しかし、牧瀬はそんな懐かしい挑発を愉しんでいるようだった。心に余裕が出来たという、そのメッセージを態度で示していた。


(……仄村)


 夢に出てきた彼が、本物だったのかは分からない。

 この世で成仏できずにいた彼の魂が、話に来たのかも分からない。



 夢、とは人間の心理が大きく絡むとされている。

 


 そうであってほしい。そうであってほしくない。

 強く願った事に限って、人間は寝かせている脳に無意識の暴走を起こし、そのビジョンを見せるという。


 もし、牧瀬が見た夢。或いはデイドリーム。

 そのビジョンに出てきた仄村の姿が、牧瀬がそうであってほしいと願った幻であったのだとしたら____






 辞め、だ。


 そんなしょうもない事、考えているだけでも時間の無駄。



(お前の仇は、必ず取る……!)


 一発の弾丸が空を舞う。

 試し撃ちは成功。軌道も、スピードも何一つ問題はない。


 完璧なメンテナンス。

 その真っすぐな弾丸の行く先が、彼が心の迷いを払拭して見せた事を証明していた。


 



「……お前は何故残る? やはり、金の為か?」

「お前には関係ないだろ」


 どのような局面であれ、やはり、この殺し屋は世界と寄り添おうとはしないようだった。





「だが、気になる事は出来た。とだけ言っておいてやる」


 しかし、以前と違う。

 ほんの一瞬の興味を、人間らしい感情を漏らしていた。

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