17話「Angel Link ~とある男の日常~ 」


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「報告します。キサナドゥが帰還致しました。おそらくですが、【植物人間】とは交戦済みかと思われます」


 真天楼の通天閣。その最上階に待つ“祠の間”。

 たった一つ。そう、たった一つだけだ。その一室の真ん中には、何も入っていない“祠”だけが用意されている。締め切られた祠に向かって、ガトウは一人報告する。


『……“彼女”は私に会いたがらないようですね』

 何も入っていないはずの祠の中から声が聞こえてくる。

『立場をこなしているだけ文句は言いませんが……雑に扱うものですね』

 

 キサナドゥは“何の命令もなし”に地上へ降りた。

 それについて謝罪の言葉は勿論、帰還の報告すらもしようとしない。祠の中からは、キサナドゥに対しての不機嫌な声が聞こえてくる。


「……如何致しますか」

『彼女にその気がないのなら、放っておきましょう』

 面倒、と祠の中にいる何者かは片付ける。

『……ガトウ、貴方に一つ、命じます』

 最初こそ、仕事を任せた面々からの報告を待つまでは待機を命じるはずだった。


『街へ下りなさい……“雇った殺し屋”達の様子を見てきてほしいのです』

「……? 花園愛留守とその護衛達は確保されたと報告が届いています。あのお二方はしっかり仕事をしているように思えますが」

『嫌な予感がします』


 祠から聞こえてくる声に、ガトウは静かに頷く。


「……それは」

 無礼を承知で、ガトウは聞く。

「“天王様の生まれつきの勘”というものでございますか?」

 天王。ガトウは祠の中にいるであろう何者かを、そう呼んだ。


『明日にでも、降りてください』

「……承知しました」


 理由、を口にはしなかった。

 ただ、祠の中から、自然とこのようなメッセージが伝わってくるような気がした。


 “分かっているのなら、無駄な質問はするな”と。



「城の護衛は?」

『キサナドゥと、そこにいる“もう一人”に任せます』

「かしこまりました」


 頭を下げ、その命令を受託した後に、ガトウは祠の間から立ち去った。




『……話の通りです。護衛は任せますよ』

 その場にもう一人いるという人物。

 祠の間の片隅。影の中でうっすらと見えてきた人影に、天王は告げる。


『“神流信秀”』

「どうぞ、お任せを」


 そこにいるのは___

 この時間。本来“その場にいないはず”の人物。室内であろうとサングラスを外さぬまま、何食わぬ顔で頭を下げていた。


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 ガトウは祠の間を出ると、城の移住区へと向かう。

 仮面の処刑人達。そして、キサナドゥ。天王に仕える者達の大半が、この城の中に用意された移住区で生活している。


 ガトウもまた、その中の一人。

 街を管理する五光の一人として、この空飛ぶ“神の玉座”へ身を寄せることを許された若き当主。


「……ただいま」


 ガトウは自室の扉を叩き、一呼吸を入れてから部屋に入る。


「おかえり。潔奈いさな


 部屋に入ってすぐの台所には誰かが立っている。


 ところどころ白髪の目立つ長髪。満面の笑顔の片目には大きな火傷の跡が残っている。

 切り傷などが目立つ両手が袖まくりによって露わになっている。痛々しさを感じさせる肉体、華奢な身体を……保育園の先生のような可愛らしいエプロンが包み隠す。


 おたまを片手、主人の帰りを喜ぶように“女”は笑っている。


「ああ、輝沙てるさ


 エプロン姿の女性を、ガトウはそう呼んだ。


 ガトウと同様に若い身。大人になりたてと思われる花嫁修業中の女の子が、味見を終えたついでに彼を歓迎する。ガトウもまた、輝沙と呼んだ女性に対して、静かに笑みを浮かべる。


「……今日の、晩御飯は?」

 ガトウは上着を脱ぐと、リビングのテーブルに並んである空のお皿を見つめている。上着をハンガーにかけ、長く歩いた為に痛めた背中を落ち着けるよう椅子に腰かける。


「えっとね、今日は___」


 何気ない話。特に何事もない普通の会話。

 汁物の料理が入った圧力鍋。暖めた後に潰したジャガイモのサラダがボウルの中。炊飯器は既に常温に切り替わり、炊き立てが保存されている。


 何処にでもある、ありふれた“若奥様”の日常風景である。

 髪の毛の白髪に顔や両腕の傷。あまり見慣れない要素が所々で顔を出してはいるものの、主人であるガトウの帰りに浮かべる笑顔には、何の変哲もない無邪気な明るさだけが目に映る。


「……どうしたの? 潔奈?」


 何か言いたげの表情。ずっと顔を見ていれば、彼女は嫌でも気づく。おたまを手に持ったまま、仕事帰りで疲れ切った主人の顔に語り掛ける。


「輝沙。明日から少しの間、街へ下りる。しばらく家を空けるよ」


 明日から軽い転勤のようなもの。治安は良いか悪いかと言えばあまり良い方ではない城下町へと駆り出されることとなったことをガトウは伝える。


「ふーん、そうなんだ」

 ガトウの曇った表情の原因が分かった輝沙はそっと笑みを浮かべる。

「ちょっと寂しくなっちゃうな」

 苦笑い、というにはそれほど苦しさは見えない。だが、彼女の言う寂しいという感情は微かに伝わってくる。


「じゃあ、お弁当を作ってあげるね。洋服とかは準備した方がいい?」

「そこまで長居ではないと思うけど……お願いできるなら、してくれると嬉しい」


 出発の日の弁当。初日はどうしても恋しくなるものがあるとは思う。輝沙の思いを無下にしたくもないのか、ガトウは“婚約指輪をつけた彼女”の仄かな甘えを喜んで受け入れる。


「潔奈、無理はしないでね」

 IHのヒーターの電源を切り、料理が出来上がる。

「私は大丈夫だから。潔奈が元気なら、私は大丈夫だから……」

 火傷に覆われた顔に浮かぶ笑顔。出発を前に、どうしても告げておきたいと言わんばかりに、一瞬小声で輝沙はそう漏らす。


「……さぁ! ご飯にしよっ! 今日も美味しいよ!」

「ああ、いただくよ」


 冷たい空気。何処か暗くなってしまった空気を入れ替えようと取り繕う輝沙。そのあまりの健気な姿に、ガトウは人前ではあまり見せない顔をする。


「ありがとう、輝沙」


 世界を束ねる王の前にも。身を労わってくれる同僚の前でも。複数を越える優秀な部下を前にも。勿論、外からの客人を前にも見せることはない___


 作り笑顔でも何でもない。いつものガトウらしくない、若々しい笑顔だった。

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