19話「Candle Flame ~腐り女~ 」


 一つ、気づいた人はいるのではないだろうか。

 アイドコノマチの路地裏。即ち、愛に選ばれず、この世界に生きる権利を得ることが出来なかった悲しき敗北者たち。異臭、汚れた布に塗れた群れの中。


 “女性の数があまりにも少ないことに”。

 いたとしても、歳を取りすぎた老人。或いはあまりにも顔が整っていない、“所謂・不細工”。


 それ以外の女性、愛に選ばれなかった女性とやらは何処にいるのか。考えている者も多いだろう。


 表世界で全員仲良く綺麗に過ごせているのか。

 そんな都合の良い事があるわけないだろう。


「……気にいらんな」


 元・刑務所。長く続く監獄の通路を信秀達は歩いていく。


「奴め……何故、“こんな場所”を歩かせる」


 牢獄の中、一方通行の通路を歩いている一同を“獣が見つめている”。


 人の形をしたそれ。人間らしく布切れを羽織らない“薄汚れた首輪付きの雌”は酷く男を惑わせようとする。唯一残った肉体を武器に、取引を持ち込もうとする。


「まるで見世物だ」


 長い、あまりに長い。

 色欲ともまた違う。あまりに我欲に満ちた悪趣味な通路を歩かされることに、信秀はあまりにも不満を感じていた。

 

 そうだ、商品だ。

ここにいる雌は全て商品。


 人間としてのプライドを捨て、ただ生きる事に固執。そこにはあまりに情けのない“生存本能の獣”だけが並べられたペットショップ。


 生きるための道。女性は男性とは違い、武器となるモノがあまりにも多すぎる。

 それを活かし、拾ってもらえればチャンスはある。生きることに固執する獣たちは自らを売り物とし、この牢獄の中で主を求めて日々を過ごしている。


 体を洗っているのかもわからない。こんな悪環境に放り込まれた生き物には病原菌が含まれていないかどうか分かったものではない。


誇りを捨てた哀しき獣たちは、あまりに耳障りな声をあげながら、手を牢獄から伸ばしていた。


「……くぅ」

 牧瀬は思わず目を逸らす。

「真面目そうな君には、あまり慣れない場所だったかね」

「……ここは嫌な意味で刺激が酷い」

「同感だな」

 本来であるならば、体を刺激されるはずのこの風景。だが、一部の人間からすればあまりに悲観を覚えてしまう。

牧瀬は生真面目な性格だ、そういう店などには行かないこともあって、声を聴くたびに思わず吐き出しそうになる。


「目隠し、まだ外さない方がいいですか?」

 アルスの目には布が巻かれている。

 まだ未成年の彼女に、この場所は風紀が悪すぎる。信秀の配慮の元、視界を封じ、仮面兵に手を引かせていた。


「ここを出るまではつけたままでいてくれたまえ」

「……」


 王とやらに丁重に扱えと命令されているのか。その気遣いが妙に気持ちが悪い。

 瑠果は信秀の背中をまだ睨みつけている。ここから逃げ出すチャンスは見込んでいないが、瑠果は自身の隙を許すチャンスは与えないようにしていた。


「……おっと!」


 “与えないつもりでいた”。


「っ!?」

 瑠果は……急に手を引かれた。

 信秀は途端に瑠果の手を引き、己の元へ引き寄せたのだ。


「あまり檻に近づくな。喰われるぞ」


 信秀は、表情一つ変えずにニヤついたまま警告する。


「___ッ!」


 瑠果は己がいた場所。ついさっき通り過ぎようとした檻に目を向ける。


 “最早人間のそれとは思えない目つきをした化け物”が、檻の中にいた。あまりに醜い呻き声をあげながら、檻の中から手を突き出していたのである。


 それは紛れもなく、布を纏っていない裸体の女性であることには間違いない。


 しかし……ここまで、汚れてしまえば、それはもう“人間の見た目を失う”。

 指先がまるで怪物のようにすり切れ、尖っている。どれだけ壁を引っ掻いたのかわからない。人間としての面影もない腕は、標的を失い、檻を握りしめていた。


 もし、あの怪物に手を握られていたら、瑠果はどうなっていたか。


「……触れるな」


 礼を言わず、瑠果は信秀から離れる。


「礼くらいは言ってほしいものだがな」

「助けられたとは思っていない」

「だろうな。助けた、と違うな……ああ」


 元より、信秀は礼を求められるつもりもなかった。互いにそこは理解し、結局のところ余計な気遣いでココのやり取りは終わる。


「……人間としての生き方を捨てた者は、ここまで酷くなり得るのか」


 牧瀬は目を逸らそうにも、どうしても目に入ってしまう。

 男のサガとかそういうものではない。あまりに醜い姿を、その瞳が追ってしまおうとする。鳴き声や虫の羽音にも近い声に対し、体が向いてしまう。


 女性だ。だが、その女性は見た目こそ美しくても、中身は腐っている。

 目を向ける度、その体は呆れを感じてしまう。


「……っ!!」


 その程度、それだけ済めばよかった。


 ここにいる人間は全員無関係の女。哀れに思う程度で済むならば、どれだけ気が楽になっただろうか。


「あっ……」


 檻の中からも、突然“我に返ったように声が聞こえた”。


「……」


 一瞬。檻の中の女性と、牧瀬の二人。

 “張り詰めた空気”。この呻き声の中、二人は視線を“交わした”ような気がした。


「……くっ」


 たった一つ。その檻の中の女性を見た途端に、牧瀬は目を背ける。


 もう向かない。何処の檻にも目を向けない。目を向けたくない。


 後ろから、気まずそうな呼吸が聞こえたかと思ったら、只しつこく檻を殴って呼び止めようとアピールをする。だが、誰も足を止めず、ただ獣が鳴いているだけと警告するだけ。


 だというのに。それだけで済むというのに。

 牧瀬は一瞬にして、この悪趣味さは“過酷”とも思えるようになってしまっていた。


「……牧瀬?」

 その異変に、瑠果は一瞬だが気づいていた。


「ようやく、か。ひとまずは」


 目的地、とやらの取引所へついた。

 檻の道を抜けるとようやく地獄の風景から解放される。何もない殺風景な廊下があまりにも恋しく思っていた為に、空気の入れ替わりがあまりに爽快に思えた。


 先へ進んでいくと、信秀はノックもせずに扉を開く。


「……引き取り手続きとやらは終わったのかい」


 入ってすぐ、信秀は声をかける。


「“荒森羅すさみしんら”」


 カウンターの前、何か資料を書いている“羽織の男”へと。


「……ああ、わざわざすまないね」


 そこにいたのは、首輪をつけた“裸体の女の子”が数名。

 そして、もう一人。


「ここへ足を運ばせて」


 ___”荒“の紋章。

 アイドコノマチを管理する五光の一人、その当主の証を持った青年の姿であった。

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